時代遅れ

あんなに遠くの小さな星で、ヒトビトは足元に穴を掘っては財貨を掘り起こし、その多くを争いやそれに備えて軍事力に使う。
安全を保障するためだと言う。
 ある価値観と目的を持ってする人間活動を総称して文化というなら、あそこに棲むヒトビトはどんな文化をもっているのだろう?
 昔からどの国もやっている現実で常識だと言うなら、世界の常識は不変かだろうか?
 一方で(常識を疑え)とも言う。
 
その昔、国境は無かった。
    天動説が常識だった。
     武力で領土をひろげ、国を盗り、植民地にするのが普通だった時代もあ     る。
     60数年前までは天皇は現人神様だった。
     
  安全保障のために掘り出した財貨の多くを費やす常識だけが不変だろうか?
  
身の安全上、銃を持つのが常識の国もあるし、持たないのが常識の国もあ    る。
  あの小さな星を掘り起こして取り出した財貨を争いの為に確保する常識が
  いつまでも続くはずがない。
  その計算が現実に必要になってきていないだろうか?
  
  話は飛ぶが、経済成長路線も似ている。
   
「高成長は望める時代ではない」とは積極的な成長路線を唱える人までが言う。
  経済成長の望めない経済活動とは一体何なのか?
  上記の言葉は「今の産業構造では高成長は望めない」と言うべき所である。
  今の産業構造が時代遅れになっている事を意味してる。

  子供達に希望を持たせられない社会や教育になって久しい。

  ヒトビトの安全保障や経済活動そして教育、言わばヒトビトが今持っている文  化そのものが常識かどうかが問われる時代に、既に入っていると考えている。
 
今の時代が時代遅れになっている。  
                       (小さな小さな星の話し)
       
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