私の悪い癖

 自分のブログを読み直し思うのは誤字脱字が多いこと。内容的には、偉っらそうに独断で極端な表現が多い。文章もすっきりしていない.まだまだあるかもしれないが、幾分自覚もしている。

 いい訳じみてるが、確かに今日の教育や地球環境には強い危機感を持っているし、自分に残された時間もそう長いとは思っていない。また、仕事柄なのか、物事の背景を探る思考の癖がある。癖だらけの人間がまた書く。

 私が子供のころ親や大人から違和感無くよくことわざや言い伝えを聞かされた。このごろはことわざなどあまり言わないし,言ったとしても周囲の雰囲気とぴったりこない感じがする。

 当時、「1を聞いて10を知る」「百聞は一見にしかず」もよく聞かされたし、おふくろが良く口にしたのは他人の悪口を言ってはいけないの意味で、「他人(ひと)のことを良く取るも悪く取るも(解釈の意)本人の人格しだい」とよく言っていた。

 母親の言葉はは特に心に残り、自分の子どもにも何度も言ってきた。私のお袋に対する自慢の一つでもあった。始めの二つは、今聞くと、時代や風潮の変化を感じる。「1を聞いて~」は想像力の大切さを、「百聞~」事実とその確かめの大切さを言ってる。

 教育の国会論議や日々のメディアの報道を見ていると、この言わんとするところは風化し、時代は変わったと、思う。想像力や実際を確かめるのは立場や考え方を超えて誰にも求められる感性であり、態度だろう。これが全体的に損なわれてきている。

 この風潮を私は(鍋ガエル)や(のぼせ上ったユデだこ)と形象化する。始めは揶揄的だったが最近は実感に近い。こんなことを偉そうに言うところが私の癖なのかもしれない。

 1年前、日本の景気の下方修正を公的機関でするだろうと
私は予測したが、実際下方修正し発表されたのは1年後の昨日だった。何を基準に早いか遅いかを論じなければならないだろうとは思うが。

 特に教育関係で子どもやそれを取り巻く環境の変化は、私が予測し、あえて教育実践の中で話してきた予想は今の現状を見るとあれでも甘かったという反省がある。

  だから「ボケ」は他人事ではない。30年以上も前、著名な評論家,故大宅壮一の「1億総白痴化」の予想は当時は推論の推論と受け止められていた。メディアが用いた「平和ボケ」なども今考えると全く理由の無いことではないようだ。

経済は、日本人が見ているのと、外国が日本を見ているのではかなり違っているのではないか?。教育は周囲が見ている子どもと、子どもが見ている周囲とはかなり違う。

「経済も教育も勝手な「思い」では動かない、事実で動く。」
 
 このことを悪い癖のある自分に繰り返し繰り返し言い聞かせたい。

  

 

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