朝6時に家を出て、京都に向かう。8時から、知事、副知事、総務部長、知事室長と自民党議員団の朝食会に出席した。
右京区の二ノ湯真士府議からは再び、「北部への府庁移転」の話を投げかけていただき、城陽市の奥田敏晴府議からも南北の交通の便の悪さを訴えていただいた。
それを受けて、僕の方からも「副知事の一人くらいは北部に住んでほしい」「健康福祉部は“高齢化先進地”の北部にあっても良いのではないか」という要望も、再度させていただいた。
また、JR山陰本線複線化への理解と支援も改めて求めた。
知事は「道州制になれば、府庁移転しても意味がなくなるのではないか」とおっしゃったが、「もし道州制になった場合、拠点を大阪へ一極集中させないためには、京都がまず自ら拠点の分散化を図っておかなくてはならないのではないか」ということもお話した。
南区の秋田公司府議からは、「二ノ湯くんや源太郎くんが、これからの地域のリーダーとして、将来への危機感を持って、様々な新しい提案をしている。そういう意見を府職員の若手としっかり議論していけるよう、知事にも懐深く受け止めてやってほしい」とおっしゃっていただいた。
また、原発の代替エネルギーについて、日本海のメタンハイドレード実用化に向けた見通しを知事に質問した。
知事からは「国へ調査研究予算の要求もしており、『北部をアラブにしたい!』」という決意も語っていただいた。
「北部をアラブに!」というスローガンは良いなと思った。
9時半に終わり、綾部に戻って、12時から綾部選対会議。
15時からは、谷垣さだかず前総裁に綾部に入っていただいて、市会議員さん方と一緒に街頭宣伝をさせていただいた。
必勝を目指して、頑張りたい!
今日は、谷垣さだかず前総裁への推薦お願いに、木下芳信本部長と一緒に企業・団体等を回った。「今度は…」と応じていただける方が多かった。
いろいろと府政や市政の話も聴かせていただきながら、回らせていただいた。
18時からは、福知山中央選対で街宣部の会議。お手伝いいただく方々にお集まりいただき、街宣部長としてお願いのご挨拶をさせていただいた。
朝、京都から戻ってきた。電車の不具合で時間が遅れた。
昼に、寺町で相談されていたことに関して、安藤和明市議に同行していいただき、現地調査。市の案件だったので、後の対応をお願いした。
午後は来客と打ち合わせ。
夕方は福知山事務所で選対会議。中央選対では、副事務長として街宣部長をさせていただくことになった。
19時から、四方源太郎後援会の本部役員・支部長会を開催した。100名弱の役員さんにお集まりいただき、谷垣さだかず候補予定者への推薦を決定していただいた。
山崎市長にもご挨拶いただいた。
推薦決定の後、谷垣信行秘書からお礼とお願いのご挨拶もいただいた。
綾部での選対組織も骨組みは決まったので、これからさらに拡大強化していかなければならない。
谷垣さだかず綾部選対本部
顧問 山崎善也市長
顧問 高倉武夫市議会議長
本部長 木下芳信市議
副本部長 安藤和明市議(総務部長)
副本部長 塩見麻理子市議(演説会部長)
副本部長 田中正行市議(電話作戦部長)
副本部長 吉崎進市議(演説会副部長)
副本部長 相根一雄市議(広報部長)
幹事長 四方源太郎
副幹事長 高橋輝市議(街宣部長)
副幹事長 村上静史市議(広報副部長)
副幹事長 波多野文義市議(総務副部長)
昼に議員団会議。
午後は、農商工労働常任委員会に出席。《COOL京都》の事業について報告を聞き、その後、意見交換を行った。
夕方からは、福知山の井上重典府議、舞鶴の池田正義府議と三人で、《中丹三本の矢プロジェクト》で、今日は山口寛士健康福祉部長以下、幹部の皆さん方と中丹地域の福祉施策について、現状をお聞きして、意見交換を行った。
中丹に絞って意見交換することができたので、有意義な勉強会となった。「これから他の部ともやっていきたいですね」と三人で話がまとまった。
夜は京都に泊まることになったが、“公舎”の平安ホテルもルビノ堀川もいっぱいだったので、三人一部屋で別のホテルに泊まることになった。
午前中、四方源太郎後援会の鹿子木旦夫幹事長を谷垣さだかず選対本部の木下芳信本部長と共に訪ねて、お願いと打ち合わせ。
その後、げんたろう新聞を持って回り、昼過ぎには小畑地区の農林祭に顔を出させていただいた。
鍛治屋町の府道拡幅の要望をたくさんの方からいただいた。
府はすでに用地買収資金を予算化して待っているのだが、鍛治屋町の土地区画整理事業との兼ね合いで、まだその段階に至っていない。本当に申し訳ないことだ。
事情を説明し、良い方向に進んでいくようさらに努力を重ねることをお約束した。
午後は後援会の古和田幸雄会長を訪ねて、ご相談させていただく。
夕方、山家の東山町で開催されている《久後寛次作品展》に行った。
久後さんは、書画を停年退職してから始められたというが、大変軽やかで力強い線で描かれており、素晴らしいものを見せていただいた。
コーヒーをごちそうになりながら、地元の方々と懇談。
「今度は頑張ってもらわんとなあ」と自民党と谷垣さだかず前衆議院議員への熱い期待の声を聴かせていただいた。 ひっくり返すことばかりが“改革”ではない。まずは安定政権をつくって、景気対策に取り組み、“改革”は身近なところから手を付ける。
自民党が悪い悪いとやみくもに言っていても仕方がない。
悪いところをどうやって改善していくか、まずは綾部支部、京都府連、府議団などの改革に真剣に取り組んで、まじめに誠実に政治を進めていくことで、いつか必ず理解していただけることを信じて頑張りたい!
朝、東八田公民館からご連絡いただき、来年度に向けた東八田地区から府への要望に関して、公民館主事さんと打ち合わせに行った。
その後、木下芳信市議からの依頼で、七百石町で高速道路を横断してイノシシが田んぼに入って被害を出している現場を調査に行った。
山に分け入り、状況を見せていただいた。
有刺鉄線が張ってあるが、これは人間が入らないようにしてあるもので、イノシシにはただの線でしかない。
すぐに中丹東土木事務所長に会いに行き、要望書を渡して説明し、京都府道路公社に話をつないでもらうようお願いした。
合わせて、府民公募型安心安全整備事業の執行が遅れている箇所について、12月末を目途にいったん中間報告と今後の執行見通しを報告していただくよう要望した。
午後は、井田孝さんの葬儀に参列した。長年の間、本当にお世話になり、ありがとうございました。
横山先生も亡くなられ、井田孝さんも亡くなられ、父の一つ上の世代で、兄貴分的に組織をリードしていただいた方々がお亡くなりになり、一つの時代の終焉も感じさせられた。
夜は、自民党綾部支部の緊急役員会を開催。衆院選に向けて、選対本部の役員としてお世話になることをお願いした。
12月4日(火)の公示の日は、朝9時50分から約30分程度、JR綾部駅前広場で《出陣式》を開催することも決まり、ぜひ、多くの皆さんにお声がけいただくようお願いした。
候補者本人はもちろんのこと、綾部では山崎市長からも挨拶いただき、力強く戦いの火ぶたを切りたいと思っている。
午前中は、「お助けフロンティア事業」の進行状況を共有する会議。今後の伸ばしていく方向性などを相談した。
午後、綾部政経懇話会の元会長(三代目)である井田孝さんの訃報が飛び込んできて、父と弔問に行った。
奥様や娘さんから、井田さんの若い頃の人生についてお聞きした。
お父さんを幼くして亡くされ、お母さんとご兄弟で大変ご苦労されたそうだ。学校を卒業して、就職した後、独立して広小路に《井田珠算教場》を創立し、拡大された。
晩年は正暦寺総代や綾部政経懇話会の会長としてもご活躍いただいた。父の最初の市議選の時から、数々の選挙を選対幹部として最後までご支援いただいた。
僕の選挙の頃には、病気で外出はできにくくなっておられたが、自宅の前を選挙カーで通ると、窓を開けて手を振っていただいていた様子が思い出される。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
晴れて暖かくなったり、雨が降ったりの日。まるで目まぐるしく変わる政局のような天気だ。
10時、陸上自衛隊福知山駐屯地62周年記念式典に参列した。谷垣先生も出席しておられた。
この式典には5年程前に、綾部隊友会の方にお誘いいただいて出たことがある。久しぶりだったが、模擬訓練の迫力は凄かった。
次の予定があったので、祝賀会は失礼した。
午後、市民センターで綾部地区自治会連合会主催の《歴史を学ぶ講演会~明智光秀の子孫が語る~本能寺の変 四二七年目の真実》という講演会が行われた。
講師は明智憲三郎さん。明智光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血筋を引く方で、現在は神奈川県にお住まいだそうだ。 大変興味深いお話で、本能寺の変の解釈が全く逆転する話だった。
史料に基づき、大変説得力のあるお話だった。本を買って、改めてじっくり読んでみたいと思った。
明智先生の講演に先立って、出口三平さんが「綾部地区の歴史」について、大本のことや足利尊氏、平重盛、以仁王、九鬼家のことなどを話された。
僕もその後で、10分ほどお時間をいただいて、市民センター周辺の歴史や綾部の歴史についてお話をさせていただいた。
この企画は、明智光秀と細川ガラシャ親子、細川幽斎と忠興親子、そして細川夫妻をテーマにした大河ドラマ誘致の活動とも関連しており、事務局である長岡京市から企画部政策推進課の城田賢二課長と「お玉ちゃん」もお越しになり、誘致活動のPRされた。
講演後は上八田町の夢旅人舎へ行き、コンサート後のパーティに顔を出した。
ゆーら企画の高本さん、村上さん、悟さんに地域通貨ゆーら臨時発券所を出してもらっていた。
夜は久しぶりに大河ドラマ『平清盛』を見た。清盛は結局、通説通りの俗物悪者で終わっていくようで、少し悲しい気もした。
以仁王が令旨を出す場面もあった。綾部での歴史によれば、以仁王はこの後、平家に敗れ、綾部にたどり着いて亡くなる。そして、吉美の高倉神社に今も祀られている。
朝から強い雨。
午前中、あやべ写真サロンの展示会を見学に、グンゼ集蔵に行った。夕陽ヶ丘の鈴木隆さんが写真の説明をしながらついて回って下さって、よく意味が分かった。
その後、綾部高校東分校の《東祭》を見学。
学生の展示や学校内容の説明が充実していた。今日は受験説明会も開催されるそうだ。 「放射線による農業被害」という研究では、ヒマワリを植えて除染する方法なども説明されていた。
ヒマワリの養分となるカリウムとセシウムは同じような成分で、ヒマワリの油を搾ってもそこにはセシウムは混じらないらしい。
雨だったが、多くのお客さんで賑わっていた。
PTAのブースで豚汁を食べた。50円で大変美味しかった。
副校長の安岡先生とお話し、見学に来られていた府の森指導主事も紹介していただいた。
午後は事務所で書類作り。選挙に向けた準備等をした。
ようやく、衆議院が解散した。
「『正直にバカがつくと通信簿に書いてもらった』と自分で言うのもどうかと思うが、なんとか『うそつき』のレッテルを貼られ続けることだけは回避解散」というのは長過ぎだろうが、それくらい長い解散までの日々だった。
ただ、自民党も気を引き締めて、この選挙、またこれからの政局に臨まなければいけない。
安倍総裁が定数の大幅減の「約束」をしたことも気になる。軽々しく「約束」して、大丈夫だったのだろうか?
「約束」は、どうあっても守らなければならない。
午後は「みんな忙しそうだから」と安藤市議が旧町内のポスター貼りに回って下さった。
夜はNEXT例会に参加。月刊NEXTの発行は今月で終了となるため、最後の作業だった。
今日はまだまだ事務作業があり、懇親会には行かずに失礼した。