世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
学びの機会を逃しそう
全人類が同時に一つの事で恐れおののくのは 初めての経験ではないか。
人間の如何なる国家や独裁者であれ成し得なかったことをコロナウイルスは成し遂げた。 人間がワクチンや効果的な薬を開発しても それで終わりではない。何故なら
自然をスポンサーのようにしているのだからまた次々繰り出せる。
コロナの実態は自然 私達は 自然に対峙し恐れおののきマスクをし動きを止められてしまった。
私達は コロナの経験から 何を学んでいるだろう?
学び損ねると スポンサーは次の矢を射るだろう。それを待っているような気がしてならない。
小さく見える
今は 何といってもニュースの中心はこのパンデミックではないか。
人類と地球(自然)とのかつて無い対決なのだから 世界や日本の現状を細かく伝えてほしい と思う。
ある意味で世界の矛盾 解決すべき問題の全てが ここに集約されていると思う。
日本は マスコミも政府もパンデミックからリタイヤした感が強いが またもや周りの国の目を意識して動くのでは 自らの展望を開くことは出来ない。
自然の成り行きを待つほか無いのだろうか。
ニュースを作る主人公は自分で良い
コロナは区切りもつけず危なさを残したまま マスコミの眼は次に転じたようだ。
国会も閉会になりそれに合わせたのかもしれない。
時事ニュースは 朝鮮半島 次期総理候補 米国の大統領選挙と米中の関係と 成り行き任せの様相を呈し、取り上げ方も パターン化したステレオタイプだったり 興味本位の末節的な話題に終始し コマーシャルの合間を縫う感じになって来た。
マスコミの無責任な社会的役割と能力を露出しているような感じすらする。
新聞やテレビから一歩離れ 行間を読むように独自にニュースを組み立てないと 時代に付いて行けなくなりそうな気がしている。
これで良いのかもしれないが‥
個人の限界
昔 オムニバス映画があった。いくつかの小話を繋げて 一つのメッセージを伝える。
現代社会は細分化し専門化しており 全体をカバーするのは難しい。
それは政治・経済・マスコミなど どの分野も同じだろう。
パンデミックにありながらそれを社会的に認識することが出来ず漂流する大きな原因ではないだろうか。
ある目的や課題を解決すべく 違った畑の専門家を集め 共同して研究・開発 する方式は拡がっているはいるが 本格的ではない。
コロナ後も 政府 経済 医療の専門家で描ける課題ではない。
すでに社会が歯車化している中で 立場や専門家の限界を考えずして 全体知を求め 社会を全体的にカバーすることは出来ない。この社会では個人には自ずと大きな限界があり パズルのようにはめ込んで初めて形が見えて来る。
立場も専門家も個人であり 個人には限界がある。
指導者には特にその自覚が必要だが 現実はどうだろう?
昔見たオムニバス映画の発想が 今 役立つとは思わなかった。