朝から雨。よく降る。
自民党に負けず劣らず、民主党も内紛でドタバタしている。
生方さんが小沢さんに解任されるというのが、一転、解任されないことになったようだ。
今から14年ほど前、僕は生方さんの最初の選挙を手伝っていた。
当時の生方陣営の“仮想敵”は、井奥さんという自民党→新進党の現職代議士で、小沢さんの子分だった。
僕はまだ大学を出たばかりの22才で、実際に選挙運動をするのは初めてのことだった。
生方さんも、もちろん初めてで、党(当時は新党さきがけ)から指示されていたポスター貼りのお願いに、一軒一軒、家をピンポンして回ることが、その頃の活動だった。
運動に協力する者の人数は少ないが、ベッドタウンの松戸には家がたくさんあるので、一人一人がバラバラに分かれて、しばらくして合流して…というのを繰り返した。候補者も含めてほぼ全員が“外人部隊”であり、携帯もないし、地理も分からないのに、よくやれていたものだと思う。
「新党さきがけのウブカタと申しますが…」とインターホン越しに言っても、「誰?何?」という感じで、ほとんど門前払いだった。夏の選挙で、炎天下をスーツを汗で濡らしての戸別訪問だった。
一人で千軒ほどは回っただろうが、反応が良かったのは一軒だけだった。そのおばさんは、「うちも父親が選挙をしたから苦労がよく分かる。頑張りなさいよ。ここの近所には、私からもよく言っておいてあげるから」と言って下さった。
最初は土日ごとにやることになっていたのだが、1日目に10人ほどいた協力者は2日目に半分以下に減り、何週間か目には誰も来なくなった。
選挙が始まる10日ほど前には、生方さんと生方さんのお兄さんと3人だけという日もあった。3人で戸別訪問していたのでは、途方にくれるばかりだ。そこで、生方さんが街頭演説をして、僕らがチラシ配りをすることに作戦変更した。
昼下がりの大きな団地で快調に活動していると、女の人が顔をしかめてツカツカと近づいてきて、「うるさい!赤ちゃんが寝てるのに、何を考えてるの!」と追っ払われりもした。
しかし、活動が終わると、松戸駅前の居酒屋で、冷たいビールを飲みながら、あれこれ政治について話すのが楽しかった。
当時は若気の至りもあり、肩に力が入りまくっていた。今でも思い出すと少し恥ずかしい。でも、あの頃の想いを思い出せ!ということなのかなあとニュースを観ながら考えた。
小沢一郎は何も変わっていない。小沢的なるものを倒さなければ、日本の政治に未来はないと思っていたあの頃。
小沢的なるものは、民主党の中にはもちろん、自民党の中にもある。これに克たなければ、日本の政治に未来はないと思う。