世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
心を無にして見てみたら
パンデミックは自然と人類の関係を事実で目に見えるようにしてくれた。
しかしこれまでの強い観念は事実を認めない。
事実を認めないから苦難は昂ずる。
在ったことを在りのまま認めることが出来 声に出せたら 苦難は遠のく。
在りのままで良い 在りのままが良い と思ってる。
花は紅 柳は緑 である。
戦う相手ではない
人類は自然の一部 コロナも自然の一部
人類はコロナと全面戦争をするが 勝ちは有り得ない
地球は人類によって壊されるも 自然はバランスを回復すべく動き出す
人類は自然と戦うが 戦う相手ではない
喧嘩ばかりして道草喰ってる
人類が自然界について知っていることは僅かで 知らないことが圧倒的に多い、それどころか実際は知らないことは無限だろう。
コロナウイルスについても発生の原因は現代科学では解明できないかもしれないだろう。対処法は別にして もし解明出来たら 事前に発生そのものを抑えられる。今 それを見通すことは出来ない。
にもかかわらず 世界の協力を後に回して 国家間の内輪もめの兆候が見られる。
この辺は今の科学の知見で乗り越えられると思うが 国家間の争いに利用され協力体制づくりを阻んでいる。大人と言いながら ケチな喧嘩ばかりやっている。
人類は自然には勝てぬ
戦争に例えられる今回のパンデミックは 全く別の意味を持つ。
戦争は人類同士の戦いだが コロナのパンデミックは 人類と自然との戦いであり、始めから人類は命や財産を一方的に失うだけで勝利は有り得ず、敗戦しかない。
このパンデミックで国家間が争ったり、国際競技のように競争して民度を自慢したりする為政者もいるが パンデミックの意味が分かっていないようで恥ずかしい。
世界的なリーダー 誰でも良いが 「どうしたら良いだろう?一緒に考えよう!」と世界に声をかける人が現れても良いのに 一人も出てこない。
結局分かっていないのだから コロナの終息後も 何度か同じようなことを経験するだろう。
宗教では神の教えがある。守らなければ罪を負い罰を受ける。
自然の掟を破れば 報いを受ける。(自然を収奪すれば それなりに自然は反応する)
それなりの自然の反応は仕方ない。それが異常気象であり コロナではないのか。
そんなことをめぐらせながら 市内を散歩していた。彼我がスッキリ見えた。
こんなでっかいパンデミックを経験しても 自然と人の関係に気が付かないのが不思議である。
マスコミ陣も超えてはいない
マスコミのどこかの下請けか機関紙のような主体性の無さもさることながら
能力の問題もあるのではないか。
視野の狭さと方向性の無さにそれを見る。
諸般の出来事を総合し全体を図式化し 先を予測し望むべく方向を指し示す これは
忖度する精神とは違った マスコミ独自の力量ではないだろうか。力があれば 例え忖度しても 情報の重さとリアリティが違い 感覚はズレない。
基本的な教育の機会を与えられのて来なかった私たちの限界か。
有用な情報
ある意味でマスコミは情報センターで水先案内の役を社会的に担っている。
市民はじめ多くの機関や組織も 水先案内からの情報に耳を傾けて行動する。
果たして マスコミは現状を把握し望まれる行き先を指し示しているだろうか?
少なくても これまではその役割は果たせず 今日のにっちもさっちも行かない行き詰まりを招いた。
今 マスコミは本来の仕事に立ち戻っただろうか? そうは思えない。
コロナ 経済 国際関係 何れも現状を把握しているとは思えず、まして好ましい方向も
指し示されない。
「専門家」を交えて権威づけるも 部分的な情報に振り回され 全体的な矛盾を深めるだけなのは 今を見たら良い。
全体的に有用な情報が共有され 行き詰まりから脱するにはどうしたら良いんだろう?
先ずは 一人一人が有用な情報を見つける事か。