「見えない力学」

石原東京都知事はオリンピック誘致に失敗して帰国の記者会見で、「プレゼンスは良かったが、見えない力学が作用した。」と話していた。
 これまでの知事の言動には辟易してきたが、この記者会見の(見えない力学)発言には注目した。
 常識的に解釈すれば、彼の空間認識内での力学では測り知れず、100名近いオリンピック委員より判断する認識空間が狭かった事を意味していないだろうか。
 以前(オラが村のオッチャン感覚)と揶揄したのはその事である。
 世界は(オラが村)だけではないのに、今回のオリンピック誘致もこれまでの言動も彼の空間認識の狭さや浅さを自覚していない事が気になっていた。
 どの程度かは疑問だが彼は初めて自分の認識の不足を人前で言葉にした。
 考えてみると、世界のリーダーは似たり寄ったりで動いているところもあるからリーダーの一人として、認識不足発言は大きな意味を持っている。
 
 帰国時の飛行機内で涙を流したとの事、終わってから金メダルか?
 2020年オリンピックへ向けてのコメントを聞いていると、にわかには信じられないが‥
  (記者会見のニュースを見て(空間認識と党派性)を補足したくなった。)
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空間認識と党派性

視座や空間認識や心理的な場は同じような意味だと考えている。
 意見や主張、それが組織的な基盤を持つ時、党派性と言われる。
 空間認識と党派性の関係はどうなっているのだろうか。
 例えば(保守)と(改革)を組織の党派性の違いだとしても、空間認識の違いは意味していない。党派性が(社会主義)(中道)(民主主義)であってもそれは党派性に属し、なんら空間認識の違い、端的に言うと空間認識の広さや空間に属する要素の違いを意味していない。
 意見・主張・党派性の違いを前提になる空間認識の違いを確かめずに語られる事が多い。
 
 社会に崩れや混乱が見られる今日、あちこちで対立が巻き起こる。
 それが社会的・組織的な背景や立場の違いから生じているのに、
 お互いに空間認識を確認しないまま対立している事が多い。
 
 オリンピック開催地を決める過程や日本の政権交代後の動きや、世界の経済の動向、中国の国慶節見ていて何れも将来があるとは思えない。既定の枠内での主張や論議ではなく、空間認識そのものの検討が必要ではないか? 
 いずれも空間認識を意識している様子がない。(現状の悪化に対しメディアは的外れの情報を繰り返し空間認識を広げるのを疎外している。)
 空間認識は権威・権力・力が 特別に持っているのではなく文明文化が具有していると言う事か。
 文明はともかく、地上には60数億の文化が存在する事を追加しておきたい。
 


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