あれは、やり過ぎ

世界中がマネーゲームを原理として動いているとしたら、現代の文明文化の価値観の中心は(お金)と言えるかもしれない。
 語弊のある乱暴ない方だが、目に入る様々な事はその範疇に意外と坐りよく納まる。
 それを一人ひとりが心から願っているとは思えないが、いつの間にかそうなっている。
 願いと現実の乖離は、まだまだ続くだろうが、一人ひとりの心の奥は自然の営みであり、お金は自然の営みではないから、どこかで本来の元の形に戻るだろう。
 その過程が楽しみなのだが、ちょっと変なこと(悪ふざけと犠牲を払う寄り道)が過ぎるから、どこまで付き合えるか‥

 
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メディアよるメディアの為の政治

案の定、民主党政権は混乱を見せ始めてきた。
 各メディアは批判するが、批判基準そのもが恣意的で混乱を増幅させているようだ。
 例えば、郵政の社長の交代を(元官僚)を理由に(朝日新聞は民営化の逆回転)(「脱官僚」の揺れる看板)と題して批判している。
 これでは門戸による差別であり、検証のない決め付けによる実質的な政治支配である。
 与野党の政治家も国民以上にメディアに気を使い、メディアに注目されようと力を尽くす。
 情報による影響力を武器にするメディアに対し、政治家はメディア様1様!であり、メディアは横柄にあぐらをかいている。
勿論、これは一面であり、メディアは権力に追随し、スポンサーに社運をかけて奉仕する一面も持つ。
 いずれにしても、国民の命と暮らしは脇に置かれ、状況に合致した新しい政治理念を求める素振りすら感じない。 それでは、その事を人々が意識しなくてもマスメディア離れが起きるのは自然だろう。人は情報だけでなく感覚でも動くのだから。                  (小さな星の不思議な政治)
 
 
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