けじめ

特に古い人間には(けじめ)は重要な行動基準である。
 個人や組織間にある立場や線はけじめになる事が多い。立場や線は往々にして壁にもなる。壁によって相手が見えない。壁が高くなると、相手が見えなく求める所の違いは不信に繋がりやすい。
 立場や線は個人の人間関係から国と国の関係に至るまでに言えそうである。
 否が応でもグローバル化が進むであろう世界で、立場や線を明らかにする事は大切だが、壁を高めてはグローバル化に逆行する。
 (テロ?との戦い)はどこか一方的な一線を感じさせる言葉使いである。
  共に求める価値や理念の言葉はないものだろうか?
 たとえば(生命の尊重)と(民族自決)と言う理念でアフガンを語っていたら、状況の説明も展開も違っているのではないだろうか。
 ちょっとしたら(テロとの戦い)の言葉はグローバル化とは合わないかもしれない。
 
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構想・戦略は難しい

今、政治家にもとめられている物は21世紀の国を構想し、戦略を持つ事だと言われてる。
 世界や日本の状況を見ると尤もだと思う。
 しかし今はどこにも見出せないし、もともとこれは常に求め続けられるべき性質のもと考えた方がいい。将来を見つめて現在をどうするかが問われている政治家は
 誰もが常に求められていると言っても良い。
 そのため政治家は常に状況と情報をキャッチすべく探究心と謙虚さが求められる。
 近年、政治家が良くテレビに出演する。政治家本来のキャラクターを感じた記憶が無い。
 要するに話す事には熱心だが、他人の話をよく聞く、或いは掘り下げる人がいるように思えたことがない。
 将来の構想はどんな時代にも求められる文化的なベースから生まれるものだろうから、今のように、他人に言われてできるのでないかもしれない。
だからか、その辺がなかなか動かない。
 
 
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壊れてる所が違うだけ

社会がどうだ・こうだと(の給ふ)自分だが、おおよその出口の見当ついても具体
的な構想は描けない。
 社会が崩れていると同じように、自分も傷んでるからだろう。
 崩れてる(傷んでる)所が違うだけなんだ。
 
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