学ぶは 賢治の視座

宇宙を舞台に描いた物語はあるが 宇宙と人との関係を意識して作られた物語は宮沢賢治以外に私は知らない。

それだけ 人間中心の世界観から抜け出し 普遍的事実である宇宙中心の世界観を身に付けるのは難しいと言うことだろう。

人中心の狭い世界観のまま争う世界や日本の陣営や勢力 それに加担して 政治や市民を誘導するマスコミだが それでも歩みは ゆっくり前へと進む。

今日の世界や日本は コロナを通してその形を見せ始めた。

 

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空元気が虚しく

6月末日

夕方 小雨の中を傘さして浅川まで散歩してきたた

通りのあちこちに(新型コロナに打ち勝とう!)の大きなポスターがあった

反射的に「こりゃ 駄目だ!」と思った

気合を鼓舞するのは分かるけど もっと良い表現が無かったか

本気で取り組まないどころか 一戦からリタイヤしながら

 空元気の気合ばかりが虚しく 雨にさらされていた

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安全保障で一番の脅威は

  安全を脅かすものに対して 軍隊は守れるものと守れないものがある。

  外国からの暴力に対して一定程度守ることは出来るが、国家や人命を脅かすものはそれに留まらない。

  何といっても天変地異  
      人間の活動と関わっている物でも 感染症 温暖化 生物の多様性 経済活動 食料 エネルギー 原発事故 等 沢山ある。

    安全を脅かす物の全体を見渡し安全策を立てなければ 軍隊が外国からの暴力以外の危険を増大させかねなず、安全全体のプラス マイナスはどうなるだろか?

  そんな検証や議論を聞いたことが無い。 危険の全体を考えない事が 安全保障上 最大の「脅威」ではないか。

 

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犠牲が足りないか?

パンデミックの被害はますます拡大し収まる見通しが立っていない。

WHOにはその役割を担う世界的機関だが、世界の協力体制はどうなっているだろう?

WHOへの不平不満の声は聞くが、協力や援助の声はほとんど聞かない。

既に多くの犠牲を払っているが この程度では人の心を動かすことが出来ないようだ。

もっと大きな犠牲を払わなければならないようだが、、何処までだろう?

如何なる自然現象の処理も 自然の理に適うか否かにかかっている事だけは事実である。

日本も(例外)どころではなく(逆行)していないか。

 

 

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