朝10時から、熊野新宮神社での水無月大祭に参拝。
11時からは、橋上町での『橋上の里発足交流会』に出席し、挨拶させていただいた。「家族でどうぞ」とお招きいただいたので、お言葉に甘えて、家族連れで参加した。
橋上町では、空き家1軒を市が借り受け、定住促進住宅として入居者を募集している。
今日は市に登録している定住希望者のうち、3組の家族が見学会に参加され、その後で橋上町の皆さんとバーベキューなどで交流された。
14時からは、府中丹文化会館での『警察ふれあいコンサート』に出席した。
誰にも分かりやすい曲で、小源太と涼子は喜んでいた。
特に涼子は、カラーガード隊のお姉さんたちがピンクの服を着ているのが格好良かったらしく、憧れの眼差しで、帰りに握手してもらってとても喜んでいた。
朝一番から東京に向かった。
少し早めに着いたので、虎ノ門のあたりを散歩した。
東京で働いていた頃、虎ノ門の1丁目と3丁目にオフィスがあったので、懐かしかった。ずいぶん雰囲気は変わってしまっていたが…。
午後、霞ヶ関ビルで全国林活地方議連の総会があった。京都府議会からは、林活議連の役員である村田正治府議、田中英夫府議と一緒に出席した。
日本林業協会の飯塚昌男会長が来賓挨拶をされたが、「林野庁や政治家たちが本気になって林業振興をやろうとしているか?」と叱咤をされ、確かにそうだと感じた。
なぜ、ちょっとしたことでも実現しないのか?
お茶を濁して問題を先送りばかりしていないか?そういう反省をした。
平成20年に、「公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律」という法律ができていたことを初めて知り、まだまだ勉強不足だと感じた。良い勉強になった。
夜、フロンティア中上林支部の交流会を30分ほどで失礼して、自民党綾部支部最高顧問である田中定蔵元市議会副議長の通夜に参列した。
田中定蔵さんは戦時中はインパール作戦などに従軍され、多くの戦友を失いながらも生還された。
戦後はトーヨーゴムに勤務しながら、軍恩連盟の活動にも熱心に取り組まれた。
「定はん」とみんなに親しまれ、周囲から推されて市議を3期、市議会副議長も務められた。
自民党綾部支部の幹部として、父の最初の府議選から、終始応援していただいた。一貫して自民党のために尽くしていただき、亡くなられるまで最高顧問としてお世話になった。
谷垣禎一代議士の熱烈な支援者でもあり、家の玄関口には若き谷垣先生が田中家を訪ね、一族みんなと撮った写真が飾られていた。
私の2回の選挙でも、高齢にはなっておられたが、大変強力なご支援をいただいた。
6年前の初出馬の際には、記者会見で隣りに座って下さった。
寒風吹き、雪の舞う中、地元、栗揚自治会を一軒一軒案内して、挨拶回りに同行していただいたことも忘れられない。
結果は落選に終わったが、再起の際にも自民党豊里支部の会合でご挨拶いただき、「戦争での苦労に比べたら、どんなことも大したことではない」と励ましていただいた。
酒を飲むと陽気になり、楽しい方でもあった。
綾部の激動の戦後政界を、自民党をしっかりと支えていただいた生涯だった。
心からご冥福をお祈り申し上げ、その強烈な綾部発展にかける情熱を引き継げるよう頑張ることをお誓い申し上げます。
ありがとうございました。
午後、岡山大学大学院の房安功太郎くんという院生が、あやべ福祉フロンティアの活動のことを勉強させてほしいとわざわざ出向いてくれた。
時々、こういう研究者の方に目をつけてもらえるのだが、岡山大学では真庭市と包括協定を結んで、山村の研究フィールドとして連携しているとのことだった。
真庭市長は、太田昇前京都府副知事がこの春から務めておられることもあり、親近感があるのだが、たまたま昨日、別の真庭市出身の方と話していて、房安くんの研究フィールドがその方のまさに出身地の真庭市の富原地区だと聞いて、その偶然に驚いた。
過疎対策について、いろいろと意見交換をして、ぜひ、山村振興のために頑張ってほしいとお願いした。
たまたま今日、手元に「平成25年度高齢者生きがい活動促進事業に係る国庫補助協議書の提出について」という書類が届いた。
内容的には、まさにあやべ福祉フロンティアが進めている高齢者の移送サービス事業や清山荘での生きがいづくり、高齢者の見守り事業などをこれから立ち上げようとするNPO法人などへの支援のために、国が市町村に対して、1都道府県あたり100万円の補助金を出すというもので、パソコンやデスクの購入費、事務所借り上げの手数料、礼金などに使えるというもの。ただし、1年限りの事業だ。
都道府県ごとに100万円ということは、総額4700万円の事業費。国にしてみれば、4700万円くらいは少額で、たいしたことはないのかもしれないが、こういう意味のない無駄遣いで「取り組んでます」という顔をされると、やっている側からすると腹が立つ。
今から、移送サービスを立ち上げようと思うと、厚労省ではなく、国交省と話をしなくてはならない。道路運送法の改正によって、見た目はきれいになったかもしれないが、利益優先ではなくて、過疎地での助け合い事業として活動を立ち上げようとする団体にはハードルが高くなった。
厚労省はその部分を国交省に押し付けておいて、今ごろ、パソコンや事務所借り入れの初期費用だけ出したので、4700万円の投資に値する効果が望めるのか?
厚労省は7月5日にこの文書を出して、府の担当者に届いたのが7月12日、綾部市にはその日のうちに下りてきたが、フロンティアには7月22日にFAXされてきて、僕の手元には今日7月25日に届いた。市への提出〆切は7月25日必着。国への〆切は7月31日必着だった。
「だいたい、そんなスケジュールですよ」と言われるので、「何がそんなスケジュールや。今日受け取って、今日出せ、それが当たり前とは、俺ら地方の人間は国の奴隷やないんやぞ」と厚労省の担当者に怒った。
高齢者の生きがい活動促進事業の必要性は、府議会でも何度となく話題にしているし、フロンティアの活動を始めてからの15年、ずっと訴えている問題だ。
これからの超高齢化社会を幸せに乗り切るために大切な事業をなぜそんなに慌てて、付け焼刃のような案を出させて、都道府県にたった100万円の1年限りの補助金でやろうと国はしているのか?
今必要なのはバラマキではなく、補助金を集中して、成功事例を創り出すことだ、と国の役人は地方の人間には言うのに、自分ではそうしていない。
だから、そういう発言は地方民には“言い訳”としてしか理解されていない。
夕方、厚労省に電話を入れて、「一度、しっかりと現場を見に来てほしい」と要請した。「何なら、交通費をこっちで持ってもいいから来てほしい。良いことを考えようとしていることはよく分かるが、現場からするとズレている。国の中枢で施策を考える人には、ぜひそういうことを理解した上で施策を考えてほしい」と話をした。
これで何も見に来ずに、無駄遣いを進めるのならば、徹底してそういうものと闘っていかなければならないと感じている。
「官僚がいい加減なことをしているのに、結局はマスコミには『安倍総理が悪い。自民党が悪い』と言われるんや。こっちが末端でどれだけ苦労して選挙をしとると思とんや。何もやらんと足だけ引っ張るようなことするな」とも怒った。
今回の補助金の「筋が悪い」ことは厚労省内部でも話が出ていたそうだ。それならば余計に、そういう「机上の空論」による無駄遣いのために、消費税を増税すると言われても、すんなりとは認められない。
抗議の電話をしていたので少し遅れてしまって、フロンティア中上林支部の交流会に急いで駆けつけた。
中上林の皆さんにもお話したら、「ぜひ、上林にも来てもらって、現実を見てほしい。手ぐすね引いて待ってます」と憤っておられた。
若い研究者が遠方から現場に学びに来ているのに比べて、国の官僚は何をやっているのか。同じ日の出来事だったので、余計に腹が立った。
2013年夏。参議院議員選挙が終わりました。
京都選挙区では、自民党の西田昌司候補が再選を果たし、もう1議席は共産党、民主党は議席を失いました。
綾部では投票率56.98%で、西田昌司(自民)7300票、倉林明子(共産)3294票、北神圭朗(民主)2957票、山内成介(維新)1863票、木下陽子(みんな)820票、曽我周作(幸福)137票、新藤伸夫(打出)34票という結果になりました。
ご支援いただいた皆様のおかげで、今後につながる大きな得票をいただきました。
綾部では、10年以上勝っていなかった民主党に、ようやく勝利することができました。また、他党の候補に倍以上の大差をつけての勝利であり、大変ありがたい票をいただいたと感じています。
西田先生からは早速、「綾部の皆さんには、演説会にもたくさんの人を集めていただき、ありがとうございました。くれぐれもよろしくお伝え下さい」との電話をいただきました。
私も、これまで以上に気を引き締めて、綾部のために、しっかり働こうと決意を新たにしています。
今後とも、ご支援ご指導よろしくお願い申し上げます。
19日(金)から、子ども達も夏休みとなり、各地で様々な行事が催された。
19日夜は、FMいかるの市民パーソナリティ交流会に出席した。NEXTで番組を持たせてもらって、もう15年になる。
この交流会に参加すると、声でしか知らない人の顔が分かるので楽しみにしている。
レジェンドオブホクトの悪役「酒呑童子」が登場して、小源太はジャンケン大会で対戦していた。
20日(土)の午後は、並松町自治会主催の水難除地蔵尊祭典に出席した。
子ども達の水難事故や交通事故がないことを祈り、お地蔵さんに参拝した。
夜は、中筋納涼祭に参加した。
若い人も多く、盛大に開催されており、カラオケを唄い、花火を鑑賞した。
21日(日)は投票に行った後、志賀郷町の諏訪神社の祭礼に参拝した。
ここでは毎年、小学生男子による《奉納相撲》があるとお聞きして、大相撲綾部場所実行委員会の岡安吏四本部長、上原繁夫総務部長、相根一雄施設部長と事務局の中澤さん、藤田さんと共にお参りした。
夜は、東八田地区の愛宕まつりに参加した。餅まきもさせていただき、相生町事務所での開票を見守る会に参加した。
明日、7月21日(日)は、参議院議員選挙の投票日です。
今日は最後の最後まで、「西田昌司」候補の勝利のために頑張ります!
何度も書いていますが、綾部においては、自民党候補は民主党候補にこの10年ずっと負け続けています。「綾部では自民党が決して強くない」という現実があります。
京都全体での形勢はともかく、我々にとっては「綾部での得票」が重要です。
綾部は人口が少なく、ともすれば埋没しがちになってしまいます。しかし、選挙の時の団結力で、その存在感を高め、府議会や自民党の中での発言力を高めることが綾部市の将来の発展に直結します。
他市では、首長が自民、民主の両候補を応援しているところが多いですが、綾部では、市長と府議が一体となって、「西田昌司一本」に絞って支援しています。
西田候補の勝利は、綾部市にとっても大変大きな意味のある勝利になります。
1票でも多く、「西田昌司」へと積み上げていただくことが、綾部市の未来を拓く道にもなります。
現実には、街頭の反応など、決して、綾部ではまだまだ甘くない、厳しい状況だと感じています。
ぜひ、身の回りの方々に再度お声かけいただき、ぜひ、投票に行っていただき、「西田昌司」と書いていただきますよう働きかけていただければ、本当にありがたいです。
朝8時から選対会議。自民党は、綾部では決して強くない。最後まで、一丸となっての支持拡大を確認する。
午前中と夕方、ポスティングに歩き、夜は大相撲実行委員会の正副部長会議に出席した。
大相撲綾部場所(平成25年10月21日:綾部市総合運動公園体育館)のマス席や二階椅子席など約400枚、まだチケット販売しています。
毎日何枚かずつは売れておりますので、ぜひ、お早めにお買い求め下さい。
私の方へのお問い合わせもお気軽にどうぞ。水無月花火大会の夕方、大相撲事務所(本町通)前での特設販売所も設けております。
選挙戦も終盤戦に入り、マスコミや反自民勢力の自民党非難が激しくなっている。
なぜか、こういう時によく引用されるのが「東京新聞」だ。特定の意図がありすぎで、「報道機関」と呼べるのか疑問を感じる。
アベノミクスの金融緩和策は、アメリカFRBのバーナンキ議長も「不当な円安誘導ではない」と評価しており、ここまでの安倍政権の経済政策は決して大きく誤ってはいない。
野党は「選挙のためだけ」にこれを批判しているが、民主党政権時代は全く株価が上がらず、景気は低迷した。
まずは景気回復のため、安倍政権に力を与えていただきたいと願っています。
年金などの社会保障も景気が低迷するなかでは対策のとりようがありません。
戦後、日本は戦争をせずに経済発展を遂げてきた。この時代を支えてきたのが自民党であり、日本と同盟関係にあるアメリカの存在だった。
アメリカの国力が弱まり、極東や世界経済への影響力も弱まっている。代わって、中国やロシアなどが台頭してきており、ヨーロッパはEUとして団結するようになった。
この変化に日本も対応し、アメリカ頼みから脱さなくてはならなくなっている。日本が自立した国家にならなければならないというのが、安倍政権の基軸であって、「自民党が戦争をしようとしている」というのは、全くの詭弁だ。
これまでの歴史を、今の世界の現状を冷静にしっかりと考えて、現実的な判断をすることが、日本を「大人の国家」にする第一歩であり、そういう意味が今回の参院選にはあると思う。
未来の日本のために、明日の綾部のために、ぜひ、西田昌司と自民党へのご支援をお願いします。
今朝は7時から、鳥ヶ坪交差点で朝立ちをした。
その後、歯医者に行き、先日外れた歯の詰め物を戻してもらった。
小佐々先生の息子さんがUターンされ、勤務しておられた。若いのでソフトタッチなのと、丁寧に説明してから処置してもらうので安心できて良かった。
午前中は相生事務所に詰めて、来客等の応対。
午後は吉崎進市議と一緒に、中丹東土木事務所の関所長と会って、東八田の道路案件について要望。昨日の志賀郷の案件についても現地調査を依頼した。
15時頃からは、熊谷さんと一緒にビラ配りに歩いた。汗がぼとぼと出てくるが、あちこち歩いて二人で500部ほど配った。
選挙は大変だが、政治家は選挙が命。選挙に勝たなければ、どんな素晴らしいことを考えても実行ができない。
受験勉強にも模擬試験があるように、自分の選挙が受験本番だとすれば、他の選挙は模擬試験だが、模擬試験で手を抜けば、本試験でも良い結果は出ない。
自分の選挙では“神輿”に乗ってしまうので、「選挙技術」はほとんど身につかない。
一つ一つの地味な作業の積み重ねが選挙活動であり、それをいかに効果的に展開するかの差が、票の差になる。
選挙は人生であり、一度として同じ経験はできない。一期一会で一つ一つの選挙に全力を尽くしてこそ、政治家としての力量もついてくるのだと思っている。
最後まで、全力で頑張ります!
一票でもたくさん、「西田昌司」と書いていただきますよう、ぜひお声かけをよろしくお願いします。