世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
うまい言葉が見つからない
昨日は「1枚の絵」のタイトルでで書いたのだけど、言いたいことがうまく言えない。
個人・団体・国に関わらず、どこか自己中心的で子供ぽい振る舞いと相手の立場をわきまえた(さすが大人)と言いたくなる振る舞いの違いがいいたいのだ。
夫婦でも性格の違いがより豊かな関係を作りもするし、逆に破綻の原因にもなる。
前者は夫婦の感覚の違いは擦り合わされ、新しい価値を生むが後者は一方に支配されたり依存したりし長くは持たない。
人称代名詞を使うと、1人称と2人称の世界と両者を含めた3人称(人々・皆)の世界がある。自分の言い分だけ主張するのは自己中心的で幼稚な1人称的人間であり1人称の目しか持てないだけである。その人間は相手が自分と対峙した存在として2人称が登場する。(自分か君か)の関係になり相手を1人称の目で見る。お互いに1人称の目で見ていることになる。ここで言いたいのは単にそれらを調整する第3者の目が大切だと言いたいのではなく、両者の違いから新たに発する普遍的な意味や価値、逆に言えば普遍的な価値から見た両者の価値と意味、それを見る目それが私の言いたい3人称の目である。そんな3人称の目が個人でも国でも必要ではないか。ここで言う目は主張とか利益と置き換えてもいい。要するに全体としてどうなのかを見ることの大切さを言いたい。(国敗れて山河あり)の、のどかな時代ならともかく現代は世界中、(国勝っても山河なし)の状態ではないだろうか。武力戦争にしろ経済戦争にしろ地球的には以前と意味が違ってきているはずだ。小難しく書いたかもしれないがとにかく他と対立したとき得るものと失うものの計算を厳密にやること。計算は従来どおりでは間に合わないこと、を肝に銘じなければならない。これらを本当に計算しつくされた上なら対立や妥協も仕方ないのかもしれないが考えにくい。北朝鮮の1人称的振る舞いは誰の目にも明らかだが、咎める国々もよっぽど気をつけなければ、目くそ鼻くそになる。中国や日本の代表が使う「譲る」のあいまいさがが気になる。
教育の場で子供同士が喧嘩した時、いい加減に譲り合いを促していいことはない。諌める教師も含めそこで新しい価値を見出した時始めて解決し、後の足しになる。
長い教師生活で勉強したことの一つは(教師面)は教育上よくない事だ
。現代は個人も集団も国も教師面では間に合わない。
また言いたいことがずれたが、これからも3人称の目・利益・主張このことを言い表す端的な言葉を見つけたい。
個人・団体・国に関わらず、どこか自己中心的で子供ぽい振る舞いと相手の立場をわきまえた(さすが大人)と言いたくなる振る舞いの違いがいいたいのだ。
夫婦でも性格の違いがより豊かな関係を作りもするし、逆に破綻の原因にもなる。
前者は夫婦の感覚の違いは擦り合わされ、新しい価値を生むが後者は一方に支配されたり依存したりし長くは持たない。
人称代名詞を使うと、1人称と2人称の世界と両者を含めた3人称(人々・皆)の世界がある。自分の言い分だけ主張するのは自己中心的で幼稚な1人称的人間であり1人称の目しか持てないだけである。その人間は相手が自分と対峙した存在として2人称が登場する。(自分か君か)の関係になり相手を1人称の目で見る。お互いに1人称の目で見ていることになる。ここで言いたいのは単にそれらを調整する第3者の目が大切だと言いたいのではなく、両者の違いから新たに発する普遍的な意味や価値、逆に言えば普遍的な価値から見た両者の価値と意味、それを見る目それが私の言いたい3人称の目である。そんな3人称の目が個人でも国でも必要ではないか。ここで言う目は主張とか利益と置き換えてもいい。要するに全体としてどうなのかを見ることの大切さを言いたい。(国敗れて山河あり)の、のどかな時代ならともかく現代は世界中、(国勝っても山河なし)の状態ではないだろうか。武力戦争にしろ経済戦争にしろ地球的には以前と意味が違ってきているはずだ。小難しく書いたかもしれないがとにかく他と対立したとき得るものと失うものの計算を厳密にやること。計算は従来どおりでは間に合わないこと、を肝に銘じなければならない。これらを本当に計算しつくされた上なら対立や妥協も仕方ないのかもしれないが考えにくい。北朝鮮の1人称的振る舞いは誰の目にも明らかだが、咎める国々もよっぽど気をつけなければ、目くそ鼻くそになる。中国や日本の代表が使う「譲る」のあいまいさがが気になる。
教育の場で子供同士が喧嘩した時、いい加減に譲り合いを促していいことはない。諌める教師も含めそこで新しい価値を見出した時始めて解決し、後の足しになる。
長い教師生活で勉強したことの一つは(教師面)は教育上よくない事だ
。現代は個人も集団も国も教師面では間に合わない。
また言いたいことがずれたが、これからも3人称の目・利益・主張このことを言い表す端的な言葉を見つけたい。
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1枚の絵
人は色々な所で色々なこことを言い色々なことをやっている。脳裏に1枚の絵を感じ描きながら。その絵には地球(世界)と人の幸せを求める心が描かれている。両者が1枚の絵に納まっている。広がりや深さやはっきり具合は様々だが。大人は絵になり子供は感じている。この絵なしに精神的に個人は自立し国は独立するのは難しい。それは地球と個人の変化について行けてるかついて行けてないかも表す。間もなく始まるG8サミットの各国代表の動きをよくよく見てみたい。脳裏に1枚の絵が描かれているかどうかを。(正直に言うと)世界のリーダーが意外に個人としても成熟どころか自立できるほど1枚の絵も描かれていないのではないかと危惧している。相変わらず国際間のダイナミックス(力動的関係・言い分・かけ引き・マチラッツイとジダンのような共有すべきものを欠いた関係・北朝鮮によく見られる)から出られないのではないだろうか。そのリーダーは内省を欠き相手への近視眼的意識があふれ言葉は踊る。一人ひとりの表情や言葉の端に出るはず。それ以前になるが、安保理決議案の修正をめぐる世界のリダー動きややメディアの論評も1枚の絵を基準にしっかり観察したい。
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戦争
個人の利益が対立すると喧嘩になる。国益が対立すると戦争になる。どんな場合も
原因は「相手が悪い」になる。ジダンの頭突きも全く同じ。
今日のワイドショーは北朝鮮の安保理決議に対する国際的な反応と同時に日本の先制攻撃
準備論について取り上げていた。いろいろな意味で危うい。
その中で、石破元国防長官は「各国の国益が異なり安保理決議への対応が違っている」「国民の生命を守るため先制攻撃はありうる」と述べていた。その通りだろう。子供のころの喧嘩を思い出すとその通りだ。しかし喧嘩で手を出すと、家でも学校でも必ず「喧嘩両成敗」「どっちもどっち」と叱られたしなめられた。大人はもっと大きな視野でみていた。また子供のときも大人になってからも同じだが、喧嘩をよくする人と、殆ど口喧嘩もしないそれでいて周りの信頼も厚くやりたいことをしっかりやっている人もいた。
前記の子供と大人、よく喧嘩する人と喧嘩をしない人、違いは何か。
国益の対立が戦争になると言うが、昔は別にして地球の危機(環境破壊や資源の枯渇)に遭遇している現代、戦争そのものが国益になるのか。共倒れにならないか。本当に厳密に得るものと失うものを計算してほしい。あくまでもプライドや勝負ではない本当の国益について。今の地球を考えると「国敗れて山河あり」は懐かしい。「国勝っても山河なし」にならないか。
しっかり現実を見てほしい。サッカーではないがワイドな状況判断が求められる。
それが本当のグローバリゼーションだし国際感覚ではないだろうか。
国の自然や歴史や伝統を大切にするのと同じように、地球を大切にすることが人類全てに求められているのではないだろうか。紆余曲折はあっても、いつかはそうなるだろうしならざるをえないと思う。
目前のことは一つの紆余曲折に過ぎないが、苦手とは言えリスク管理は必要。
原因は「相手が悪い」になる。ジダンの頭突きも全く同じ。
今日のワイドショーは北朝鮮の安保理決議に対する国際的な反応と同時に日本の先制攻撃
準備論について取り上げていた。いろいろな意味で危うい。
その中で、石破元国防長官は「各国の国益が異なり安保理決議への対応が違っている」「国民の生命を守るため先制攻撃はありうる」と述べていた。その通りだろう。子供のころの喧嘩を思い出すとその通りだ。しかし喧嘩で手を出すと、家でも学校でも必ず「喧嘩両成敗」「どっちもどっち」と叱られたしなめられた。大人はもっと大きな視野でみていた。また子供のときも大人になってからも同じだが、喧嘩をよくする人と、殆ど口喧嘩もしないそれでいて周りの信頼も厚くやりたいことをしっかりやっている人もいた。
前記の子供と大人、よく喧嘩する人と喧嘩をしない人、違いは何か。
国益の対立が戦争になると言うが、昔は別にして地球の危機(環境破壊や資源の枯渇)に遭遇している現代、戦争そのものが国益になるのか。共倒れにならないか。本当に厳密に得るものと失うものを計算してほしい。あくまでもプライドや勝負ではない本当の国益について。今の地球を考えると「国敗れて山河あり」は懐かしい。「国勝っても山河なし」にならないか。
しっかり現実を見てほしい。サッカーではないがワイドな状況判断が求められる。
それが本当のグローバリゼーションだし国際感覚ではないだろうか。
国の自然や歴史や伝統を大切にするのと同じように、地球を大切にすることが人類全てに求められているのではないだろうか。紆余曲折はあっても、いつかはそうなるだろうしならざるをえないと思う。
目前のことは一つの紆余曲折に過ぎないが、苦手とは言えリスク管理は必要。
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ズレの基準
「チャップリンは時代からも当時の映画の作り方からも自らの映画の作り方からさえズレた作品を次々作った。今思うとその当時の普通がズレており、だからこそ彼の作品は時代を超え人々を泣かせ、笑わせる」というチャップリンの評論を見た。全くそうだと思った。
現代は何がどうズレているのだろうか。国の内外を問わず意外な出来事が多い。お金と競争に明け暮れ地球や子供が悲鳴を上げてもアクセルを踏む一方なのだからズレていることは間違いない。チャップリンは人間の幸福から見た人為(機械文明と権力と情報の危うさ)がズレの基準だったのだろう。現代も幸福と人為のズレは同じだろうが半世紀後の今、「人の幸福」はさらに地球や自然を母体とした「人の生命」と人為とのズレにま止揚しているのではないか。
北朝鮮の問題も、子供を奪い、核やミサイルで戦争をほのめかすのだから、地球の生命を脅かすこの行為は断じて許されない。基準を人間を含めた地球の生命におくと、チャップリンはどんな作品を作るだろうか見てみたい。基準を単に政治や経済のダイナミックスではなく現代のズレをしっかり意識した文化人は出てこないものか。国の内外の立場にとらわれずしっかり地球の立場に立った人のメッセージはないものか。
現代は何がどうズレているのだろうか。国の内外を問わず意外な出来事が多い。お金と競争に明け暮れ地球や子供が悲鳴を上げてもアクセルを踏む一方なのだからズレていることは間違いない。チャップリンは人間の幸福から見た人為(機械文明と権力と情報の危うさ)がズレの基準だったのだろう。現代も幸福と人為のズレは同じだろうが半世紀後の今、「人の幸福」はさらに地球や自然を母体とした「人の生命」と人為とのズレにま止揚しているのではないか。
北朝鮮の問題も、子供を奪い、核やミサイルで戦争をほのめかすのだから、地球の生命を脅かすこの行為は断じて許されない。基準を人間を含めた地球の生命におくと、チャップリンはどんな作品を作るだろうか見てみたい。基準を単に政治や経済のダイナミックスではなく現代のズレをしっかり意識した文化人は出てこないものか。国の内外の立場にとらわれずしっかり地球の立場に立った人のメッセージはないものか。
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予想外れ率
株をやっていいると予想外れは普通。証券会社やアナリストのお勧めもそれなりに聞かなければいいことはない。景気の動向は政府の予測も殆ど当てにできない。政府は「景気が悪くなる」とはいえない立場にあることが最近分った。何故ならそのメッセージが経済そのものを左右するし、対策の責任を求められるから。だから政府の経済予測が当たった記憶がない。(勿論どこを見るかによる)
ワールドカップ・冬季オリンピック・女子バレー・卓球などスポーツ界も予想外れが多い。教育政策の予測もことごとくと言っていいほど外れている。
まだまだある。耐震偽装、医療データーの捏造、学者の研究費流用、絵かきさんの盗作、いやはやまだまだ わが子の隠れた才能、女房の隠された性格、自分の顔も人生もほとんど予想外・想定外だった。混ぜ返しちゃったが、地球環境は勿論、イラク戦争の展開から私事にいたるまで予想外れが多い。ここのところ特に空振りが多くなっているようだ。3割打者はやっぱりすごい。偉そうに言わないように気をつけよう。
ワールドカップ・冬季オリンピック・女子バレー・卓球などスポーツ界も予想外れが多い。教育政策の予測もことごとくと言っていいほど外れている。
まだまだある。耐震偽装、医療データーの捏造、学者の研究費流用、絵かきさんの盗作、いやはやまだまだ わが子の隠れた才能、女房の隠された性格、自分の顔も人生もほとんど予想外・想定外だった。混ぜ返しちゃったが、地球環境は勿論、イラク戦争の展開から私事にいたるまで予想外れが多い。ここのところ特に空振りが多くなっているようだ。3割打者はやっぱりすごい。偉そうに言わないように気をつけよう。
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ジダンのMVPは何事ぞ
世界の様々な顔を見せてくれたワールドカップもイタリアの優勝で終わった。
プレー以外でも素敵な場面がいっぱいあったし十分楽しませていただいた。スポーツの祭典にどうかな?と納得できないこともあった。ジダンのMVPだ。
ルール違反の暴力行為にフランス人自身が「バカなことをした」と冷静なサポーターの声があるにもかかわらず、決勝戦以前に決まっていたのかもしれないが解せない。ルール軽視の感覚の影響は世界中の青少年をはじめ間接的には計り知れない。世界も国内もいろんな分野で、法の軽視が目立つ昨今なのにスポーツでも「強ければいい」「勝てばいい」のメッセージを送っているのでは。これじゃーお祭りの悪乗りでこの付けも最後はブーメランのごとく自分に戻ってくるものだ。
プレー以外でも素敵な場面がいっぱいあったし十分楽しませていただいた。スポーツの祭典にどうかな?と納得できないこともあった。ジダンのMVPだ。
ルール違反の暴力行為にフランス人自身が「バカなことをした」と冷静なサポーターの声があるにもかかわらず、決勝戦以前に決まっていたのかもしれないが解せない。ルール軽視の感覚の影響は世界中の青少年をはじめ間接的には計り知れない。世界も国内もいろんな分野で、法の軽視が目立つ昨今なのにスポーツでも「強ければいい」「勝てばいい」のメッセージを送っているのでは。これじゃーお祭りの悪乗りでこの付けも最後はブーメランのごとく自分に戻ってくるものだ。
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北朝鮮
北朝鮮の拉致問題・ミサイル問題 直接関係する日本は経済制裁を施し国連安保への決議を求めた。交渉を基本にしながらも国際世論と力をバックにして解決を図っているようだ。それなりに正当性がある。2~3日前石原都知事は、「アメリカが
爆撃すれば金政権は吹っ飛ぶ」と軍事力の使用まで口にしていた。確かに力の論理は行き着くところそうなるかもしれない。爆撃ならやられる前にやらないと意味がないのも当たり前。今日本はそういう狭間に存在してるのかもしれないが、何か危ういものを感じないでもない。戦争で命を落とした多くの人たち(叔父は同級生の従兄弟を残してアッツ島で玉砕した。最後の思いを家族に書き残していた)は今の我々にに何が言いたいだろうか。改めて考えてみたい。
爆撃すれば金政権は吹っ飛ぶ」と軍事力の使用まで口にしていた。確かに力の論理は行き着くところそうなるかもしれない。爆撃ならやられる前にやらないと意味がないのも当たり前。今日本はそういう狭間に存在してるのかもしれないが、何か危ういものを感じないでもない。戦争で命を落とした多くの人たち(叔父は同級生の従兄弟を残してアッツ島で玉砕した。最後の思いを家族に書き残していた)は今の我々にに何が言いたいだろうか。改めて考えてみたい。
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成熟と崩れ
小泉首相はブッシュ大統領との記者会見で両国の関係をかつてない「成熟した関係」
と誇示した。石原東京都知事はこの閉塞した時代にオリンピックを開き、東京の「成熟した都市」を世界にアピールしたいとオリンピック招致の異議を述べた。偶然とはいえ日本や東京の状態を「成熟」と表現した。果たして「成熟」の言葉が現状を表す言葉として適切か?
確かにGDP世界第2位の日本とその首都ではあるが、同時に借金まみれの少子化・老人・自殺大国でもあり、驚くようなな犯罪も増えている。日本や東京を1枚の絵にすると「成熟」を過ぎた「崩れ」や所によっては「枯れ」の風景になるのは私だけだろうか。生きてきた過程や、今見ている風景の違いによるとは思うが。
それにしても知事の言っている[閉塞感のある成熟した都市」って何だろう?どんな東京の絵になるのか?書きようがないではないか。私は首相も知事も立場から出てくるメディア向けの言葉は別にして、頭の中の映像は私とそんなに違いはないのではないかとつい思ってしまう。
と誇示した。石原東京都知事はこの閉塞した時代にオリンピックを開き、東京の「成熟した都市」を世界にアピールしたいとオリンピック招致の異議を述べた。偶然とはいえ日本や東京の状態を「成熟」と表現した。果たして「成熟」の言葉が現状を表す言葉として適切か?
確かにGDP世界第2位の日本とその首都ではあるが、同時に借金まみれの少子化・老人・自殺大国でもあり、驚くようなな犯罪も増えている。日本や東京を1枚の絵にすると「成熟」を過ぎた「崩れ」や所によっては「枯れ」の風景になるのは私だけだろうか。生きてきた過程や、今見ている風景の違いによるとは思うが。
それにしても知事の言っている[閉塞感のある成熟した都市」って何だろう?どんな東京の絵になるのか?書きようがないではないか。私は首相も知事も立場から出てくるメディア向けの言葉は別にして、頭の中の映像は私とそんなに違いはないのではないかとつい思ってしまう。
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師走→迷走
教師にとって年から年中が(師走)になって久しい。
世の中全体が忙しいののだから仕方ないともいえるが、いつのころからかその忙しさの内容が異常だ。勤務時間がないに等しく、帰宅しても仕事の持ち帰りで休日もゆっくどころでない。時間だけならまだいいのだが、仕事の中身がより深刻だ。
一般的に授業と少々の準備が教師の仕事のように見られているが、実際は「忙しくて仕事もできない」が言いえて妙。
書類作りがやたらと多い。公簿や準公簿は昔からあったが今は週安、授業案・研修計画・経営案・研究収録・行事計画・統計、学級通信などの保護者向け手紙などなど。
その上研修会や出張がこれまたやたらに増えている。教諭だけでなく管理職(校長や教頭)の出張は普通の人が聞いたら、驚かない人はいないだろう。
教師だから子供のためなら仕方ない。勿論上記の仕事も子供に関係あるといえばあるのだが、教師もあれもこれもはできないから自ずと優先順を決めることになる。子供に自習させて書類を作ったり、お留守番を頼んで
出張することになってしまいかねない。今の時代だから目に見える教室掲示や教材作り(殆どプリントの印刷)に走ってしまう。肝心の教材研究や子供との人間関係作りは後回しになる。要するに目に見えることに追いまくられ目に見えないところに手が回らない。そう言う時代だから仕方ないとはいえ、「教育」や「育てる」って目に見える営みだろうか。それは時代に関係なくありえないと思う。忙しくて仕事もできないほど走り回る。勿論それを子供が望むはずはなく上からの行政指導やそれに従う管理職によって作られた状況だ。「師走」より「迷走」だ。
教師がおっぴらに迷走している時代だから
それに合わせる父母や子供は勿論その渦の中。
ところで目を転じて広く周りを見るとどうだろう? 北朝鮮のミサイルは、世界的
な迷走だろう。ワールドカップでもはじめの煽り方と負けた後の非難と落ち込みはやっぱり迷走の観がする。地球の異常さから目をそらし世の中に次々起きる出来事に驚きあわてふためくメディアや政治をはじめ自分は勿論どんな立場の人もこの迷走の群れの中にいるのではないだろうか
。
世の中全体が忙しいののだから仕方ないともいえるが、いつのころからかその忙しさの内容が異常だ。勤務時間がないに等しく、帰宅しても仕事の持ち帰りで休日もゆっくどころでない。時間だけならまだいいのだが、仕事の中身がより深刻だ。
一般的に授業と少々の準備が教師の仕事のように見られているが、実際は「忙しくて仕事もできない」が言いえて妙。
書類作りがやたらと多い。公簿や準公簿は昔からあったが今は週安、授業案・研修計画・経営案・研究収録・行事計画・統計、学級通信などの保護者向け手紙などなど。
その上研修会や出張がこれまたやたらに増えている。教諭だけでなく管理職(校長や教頭)の出張は普通の人が聞いたら、驚かない人はいないだろう。
教師だから子供のためなら仕方ない。勿論上記の仕事も子供に関係あるといえばあるのだが、教師もあれもこれもはできないから自ずと優先順を決めることになる。子供に自習させて書類を作ったり、お留守番を頼んで
出張することになってしまいかねない。今の時代だから目に見える教室掲示や教材作り(殆どプリントの印刷)に走ってしまう。肝心の教材研究や子供との人間関係作りは後回しになる。要するに目に見えることに追いまくられ目に見えないところに手が回らない。そう言う時代だから仕方ないとはいえ、「教育」や「育てる」って目に見える営みだろうか。それは時代に関係なくありえないと思う。忙しくて仕事もできないほど走り回る。勿論それを子供が望むはずはなく上からの行政指導やそれに従う管理職によって作られた状況だ。「師走」より「迷走」だ。
教師がおっぴらに迷走している時代だから
それに合わせる父母や子供は勿論その渦の中。
ところで目を転じて広く周りを見るとどうだろう? 北朝鮮のミサイルは、世界的
な迷走だろう。ワールドカップでもはじめの煽り方と負けた後の非難と落ち込みはやっぱり迷走の観がする。地球の異常さから目をそらし世の中に次々起きる出来事に驚きあわてふためくメディアや政治をはじめ自分は勿論どんな立場の人もこの迷走の群れの中にいるのではないだろうか
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ものの見方考え方
水は電気を通すかどうかを問われたら多くの人は《通す》と答える。実際はきれいな水は通さず、不純物が入っているときのみ通す。人は思っていることと事実が一致しないことが多い。自然科学でもそうなるのだから、社会の出来事はなおさらである。
高校生の放火殺人事件。良家の息子、しかも父親が行き過ぎだと言われても、息子の為と考え精一杯やった結果だった。あの事件を見て、もしお医者さんの父親が息子の探索行動(どの生物も持っている生来の性質)を意識していたらと思う。しかし
改めて考えてみるとどこにそんな人がいるだろうか。専門家といえども、私自身もあの父親と程度の差はあれ、全く別とは思えない。
あの息子の立場で考えると、あれは自分と関係ないといえる子供がいるようには思えない。だからどこの家庭もあの殺された家族は他人事ではないはず。
秋田の事件にしろ川崎のダンボールに入った3遺体発見の事件にしろ(異常で普には考えられない)として解説され報道された。異常で済ませるのは情緒的には訴えても分析や解説になっていると言えないと思う。(お釈迦さんなら「全て因縁」と言ったかも知れない。)原因・結果を明らかにしなければ、事件の解明にはならないだろう。語弊はあるが異常とも思える心理や行動が自分の中にも見出し想像する中で、事件全体が絵として自分の中にまとまり納まる。
今日は朝から北朝鮮のミサイル発射でテレビも大変。本当に朝鮮は馬鹿なことをした。全く世界のこと、国民のことが分っていないと思う。ただ私は前記のように《なんと馬鹿な・異常な》と言っていても、対応は報復以外に方法はでてこないだろうと思う。
日本もそれを望んでいるわけではないだろうから、もう一歩見方考え方を冷静な分析・対応のレベルに持ち上げないといけないのではないか。小学校の子供達と付き合っていると、勿論レベルは違うが似たようなトラブルはしょっちゅうある。落ち着いて因果を明らかにした上で対応対応することは教師として最低限の心がけだ。見方考え方では常に《思いと事実の区別》を意識しなければならない。
養老 孟さんなら「朝鮮は(バカの壁)に囲まれて分っていない。日本はそのことを謙虚に教えてあげるといい」と言うかもしれない。小泉さんはただ一言「常識で」と言うかもしれない。本当に「バカの壁」と「常識」を念頭において解決されることを願っている。
高校生の放火殺人事件。良家の息子、しかも父親が行き過ぎだと言われても、息子の為と考え精一杯やった結果だった。あの事件を見て、もしお医者さんの父親が息子の探索行動(どの生物も持っている生来の性質)を意識していたらと思う。しかし
改めて考えてみるとどこにそんな人がいるだろうか。専門家といえども、私自身もあの父親と程度の差はあれ、全く別とは思えない。
あの息子の立場で考えると、あれは自分と関係ないといえる子供がいるようには思えない。だからどこの家庭もあの殺された家族は他人事ではないはず。
秋田の事件にしろ川崎のダンボールに入った3遺体発見の事件にしろ(異常で普には考えられない)として解説され報道された。異常で済ませるのは情緒的には訴えても分析や解説になっていると言えないと思う。(お釈迦さんなら「全て因縁」と言ったかも知れない。)原因・結果を明らかにしなければ、事件の解明にはならないだろう。語弊はあるが異常とも思える心理や行動が自分の中にも見出し想像する中で、事件全体が絵として自分の中にまとまり納まる。
今日は朝から北朝鮮のミサイル発射でテレビも大変。本当に朝鮮は馬鹿なことをした。全く世界のこと、国民のことが分っていないと思う。ただ私は前記のように《なんと馬鹿な・異常な》と言っていても、対応は報復以外に方法はでてこないだろうと思う。
日本もそれを望んでいるわけではないだろうから、もう一歩見方考え方を冷静な分析・対応のレベルに持ち上げないといけないのではないか。小学校の子供達と付き合っていると、勿論レベルは違うが似たようなトラブルはしょっちゅうある。落ち着いて因果を明らかにした上で対応対応することは教師として最低限の心がけだ。見方考え方では常に《思いと事実の区別》を意識しなければならない。
養老 孟さんなら「朝鮮は(バカの壁)に囲まれて分っていない。日本はそのことを謙虚に教えてあげるといい」と言うかもしれない。小泉さんはただ一言「常識で」と言うかもしれない。本当に「バカの壁」と「常識」を念頭において解決されることを願っている。
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