世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
経済的被害
今回のウイルス騒ぎで世界の国々の経済基盤の相対的強弱が試されるかもしれない。
自然との関係をとり違えてる世界は 基本的には何処も被害を被るが 中でも経済をバブル経営をしている国家の被害はより大きくなるだろう と思う。
場合によってはウイルスを発生させた中国の被害より バブル化したアメリカや日本などの欧米先進国の被害の方が大きくなることも予測しておくことも必要だろう。
良い兆は見られる
誰もが ウイルスの自然現象が 直接人為の象徴のような世界の株価を左右するのを目にしてる。
人類が この時代感覚を共有した意味は大きい。
否が応でも 自然と人為の関係 しかも世界規模での関係を意識せざるを無くなった。
論理的に事は進まないだろうが、 節目には成るだろう。
新聞やテレビ 公の動きは 99パーセントと言って良いほどの変化はないが 僅かではあるが変化の兆しは
はっきり見える。 久しぶりに御用学者の批判を民間テレビで目にした。
まだまだ呑気‥本気になれ!
9時からやってるテレビ朝日の新型肺炎の番組
テレビ報道の政治のプロパガンダの印象を変えていた。
テレビを使い世論も同次元で参加しないと 今の危機を回避できないとの判断からだろう。
マスコミの本来の立場であり 危機が知らしめた学習効果だろう。他の分野にも波及して欲しいが
どの時点でブレーキがかかるかを注目しなければばならないのも現実。
大火の中で騒ぎ立てるのとは違い 立場を越えて市井の私たちも知恵を出し合うべき時なんだろう。
バカボンパパ曰く「これで良いのだ。」
WHOはパンデミック宣言をすべきだし 国連の安全保障会議 臨時にでもG7のサミット G20を即座に開くべきだろう。
世界をリードしたいなら トランプさんでも安倍さんでも習さんでもプーチンさんでもメルケルさんでもローマ法王でも 誰でも良いから 声を上げるべきだろう。 そんな声が出てこないほどの人類規模の危機だと自覚すべきだ。
危機に期待
ウソと不正が罷り通る世の中だが 昨日来の株価の暴落は世の中を操る人たちの慌てぶりを意味していないか。
慌てても正気で対策を立てなければ我が身に降りかかるから、ここまで来ると真面な考えが浮上せざるを得ない。
ウソと不正に身を任せる危険から 「危機がチャンス」となる試行錯誤の学習効果に期待している。
グレタさん曰く「おとぎ話から目を醒ませ」 ‥ウイルスで 余り期待は出来ないが 少しは目を醒まさざるを得ないだろう と考えている。
世界は非常事態宣言を
世界にしっかりした統治機関があったら
世界経済 自然災害 新型肺炎の世界的流行 これらが重なっている現在 非常事態宣言を発令しても良いのではないか と思う。
2~3年前の北朝鮮のミサイルに対する Jアラート時より遥かに危険を感じる。
非常事態が長期間にわたるのもおかしな話だが 世界はこの計り知れない非常事態に 初期対応すら出来ないでいる。
国々が唱える「世界の平和と繁栄」「恒久平和」が虚しいが 自然の理によって成るようになるから 大丈夫。
人権を蹂躙していないか。
コマーシャルの多さに呆れてる。しかも無断で郵便ポストに入り土足で茶の間に侵入する。
幸福追求 健康で文化的な生活 公共の福祉 に反しないのだろうか?
憲法を変えたい人も変えたくない人も どう考えているんだろう?
毎日 朝から晩まで 見たくないものを一方的に急に見せられてはたまらない。
見どころの多い世の中
アメリカの予備選のことが細かく伝えられてい
世界の現状や今後にそれだけの意味を持つとは考え難い。
南極の氷解 オーストラリアの山火事後の水害の様子 アフリカや中南米の難民 パレスチナ難民
国内でも国民の各階層や子供の生活実態 などコロナ以外でも必要かつ重要な情報が沢山ある。
それらを省いて予備選を伝えるマスコミの全体的社会認識や社会事象のバランス感覚の悪さの方がニュースかな?と思うほどである。
いつまでもこんなことが続くとは思えない。 何故なら 結局はマスコミ自身が現状に取り残されるのだから。
マスコミも立ちどう立ち直りするのか 見どころの多い世の中である。
ウイルスのお蔭?
アメリカとタリバンが和平へ向けての交渉を開始すると言う。
世界各地の武力紛争がここに来て 下火になっているように感じていた。
そう願っているが もしかしたら コロナウイルスのお蔭か? とも思う。
生命や世界経済への影響が大ならば 紛争どころではないだろう。
危機はチャンス
事実を隠す権力や行政の無謬主義が覆う世界や日本が 新型コロナウイルス騒ぎで事実を隠しきれない状況は 今後の社会発展に 大きく寄与するだろうと期待している。
そんな采配やマスコミ報道を期待し注視している。雑音は論外。
個人の生命や経済的利益だけでなく社会機能に関わる事態にどう対応するかが問われてる。
今は必ずしもそこまでは行ってない。
高き山を仰ぎ見るが如し
人は幸せになることを希望しているのだから
新聞やテレビから勇気や元気を貰う量は 社会発展のバロメーターになるかもしれない。
ただ、コマーシャルをはじめとした新聞やテレビの情報の魅力は 少なくなっているとも言われてる。
ソーシャルメディアも基本的には変わらないだろう。
今は 心配や空騒ぎの記事が圧倒的に多く 本当に元気を貰う記事は少ないだけに 今後が楽しみである。 低きは高きを仰ぎ見られる。
« 前ページ | 次ページ » |