世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
全体が描けてない
有識者や政治家の多くは 世界の対立軸を 米中の覇権争いに据えている。
しかし、実際の対立軸は 5~60年前から 人類と自然の対立の構図ではなかったか、と考えている。
少なくても現象的には本来に回復しつつある。
そんな大きな構図で今日のマスコミや政治の動きを見ると 国際関係やコロナに関しても部分的な対応に終始し
偏狭な対応による逆行が目立ち 政策は成功しない。選択の如何を問わず最終的には従わざるを得ない、それは自然の理なり。
ニュースの谷間を読む
「来週にも イスラエルはユダヤ人入植地やヨルダン渓谷の併合を宣言する見通し。」との漏れ落ちたようなニュースを目にした。日本も世界もマスコミはこのことをまともに取り上げていないから、この事実の存在すら今は知らない。
以前、マスコミの伝えるニュースは行間やニュースとニュースの間隙を読者が読み取り自分独自のニュースを作ることを記した。
上記の一文はそれでは間に合わないことを表わしている。
マスコミにとって都合の悪い事は世界にとって重要な事実でっても報道しないのが 通常だったのだろう。
確かに今日の世界や日本の現状に道案内されて来たことを考えると十分納得できる。
経験した現状から逆算してマスコミの情報操作を読み解くことが出来なければ 私たちは現状を読み解く事が出来ず
操作され追随するはめになる。そんな世情に慣らされ気付かなかった。
ここでも本末転倒
コロナ対策で行ったり来たりを繰り返すのは 社会が社会の都合を優先した自然観で 社会的活動や行動しているからに他ならない。
基礎基本に立ち返って 人と自然を関係を見直し具体的な構想を練り上げることを 先ずやるべきだろう。応急措置はその上に立って進めるべきではないか と思う。
行ったり来たりを繰り返す
パンデミックと言いながら世界的に見ると本気で向き合い対処しているとは思えない。
コロナの人への伝染が人の動きと関係しているなら、人の動き方が重要になるから これでは収まり難い。
どうしたら良いか?の議論が大事だと思うが 全体的に疎かにされており、 結局 コロナ対策も行ったり来たりを繰り返すことになる。
全体的に解決へとは向かっていない と考えている。
手抜きした議論
コロナ感染で多くが死に経済を悪化させ 国や市民の軍事を安全を脅かしている。
国家の安全の環境の変化は 軍事的な安全への影響は 無いのだろうか?
この観点での議論が 国の内外を問わず全く聞こえない。
日本ならば 9条改憲や 北への先制攻撃の如何が語られるが 安全の総体を語られることは無い。
世界はパッチワークのような張り合わせではなく 全体が関係しあって動き変化している。
持っている自分の知識が全てであるかのような錯覚した人が多いのかもしれないが 国家やマスコミが論理を飛躍に鈍感では困る。
手抜きの感が強い。