四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

写真でふり返る一年

2010年12月31日 | 政治活動

 今年も一年、本当にお世話になり、ありがとうございました。ありがたく、あたたかい気持ちで年末を迎えています。

 今年も充実した一年を送ることができました。この一年のブログから、写真でふり返ってみます。

【1月】父が市長を退任し、政界引退。
1  三期十二年、皆様のお世話になって務め上げさせていただいた市長職から父が退きました。
 もう“市長の息子”とは言われないんだなあと思って、ちょっと気楽になりました。
 4年前の府議選の時にも怪文書が流されましたし、“市長の息子”という言葉にはずいぶん偏見に満ちた先入観があることを体感した12年間でした。(写真は北原さんに肩車されて、おじいちゃんの退庁の挨拶を見守る小源太)

【2月】山崎善也新市長、初登庁!
2  1月の市長選で応援させていただいた山崎善也市長が、新しい綾部市長として市役所に入られました。登庁式には多くの市民が駆けつけました。
 市長選は民主党推薦候補との激戦で、政権をとったばかりの中央から前原国交大臣が来綾して、国からの公共事業をチラつかせて集票を図られたりもしましたが、綾部市民はそうしたものに惑わされず、これからの綾部市を託せる山崎市長を選出しました。

【3月】玉川さんの結婚
3  綾部に帰った頃から、ずっと一緒に活動させていただき、お世話になっている正暦寺の玉川弘信副住職が結婚されました。
 周囲にはあまり知らせずに交際をしておられた頃、絶対に飲み会を断らなかった玉川さんが、連日、飲み会の誘いを断られるので、「玉ちゃんは最近おかしい」「体調がよっぽど深刻なのか?」という様々な噂が飛び交っていました。

【4月】綾部幼稚園PTA会長に
4  長男・小源太が綾部幼稚園に入園し、綾部幼稚園PTA会長になりました。
 副会長になってくれた同級生の荻野力也くんが「僕が副会長やるで、ゲンチャンは会長引き受けな」と言ってくれて、女性副会長の中村仁美さんと二人で、実務をほとんど支えていただいています。
 他の役員さん方も、皆さんどなたが会長をやっても遜色ないリーダーシップと実務能力のある方ばかりで、今年の事業は全てスムーズに進みました。(入園式の後、他の役員の皆さんと自己紹介をする)

【5月】げんたろう新聞のつどいを開催
5  いつも『げんたろう新聞』の配布をお世話になっている方々にご案内して、『げんたろう新聞のつどい』を開催しました。
 100名を超える皆様にお集まりいただき、様々なご意見や励ましの声をいただきました。
 『げんたろう新聞』は4年前の落選の2ヵ月後から、毎月発行し、手配りで支援者の皆様にお届けさせていただいています。
 会場には、二ノ湯智参議院議員にもお越しいただきました。二ノ湯先生も毎月、「えとす」という広報誌を発行しておられる『新聞』の大先輩でもあります。
 二ノ湯先生からは「政治家は飲み食いして票を稼ぐという人もあるが、私はやはり政治家の原点は源太郎くんのような地道な活動だと思う。議員でもこういうことを毎月できる人はなかなかいない。彼は議員になる前から実践できており、将来がたのもしい」と激励していただきました。

【6月】ⅰPAD(アイパッド)を買う
6  ⅰPADを発売早々に買いました。
 日頃はこれだけ早くに話題の品を買うことはないのですが、ⅰPADは次代のキーワードになる予感がしたのと、子どもたちの教育のために壊されてもいいから触らせてやろうと思いました。

【7月】参院選、二ノ湯参議院議員再選!
7  夏の参院選は、自民党がなんとか踏みとどまり、民主党の横暴に歯止めがかけられることになりました。
 京都選挙区では二ノ湯参議院議員が再選されました。(写真は当選後の御礼に来られた二ノ湯先生と懇談する推薦議員団の皆さんと)

【8月】猛暑の市議選
8  本当に猛暑の中の市議選でした。推薦候補の全員当選が果たせず、反省の残る戦いとなりました。

 あやべ太陽の会の役員さん方はほとんどが市議であり候補者であったため、山崎市長の日程調整や運転手手配、太陽の会の広報紙作成などの雑務を事務局次長として行いました。

 要請いただいた陣営へは弁士としても行かせていただきました。(写真は塩見まりこさんの事務所開き

【9月】温二郎のお宮参り
9  次男・温二郎(おんじろう)のお宮参りがようやくできました。
 温二郎の体調不良や選挙続きでなかなか時間がとれず、お宮参りにしては大きくなりすぎてしまいましたが、これで三人とも無事に熊野新宮神社の氏子としてご挨拶できました。

【10月】府議選に向けて
10  四方源太郎後援会で、来春の府議選への再挑戦を支持するという議決をいただいて、翌朝から街頭に立っています。
 当初は一人で立っていましたが、今は後援会青年部の方々に交代で立っていただいています。(写真は白瀬橋での朝立ちの様子)

【11月】山崎市長、あやべ太陽の会から推薦いただく
11  11月10日に府議選への出馬表明をさせていただきました。
 11月13日にはそれを受けて、山崎市長の支援母体である、あやべ太陽の会(大槻浩平会長)からのご推薦をいただきました。
 山崎市長からも、大槻会長からも、「次の府議選で源太郎くんに勝ってもらうことによって、1月の市議選、8月の市議選の勝利が完結できる。勝利に向けて全力を尽くす」と固い決意を述べていただきました。
 私も今度は必ず勝ち抜いて、国・府・市のしっかりとした連携のパイプを創り出したい。今の状態では、山崎市長も市議の皆さんも仕事がやりにくく、綾部市の発展が阻害されています。
 今の状況をあと何年続けても、綾部市には発展の兆しは見えてこないでしょう。
 50代の市長に私たち30代40代の若い世代が協力して、現状に甘んじることなく、もっと綾部市の新しい可能性を拓く努力をしていきたい。
(写真は、あやべ太陽の会の役員総会でのガンバロー三唱。山崎市長、大槻会長も一緒に)

【12月】幼稚園PTA連で市民合唱祭に出場
12  今年度の綾部市立幼稚園PTA連絡協議会は、保育料値上げへの反対陳情があるなど、例年になく、活発な活動ができました。
 市民合唱祭への参加も新しい試みでしたが、最後は大合唱団がつくれて、楽しい時間が過ごせました。
 他園のお父さんお母さん方との交流もできて、本当に良かったと思います。
 来年以降も、ぜひ継続してもらいたいと思っています。

【おまけ】涼子が飾られる!
D  市美術展に出展された『S家の孫』。
 1年前には、あれだけ離せなかったおしゃぶりが全く必要なくなった涼子。
 三人共にどんどん成長します。


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突然の訃報

2010年12月23日 | 哀悼

 高津町の四方里子さんの突然の訃報をお聞きし、午前中、葬儀に参列した。

 僕は小学生の頃、ほぼ毎日、図書館に通っていた。昔は市民センターの多目的ホールが市立図書館になっており、家から歩いて1分ほどで行けたので、休館日以外は毎日(時には1日に2回)通っている一番の常連だった。

 司書をしておられた四方さんには大変可愛がっていただき、新しい本が入ったら勧めてもらったり、年度ごとに更新される貸出カードのナンバー1番を僕に置いておいて下さったりもした。
 図書館のカウンターに座って、いつも笑顔で迎え入れてもらった思い出は鮮明に焼きついている。

 僕の選挙もずっと応援していただいており、来年春の府議選にも「絶対応援するから、頑張ってね!」と強く励ましていただいていた。

 葬儀の後で、息子さんがご挨拶されたが、年末年始には関東の息子さんのお宅へ行くことになっており、それを楽しみにして、準備万端整えておられたらしい。
 本当に急に訪れた体調の急変だったそうだ。

 家に訪ねて行ったら、コーヒーやお茶を入れて下さり、よく息子さんやお孫さんのことを聞かせていただいたので、本当に楽しみにしておられたことだと思う。

 天国で、今年4月に亡くなられたご主人と再会しておられることと思います。
 心からご冥福をお祈り申し上げます。


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今年最後のげんたろう新聞

2010年12月21日 | 政治活動

 先週まで、一番下の温二郎が風邪をこじらせて入院していた。
 毎月の『げんたろう新聞』を発行する日だったので、お手伝いに来ていただいている方々にはご迷惑をおかけした。

 配布のお願いに回るのも、遅れてしまっていて、今週に入ってもまだ全部お届けできておらず、申し訳なく思っています。
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安倍元首相の講演

2010年12月19日 | 政治活動

 神道政治連盟京都府本部の40周年式典があり、京都へ行かせていただいた。

 神道政治連盟は神社関係の方々で作られている政治連盟で、福知山の大原神社の林秀俊宮司が京都本部長を務めておられる。
 式典後の研修会の講師が安倍晋三元首相なので、勉強にとお誘いいただいた。
Dscf2804  安倍さんは4年前の府議選の時に自民党総裁であり、公認証は安倍総裁からいただいたが、お話をお聞きするのは初めてだった。

 日本のこれからの大きな課題を二つ挙げられた。

 一つは「借金を減らすこと」をおっしゃった。

 ・自民党政権時代には確かに巨額の借金ができたが、これは何度かの経済危機の際に、雇用を維持するための財政出動による借金で、最高でも5%強の失業率で止めた先進国は日本だけ。欧米は今でも10%を超えている。

 ・自民党政権下でも、今年度の民主党政権のように、税収を上回る国債を発行するという愚は犯さなかった。それをしたのは、終戦の翌年だけ。民主党はそれをバラマキに使い、景気には何ら貢献していない。

 ・株価を上げることが大事。株価は年金と密接なつながりがある。年金資金は株で運用しており、安倍政権下では約3兆円を稼いだ。年金の安定には株価を上げるようにしなければならない。

 もう一つは、「中国との付き合い方」だった。

 ・外交とは、様々なメッセージを出し合うこと。弱気なメッセージを出せば、相手はどんどん攻めてくる。平和のためにも強気なメッセージを出す必要があるが、菅政権の外交は幼稚すぎて、中国など周辺国の思うつぼだ。

 大変分かりやすいお話で、これから自民党がしっかり頑張って、日本を確かな方向に進めなくてはいけないということを改めて感じた。

 もうこれ以上、民主党には任せておくのは、日本を路頭に迷わせることになる。

コメント (2)
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市民合唱祭

2010年12月12日 | イベント参加

 市民合唱祭の当日。朝9時20分から、リハーサルに参加。
 わずか10分の練習で、早々に終わる。分かれて歌うところが、やっぱりつられてしまうのだが仕方がない。

 13時から市民合唱祭が始まった。今年は市制施行60周年記念事業として開催された。オープニングでは、MAF管弦楽団と合唱団あやべの競演が行われた。

 14時過ぎから、市立幼稚園PTA連の出番となり、2曲を無事に歌い終えた。30名を超える会員の皆さんにご参加いただいて、みんなで一体感を感じることができた。

 最初は何人が参加してくれるのだろうという不安の中でのスタートだったが、歌い終わったら、合唱って結構楽しいなあという気持ちになれたのではないかと思う。

 1年でやめるわけにはいかないので、これからも連Pの恒例事業にしてもらえるよう来年への申し送り事項にしておいてもらおう。

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決戦は日曜日

2010年12月09日 | 教育・子育て

 夜、幼稚園PTA連の合唱練習があった。
 今日で最終の練習だったが、綾部幼稚園のお母さん方もたくさん参加していただき、ようやく全体で30人ほどのメンバーが揃った。

 男声パートは3名しかいないため、強力な助っ人をお願いした。

 三部合唱をするなんて、最初は思ってもみなかったので、どうなることかと心配したが、なんとか形になってきた。

 上林中学校の鈴木先生の指導は大変効率良く、上手だった。たった3回、全員が揃わない中、約1時間強の練習で仕上げていただけて、素晴らしい指導力だと思った。

 決戦は今度の日曜日。頑張ろう!


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遠い記憶

2010年12月08日 | 選挙

 朝の街頭演説を白瀬橋から中筋の鳥ヶ坪交差点に変えて2週間目に入った。
 挨拶回りや会合での挨拶などで忙しい毎日を送らせていただいている。皆さんからは「健康第一、身体が資本ですから」と気遣っていただいて、本当にありがたいことだと思っている。
Osima_2  活動していると思わぬ方にお出会いすることもある。

 先日は幼稚園のころにピアノを習っていた先生に出会った。
 幼稚園のころ、ピアノを習いに行かされていた記憶はあったのだが、誰に習っていたのだろう?と不思議に思っていた。井倉町だったことは覚えていたのだが、それ以上は分からなかった。

 その先生から、先日声をかけていただき、「ピアノを習っていたこと、覚えてる?」と聞かれて、「アッ!」と思った。
 並松から井倉まで歩いて通っていたようで、「夏の暑い日にブルブル汗をかいて来てたのを思い出す」と言われて、もう一つの分からなかった記憶がつながった。
 今はアスパが建っているところがアスパが建つ前は草の生い茂る空き地で、その横を一人で歩いている記憶がずっと残っていた。なんであんなところを一人で歩いていたのか、思い出せなかったのだが、今回、意味が分かった。

 もう一人、フロンティアの病院介助ボランティアに最近、入っていただいた方から、「私が幼稚園に勤め始めた最初の年に、源太郎くんが入園してこられて、よく覚えてる」と言っていただいた。
 当時の幼稚園は先生がたくさんおられて、先生の名前を歌にしたものが園歌のようになっていた。それでその方の名前もよく覚えていたのだが、あれはどこの人だったのだろう?とずっと引っかかっていた名前だった。

 記憶というのは曖昧になるが、印象というのは、いつまでも残るものだ。


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わいわいネット・なかま10周年

2010年12月04日 | NPO

 1週間があっという間に過ぎていく。朝の街頭演説は中筋に移動して1週間が過ぎた。

 今日は午前中、NPO法人わいわいネット・なかまの10周年記念式典があり、理事として出席した。
Dscf2718  障害者と健常者が寄り添って暮らすことができるグループホームの実現がわいわいネットの夢だ。夢が叶うよう今後も協力していきたい。

 幼稚園の参観日があり、綾部幼稚園へ。参観終了後のPTA合唱練習に参加した。
 綾部幼稚園は初練習だったのだが、皆さん、うまく歌っておられた。これなら大丈夫だろう。

 幼稚園には絵の展示がしてあった。
Dscf2722 Dscf2723  小源太の絵は、僕の子どもの頃に描いていた絵とよく似ている。


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