世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
いじめ→自殺の意味
いじめ→自殺が今日も報道されていた。該当の学校長が謝罪する映像を見て「分っているのかなー」といつも思う。
いじめの問題で登場する大人や専門家の多くの認識が「からかいやいじめは昔からあった」その認識が基本にあるようだ。しかし今のいじめは全く意味が違う。昔はいじめは広い意味で遊びの範囲だったが今はその範囲を超えるだけでなく質的な違いがある。(語弊はあるが)生物的には飢えた状態での異常な行動に通じるものがあるだろうし社会的には自壊作用の意味があると私は深刻な問題だと考えている。
子どもが命をかけて信号を出しても大人は子どもの方に顔を向けない。偉い人ほど子どもに顔を向けない。我々は「子どもに顔を向ける」とはどういうことかは子どもから学ぶ他ない。
他に責任を押し付けたり偉い人や専門家に答えを求めようとすることがなくならない限り、問題はより深刻化するだろう。事件も悔しいが、その後の大人の言動がより浅ましく情けない。
《夜のニュースを見て補足)文科省大臣が、「死ぬことは解決に繋がらない。」埼玉県の教委は「いじめがあったことを前提に原因調査・校長の責任云々」とあったが大臣も教委も事の重大性が分っておらず単なる事故扱いで、安易過ぎると思う。中央集権の強い文部行政にあって、最高の司令塔や指導機関がこれだから解決するはずがない。
(一連の問題で、担任が出てこないのにはいろいろな意味でひっかかるものがある。)
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