11日㈮、春の訪れを感じる朝であり、3.11東日本大震災の日でもある。
午前中から府議会に向かい、午後に府民の安心・安全に関する特別委員会に出席し、「旅行業におけるコロナ禍の影響について」の調査を行った。委員会の冒頭では黙とうをした。
3.11はこの時代に生きた日本人が決して忘れることのできない日であり、災害対策、エネルギー供給、行政の在り方、社会の価値観など、様々な時代の大きな転換点となった出来事だった。
お亡くなりになられた多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、いまだ故郷への帰還ができていない多くの方々が早く元の生活に戻れるよう政府はもっと親身になって対策するべきだと感じる。
原発事故は原発の30キロ圏(UPZ)に市域の半分が入る綾部市民にとって他人事ではない。国のエネルギー政策の犠牲となった方々が11年経ってもなお苦しんでおられる現実を目の当たりにし、私は綾部市の政治家として原発を推進することはできないと感じている。政府や電力会社の無責任さを見て、年々、その考えは強くなっている。
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世界ではウクライナへのロシアの侵攻に対する非難が高まっている。京都府議会でもロシアに対する非難決議を可決する予定で調整が進んでいる。
今回のウクライナ侵攻で感じるのは「国連の無力さ」だ。
国連は第二次世界大戦の「戦勝国組合」で、今は「国連」と呼ぶが、戦争中は「連合国」と呼んでいた。
今回のウクライナ侵攻は「戦勝国組合」の「内輪もめ」なので、国連は全く機能しない。これまではこういう事態には国連による制裁が発動されたり、国連軍や多国籍軍が派遣されたが、今回はそれができない。国連の安全保障理事会の5つの常任理事国(アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国)は拒否権を持っており、このうちの1ヶ国が反対すれば決議できない。ロシアがロシアへの制裁に賛成するはずがない。
敗戦国のドイツや日本は常任理事国入りを目指してきたが、いくら経済力があっても、この中には入れてもらえるはずはない。
今回のウクライナ侵攻で改めて実感したのが、「国連では世界平和は実現しない」ということ。日本で最初の世界連邦都市宣言を行った自治体である綾部市は、今こそ「国連から世連へ!世界連邦による世界平和の実現!」を世界に向かって声高に叫ぶ時だろう。
安倍元総理らの言うような核共同化や核武装の「議論」を今からしても、それはロシアや中国に日本侵攻の口実を与えるだけだ。ロシアや中国の安全保障を日本の核兵器が脅かすからと言いがかりをつけられ、ウクライナと同じことをされるだろう。「議論」するなら、もっと早く(ベルリンの壁が崩壊した直後くらいのタイミング)ならあり得たかもしれないが、その当時ならアメリカに許されなかっただろう。北朝鮮の核査察などを行っているIAEA(国際原子力機関)は本来、カナダと日本の核武装を監視するための機関だった。アメリカは日本の核武装を最も警戒していた。
今から約20年前、2003年2月から2006年12月にかけて、「源太郎新聞」を45回発行した。今の「げんたろう新聞」の前身の新聞で、メールで周りの方々に送っていただけの新聞だった。
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その第28号(2005年6月3日発行)に世界連邦について書かれた書籍、「国連を『世界連邦』体制へ」(長掛芳介著、近代文芸社、2005年3月)の内容を掲載している。
この本を読んで、世界連邦は単なる平和主義思想ではなく、たしか「EU(欧州連合)の世界版が世界連邦だ」というようなことが書いてあって、世界連邦は世界の枠組み転換のことなんだと意味が分かった。同時にそれは今の世界の支配国からすれば過激な「危険思想」でもある。
その本に引用されていた「世界連邦二十年史」の一文が印象に残ったのだろう、それを「源太郎新聞」に載せている。
下記の文章だ。これからの日本を取り巻く国際関係は、すごく難しくなる。総理大臣のなり手があるのか、心配になる。
…世界連邦をいう前に、アジアを解放し、アジア連盟をつくろうという考え方があった。
大陸派に属していた犬養毅とか頭山満、宮崎兄弟らと共に孫文、興黄らを助けて中国革命に奔走、アジア諸国の解放と独立を図るのであるが、彼らの思想は孫文の「大アジア主義」や北一輝の「中国革命外史」ないしは石原莞爾や松井岩根に代表されるように、その根底には「東亜連盟」または「汎アジア連合」の考えが横たわっていた。
その彼らの思想の源流をたずねると、荒尾精、根津一、佐々友房を通して、横井小楠、西郷南洲に至るのである。
この系譜はその後の日本の膨張主義と結びつき、あたかも東亜侵略を導いた帝国主義的思想のように解する向きがあるが、それは「大きな誤り」である。
孫文の辛亥革命を助け、リカルテ、アギナルドのフィリピン独立運動を援助し、オツタマ僧正のビルマの独立、コンディ侯を中心としたベトナムの独立運動、ないしはケマル・パシャのトルコ革命といったアジア解放運動とアジア連盟の思想が、明治以後の日本の思想の一つの底流をなすのであるが、その源流である横井小楠の国家思想は、戦争と帝国主義の否定、道義国家の建設を通じての世界平和の実現であったのである」(世界連邦運動二十年史)と。