四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

「闘」の一年

2024年12月31日 | 議員活動

1231日㈫今年も今日で最後。

 漱石が来て 虚子が来て 大三十日

 大晦日になると正岡子規のこの句を思い出す。夏目漱石、高浜虚子と正岡子規の親しく楽し気な交友を簡潔に表している。

 

 朝、涼子と温二郎にこの句のことを話したら二人とも知らなかった。涼子は虚子のことを「きょこ?」と言っていた。

 同時に思い出すのが、河東碧梧桐。

 「俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべき」という高浜虚子と自由律俳句を多く詠んだ河東碧梧桐は中学の同級生。

 対照的な俳人であるが、共に子規に師事し、仲良く交流したことがよく知られている。

 

 小源太は一昨日帰ってきて、昨日は昼間ほぼ寝ていて、夜は小学生時代のドッジボール仲間と飲みに行き、真夜中に帰ってきて今朝も寝ていた。

 我が家は例年、

 小源太が寝て 涼子が寝て 温二郎がゲームして 大三十日

 だが、今年は、

 小源太が寝て 涼子は勉強して 温二郎も勉強して 大三十日

 になっている。温二郎も高校受験を控えている。

 今年は50才になり、思い返せば相当に濃密な一年だった。漢字で表すと「闘」の一年だろうか。

 自分の人生は「闘」だと、腹を決めることになった年でもあった。

 コロナは「5・6・7」令和5年に「5類」になり、令和6年は「ろくでもなく」、令和7年には「7不思議」が起こるのだろう。

 

 来年の干支は「乙巳」(きのとみ)。「伸び切った枝葉を糧にして、業火が起こる年」になるそうだ。

 60年前、1965年にはベトナム戦争でアメリカによる「北爆」が始まったり、チリ大地震、第二次印パ戦争勃発、中国で文化大革命が起こるなど、動乱、事故、事件の多そうな年回りではある。隠されていたものが晒され、最後の審判が下る年になるのではないだろうか。649年の大化の改新も「乙巳」だそうだ。

 

 来年は戦後80年、普通選挙法制定100年という日本政治にとっても節目の年を迎える。

 当時は政治への熱が高かっただろうが、今、政治への関心が下がっているのは政治が「予定調和」し過ぎなのだと思う。

 少し前には武雄市の樋渡市長、最近では安芸高田市の石丸市長、明石市の泉市長などには「予定調和」を許さない「挑戦する姿勢」があって、市民や国民はその動向に注目するようになった。

 私は今年最後の12月議会で「児童相談所の誤認保護」について質問したが、答弁に納得いかず、初めて「再質問」をした。「与党会派である自民党府議は再質問しない」という不文律が何となくあったが、「それでいいのか?」とはずっと思っていた。

 徹底して議論するためには「再質問」も必要だし、「予定調和」に走り過ぎる現代の議会のあり方が国民の政治への関心を冷めさせてしまったと思っている。

 「冷めさせる」のではなく、「覚めさせる」ためには「醒める」ような、ある意味、どういう結果になるのか分からない、心配されるようなことに挑戦することも必要なのだと思う。

 今年は有名なサミュエル・ウルマンの詩「青春」(作山宗久訳)で一年を締めくくり、来年への決意とします。

青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を云う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

 

青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。

ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。

 

人から神から美・希望・喜び・勇気・力の霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ悲嘆の氷に閉ざされるとき、20歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

 

 これからも納得できるまで徹底して調べ、考え、正しいと思うことを守るためには徹底して闘います。

 来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道新幹線のトンネル工事も大幅に遅れる見込み

2024年12月29日 | 論評・研究

29日㈰午前中から事務所でブログ書きなど。輝くんから借りた「日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来(泉房穂著、集英社新書、2023年)も、ざっと読んだ。

 夕方には小源太が帰省してくるそうだ。

 先日12月27日付北海道新聞北海道新幹線札幌開業、2038年度が軸 国交省が調整 1月以降に決定 開業時期変更は2度目という記事が出ていた。

 2012年に着工した北海道新幹線(新函館北斗―札幌間)212キロのトンネル工事が難航しており、予定されていた2030年度末完成が2038年度まで延びることになるそうだ。18年の工期が26年以上になるということだ。

 このトンネル工事も北陸新幹線の小浜京都ルートと同様にシールド工法区間が多いが、小浜京都ルートよりは工事が簡単だと言われていた。それが26年以上かかるのに、小浜京都が28年で済む、はずはないだろう。

 トンネル工事は「掘ってみなければ分からない」ので、それを「科学的知見」で説明して京都府民を納得させることは不可能だ。

 「急がば回れ」。早くルート変更をして、トンネルではなく高架で作れば、距離が延びても工期も工費も安くできるのではないだろうか?

 小浜京都ルートの難しさが、さらに明らかになるニュースだった。

 

 今年は「北陸新幹線問題」で揺れた一年だった。

 振り返ってみると、私は8年前、北陸新幹線の敦賀以西が現在の小浜京都ルートに決まった直後の2017年1月5日に開催された綾部商工会議所の新年互礼会の乾杯の挨拶で、

「北部産業創造センターの確実な実現」と「北陸新幹線(小浜ー京都)ルートの自然破壊、京文化破壊」「山陰線(綾部ー園部)の複線化推進」

について発言しており、小浜京都ルートに反対すると同時に山陰本線(園部~綾部間)の複線化を求めている。

参考:2017年1月5日付blog「今年も始動、商工会議所の互礼会」

 

 2日後の2017年1月7日に開催された自民党京都府連の新春懇談会の西田昌司府連会長の挨拶に対しても、

西田昌司府連会長の「北陸新幹線のルート問題」についての説明は不完全燃焼だ。

府北部にとっては、「新幹線がダメなら、山陰線の複線化を強く進める」という決意であるとか、「小浜ー京都ルートの金銭的負担や環境負荷は京都が負うべきものではない」ということを地元議員として強く主張していくという決意をしっかりと示していただきたいと思う。

と感想を書いている。

参考:2017年1月7日付blog「自民党府連新年会」

 

 そして、1年後の2018年12月14日に綾部で開催した西田昌司参議院議員との懇談会では、

私からは「北陸新幹線の舞鶴ルートがダメだったので、やはりJR山陰本線の整備が必要。園部駅から北ではICOCCAカードも使えない。消費税増税でキャッシュレス利用ならポイント付与と政府は言っているが、地方にはハンデが大きい」「Iターン、Uターンを増やすためには、農地法、農振法の許可や手続きを簡素化して、もっと簡単に農地を住宅地等に変えられるようにすべき」「天然ガスパイプラインの舞鶴~三田の敷設について、国の制度支援、国交省の高速道路使用の許可を」という点などを要望した。

とも述べている。

参考:2018年12月14日付blog「週末」

 

 早期延伸のためには「米原ルート」にするか、敦賀~小浜~福知山~新大阪という「四方ルート」のどちらか、もしくは両方同時に建設するということになるのでないか。

 現行ルートでは全く進まないのは明白であり、それは8年前の決定時から私は分かっていた。「やれるのならやってみたらいい」と思っていたが、案の定、頓挫している。

 「下手の考え、休むに似たり」。決断は早い方が良い。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森永功先生の「熱」

2024年12月28日 | 哀悼

28日㈯10時過ぎ事務所へ。昨日の案件の電話連絡をして、ブログ書き年賀状製作に取りかかる。

 年賀状は企業からのは止めても良いと思うが、個人のものは継続してほしいと感じる。市外の方だと消息が全く分からなくなるからだ。しかし「来年から年賀状は止めます」という連絡が本当に多くなった。

 

 今日は綾部市議会議長、自民党綾部支部長、京都府立工業高校校長などを歴任された森永功先生の葬儀が行われた。

 親族のみの葬儀とお聞きしたので参列は遠慮したが、森永先生には大変お世話になったので寂しさは一入のものがある。

 最後に姿をお見かけしたのは今秋の衆院選の街宣車でストックの前を通った際に駐車場から手を振っていただいた時だろう。

 12月中旬に倒れて入院されていたそうだが、順調に回復されていたとのこと。それが24日朝に急変してお亡くなりになった。

 23日午前には挨拶回りで自宅に伺っていたが、家には人の気配がなく、愛犬が玄関先に繋がれていた。その翌日に亡くなられ、最後にお目にかかれなかったことを残念に思った。

 

 18年前、私は最初の府議選で落選した。

 森永先生には後援会副会長と推薦議員団長をしていただいていた。落選後、並松町公会堂で役員会を開いた際、森永先生はどの写真を見ても、顔を上げずにうつむいておられた。

 「わしらは校長までやって、その後、市会議員になって、世間からは順風満帆に見えるかもしれんけど、それでもいろいろあるんや。でも、どんなことがあっても何とかなってきた。大丈夫や」と森永先生に励ましてもらったと妻が言っていた。

 

 その後自民党綾部支部長を引き受けて下さり、川北淳副支部長、高倉武夫副支部長、安藤和明幹事長(いずれも当時)と共に、崩壊しそうだった組織を持ちこたえさせることに尽力していただいた。

 落選直後の夏の参議院議員選挙大変厳しい戦いを強いられたが、森永先生が市会議員さん方に檄を飛ばして電話作戦の徹底を指示され、自らも率先していただいた。

 落選中の私のために、自民党府議団の皆さんが視察の途中、綾部支部との昼食交流会を開いていただいたことがある。その際には森永先生に歓迎の挨拶をしてもらった。

 自民党綾部支部では党勢拡大のために東京研修を企画し、東京で共に研修や観光を楽しんだのも良い思い出だ。

 2年後には自民党綾部支部長を高倉武夫市議に譲られ、3年後には村上静史市議を後継候補として擁立し、市議を引退されたが、今も自民党綾部支部の相談役として協力していただいていた。

 もちろん、山崎市長誕生の際にも顧問団長として大きな働きをされた。

 おっちょこちょいな一面もあったが、常に「熱」の非常に強い方だった。

 

 私が府議当選以来、綾部高校の充実に取り組んでいるのは、森永先生が強くそれを訴えてこられたからだ。

 森永先生は綾部高校が進学実績で福知山高校に大きな差をつけられ、綾部の若者が福知山に流れていることに危機感を抱いておられた。そのため、綾部高校活性化推進会議を結成されて、自らその代表に就かれた。

 初当選した年(2011年)の10月24日に、京都府教育委員会の古市文章高校改革担当理事(当時)らを招いて、「綾部高校活性化に向けての懇談会」を開催したが、それも森永先生からの強い働きかけによってのものだ。この時には現在の府教委の前川明範教育長が総括指導主事として同席しておられた。

 今は綾部高校は京都府北部で「最も人気が高い学校」になっている。進学実績はまだまだ伸ばしていかなければならないが、「人間力」を育てるという意味では様々なタイプの生徒がおり、パワフルで学校行事を前向きに全員で楽しむ良い雰囲気ができている。

 そうなるように府教委や学校を動かしていったのは、森永先生の「熱」だったと思う。

 府議になってすぐに「ゲンちゃん、府教委は入学式や卒業式に府議が出席しとるかチェックする。欠席すると、この府議は地元の高校に関心がないと手を抜かれる」と森永先生に言われた。それからは入学式、卒業式はもちろん、体育祭、文化祭、オープンスクールなどなど、学校から案内があれば、何としても顔を出して目を光らせておこうと思っている。

 

 森永先生の教えの通り、私はこれからも手を抜かず、綾部高校と綾部市の教育の充実のために頑張ります。いつまでも天国から檄を飛ばしてください。お世話になり、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事納め

2024年12月27日 | 議員活動

27日㈮四方源太郎事務所の仕事納めの日だが、今日も朝から最終の挨拶回りに行った。

 午前中に綾部地区を回り、午後は味方町から山家地区の回り残していたお宅を訪ねた。今年の最後は波多野製作所でお茶をいただき、綾部鉄工組合の理事長でもある波多野隆史社長から経済状況等のお話をお聴きした。

 並松町からは由良川で綾部高校カヌー部員が今日も寒い中、練習している姿が見える。カヌー部はインターハイの常連であり、最近は世界大会での活躍もあり、綾部高校を代表するクラブ活動だ。カヌーでの大学進学者も多く、立命館大学や同志社大学などに進学する子もいる。

 綾部高校のカヌー部には部室がなく、トイレは正暦寺で使わせてもらっているが、着替えや会議をする場所を何とかできないかとずっと考えている。

 ようやく最近、その目途が立って、来年には部室として使える建物が用意できることなった。その改修等に今後ご協力いただいたくことにも内諾はいただいており、また継続的な維持費等の支援のための後援会を設立してもらえないかと関係者にお願いしている。

 

 挨拶回りが終わり、夕方は来客あり。「喜ばれる喜び」が人間の生きるエネルギーであり、向上心にも満足感にもつながるということ、そのためにどういう姿勢で仕事に臨むべきかというお話をした。

 その件で、仕事納め直前の京都府庁に電話し、地域政策室の古田良明企画参事に「調べてほしい」と仕事を頼んだ。

 その回答は年明けになるかもしれないと思っていたが、18時半過ぎに連絡があった。

 結果は私の思うようにはならなかったが、京都府の管理職は勤務時間を過ぎても最後まで仕事をやり切ろうとして頑張ってくれるということを再認識し、清々しい気持ちで年末を迎えることができた。

 問い合わせいただいた府民の方には、明日、説明してお役に立てなかったことをお詫びしたいと思っている。

 

 明日12月28日~1月6日まで、事務員は年末年始休暇で事務所は空いていませんが、私は事務所で作業をしていることもありますし、携帯電話やメール等は年中無休ですので、お困り事やご相談事がありましたら、遠慮なくご連絡ください。

 

 山崎市長との忘年会。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スサノオノミコト

2024年12月26日 | 歴史の探求

26日㈭今朝8時前に事務所を出て京都へ。10時から定例の監査委員会議に出席。

 終了後、綾部に戻って、事務所近くの挨拶回りに。その後は来客2件。夕方は歯医者へ。事務所に帰るとさらに来客あり。

 

 息子さんのおられる姫路市へ転居された綾部商工会議所の元専務理事の梅原陽介さんが来年の干支にちなんで、「絵馬」(絵蛇)を送って下さった。

 「悪縁を切り、利を招く」ようにとキャンプ用のカットプレートに描いてある。地元の八代大歳神社の奉納絵馬も描いておられるそうだ。

 八代大歳神社の御祭神は大年神と大山咋神で、大年神はスサノオノミコトの子どもにあたる穀物の神様だとのこと。

 

 また最近、「縄文の世界を旅した初代スサノオ 九鬼文書と古代出雲王朝でわかる ハツクニシラス【裏/表】の仕組み」(表博耀著、ヒカルランド、2024年)という本を読んだ。

 今年10月に綾部藩主の末裔である熊野本宮大社の九鬼家隆宮司と会った際に「九鬼(くかみ)文書」の話になり、「九鬼文書」に興味が湧いて調べてみようと思ったことがきっかけだった。関係しそうな本を探してみたが、上記のものが一番読みやすそうだった。

参考:2024年10月19日付blog「田邊家中之会~九鬼家隆様を囲む集い~」

 

 表博耀さん11年前二之湯真士元府議が連れて来てくれて、綾部で出会ったこともある。

参考:2013年10月30日付blog「神楽と酒蔵」

 古典神道の神話では「世界の始まり」について、おおよそ次のように記されているそうだ。

創造神:宇志採羅根真(ウシトラコンジン)大神の命によって、アマテラス率いる一族は朝鮮半島に渡り、インドを経てパミール高原あたりを目指し、ツクヨミはユーラシア大陸に渡り、黒人根国(中央アジア)で栄えて月氏(げっし)族となり、スサノオは現在のポリネシアから北米大陸にかえての広い太平洋地域に天下ると共にユーラシア大陸をまたにかけて活躍した。

今から1万5000~6000年前の縄文人たちが当時の人類の霊的指導者、すなわち長老民族であり、その古代ヤマトの倭人たちが自然信仰に即った世界最古の調和文明を築いていた。その最古の地球文明を「初国(ハツクニ)」というのです。

初国の倭人たちは、海を移動する海洋民族でもあり、スサノオはその長でした。

 

 本の内容の一部は下記の通りです。関心があればご覧ください。

◎「表」の歴史とは別の「裏」の歴史を記している古史古伝とスサノオ

◎イスラエル人が日本にやって来たのは彼らの祖先であるスサノオの故郷だったから

◎力による支配や現代文明の闇を光に還すのが初国・縄文神道の役目

◎文明は海の向こうからやって来たのではなく、元々すべて縄文日本にあった

◎役行者の祈りに応え、末法の世を生きる人々を救うために出現した蔵王権現

◎スサの魂よ、内なるスサノオのエネルギーを解き放ち、弥勒の世の礎となれ!

◎人類の知恵だけでは立ちゆかなくなった時のための大神呪「アチマリカム」


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も挨拶回りに

2024年12月25日 | 議員活動

25日㈬9時半中丹東土木事務所細井浩一所長が来られて、府民協働型インフラ保全事業の後期分の審査状況の説明を受けた。

 特に「不採択」とされた案件については、本当にダメなのかどうか精査している。何件かは「地元の意向をもう少し聴いてもらった方が良いのでは」と思われる案件もあったので、地元との話し合いをお願いした。

 

 11時頃から挨拶回り。午前中は綾部地区を中心に回った。

 午後は山家地区、口上林地区を回ったが、山家地区は回り切れなかったので、日を改めて。

 橋上町では「橋上しきび組合」という組織があって、「しきび」を生産して出荷しておられるそうだ。

 口上林、山家、それぞれ家に上がらせていただいてお話させてもらったお宅も何件かあり、様々な話題に花が咲いた。

 家で採れた「みかん」をいただいたりもした。

 口上林の風景は農村のお手本のように美しい。

 ある業界団体の相談を受けるため、役員の皆さんとの会食に行く。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年明け、1月15日に「あやべMBTミーティング」を開催!

2024年12月24日 | MBT

24日㈫今日は一日、雨が降ったり、晴れたり、曇ったり。

 午前中高橋輝市議と共に中筋地区中西部を挨拶に回り、午後綾部地区を回った。

 市会議員さんと一緒に回る地域は今日で終わり、単独であと数日。26日には定例の監査委員会議があって朝から京都行きのため、全部回るには27日までで行けるかな?と考えている。

 

 年が明けると、2025年1月15日㈬19時から「綾部の異業種交流会」である第13回「あやべMBTミーティング」をいつものネパールレストラン「Dip Jyoti(青野町由良ビル)で開催します。参加費は飲食込の4000円です。

 初めての方でも、常連の方でも、参加資格は特にありません。どなたでも、ぜひご参加ください!

 今回はInstagramジャパンの初代社長であり、日本を代表するデジタルマーケターである長瀬次英さんにもゲスト参加していただく予定です。綾部市生まれの48才です。

参考:カリスママーケター長瀬次英氏に訊く「間合い」の極意/?まほうのま! Vol.3 

 

 クリスマスイヴ。夜は涼子の手作りケーキを食べた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じんかん

2024年12月23日 | 論評・研究

23日㈪昨日、小説「じんかん」(今村翔吾著、講談社、2020年)を読み切った。500ページ以上もある大作の歴史小説戦国時代の武将である松永久秀が主人公になっている。

 小説の舞台乙訓郡の西岡、山城国の宇治、和束、鷲峰山、大和国の多聞山城、信貴山城、丹波国の八木城、八上城など、身近なところが多かったので「読んでみよう!」と思ったが、長く積読していた。

 作者の今村翔吾京都府木津川市出身で、2022年に「塞王の盾」で直木賞を受賞している。それで「読んでみよう!」と思ったのだろう。

 松永久秀は「悪人」のイメージが強く、戦国の世を生き抜くためとは言え、裏切りに次ぐ裏切りの人物だとイメージしていた。「悪事」としては、主家の三好家を滅ぼした、足利義輝将軍を殺した、東大寺を焼き討ちしたと言われているが、この小説ではそれには実は…という裏話で松永久秀のイメージを一変させている。

 印象に残ったある部分を下記に紹介したい。

 

 …あの時の(三好)元長も、(細川)高国のように口にはせぬものの、感じていたに違いない。天下を獲っても人間に蔓延(はびこ)る、恐れ、憎しみ、妬み、嫉みなどの様々な感情が渦を成して襲い掛かる。そして身を滅ぼすということを。故に元長は、

ー お主たちが自ら道を切り開くのだ。

 と、政を民へ渡す道を選ぼうとした。民による民のための政である。だがそれを掲げて民に意を問う前に元長は(民である一向一揆に)滅ぼされてしまった。

 いや仮に周知したとしても同じ結果ではなかったか。救われたい、富を得たいと願うくせに、自ら責を負うことを嫌う。そのような者が世の大半を占める。そこに武士や民の境などなかったのだ。今の三好家を見ていればそれがよく解る。敢えてそれに境を設けるならば、欲に忠実なる者が武士で、心に押し秘めているのが民といった程度のものである。

「本当のところ、理想を追い求めようとする者など、この人間(じんかん)には一厘しかおらぬ。残りの九割九分九厘は、ただ変革を恐れて大きな流れに身をゆだねるだけではないか」

「兄者は…」

「さあな」

 昔ならば己は一厘でありたいと断言しただろう。だが今はそれが何になるのだという想いが胸に溢れている。人は太古より争いを繰り返している。たとえそれで人が天地から消え去ることになろうとも、それが己の代で起こらぬ限りは止めようとしない。赤子から老人まで人世の大勢はいつも、

ー 己の代には関わりない。

 という無責任な考えで動く。このような愚かな生き物が止まるはずがないではないか。…

 

 衆議院議員選挙、兵庫県知事選、政治の内紛やアメリカ大統領選挙、世界での戦争、いろいろと現代の出来事と重ね合わせて、感じるところの多い小説だった。

 上記の会話の相手である松永久秀の実弟松永甚助長頼後に丹波国の守護代である内藤家を継承し、内藤宗勝と名乗って八木城を治めた。

 何鹿郡(現在の綾部市)山家の豪族である和久氏は最初、内藤氏に従っていたが、後に離反した。そして、1800名の軍勢を率いて攻めてきた内藤宗勝を現在の下原町あたりで、和久左衛門佐吉政と下原の地侍である白波瀬肥前守忠次ら200名の住民が返り討ちにして、内藤宗勝を討ち取ったという伝説が地元には残っている。

 内藤宗勝の墓碑も下原町には残っている。

参考:2009年4月19日付blog「山家の城、釜輪の神事」

 


 今日の挨拶回り午前中、種清喜之市議と物部地区を回り、午後は後藤光市議と豊里地区を回った。

 物部では「北陸新幹線」に関して、以前、鉄道ジャーナリストの北村幸太郎くんに書いてもらった記事をご覧になった方から「その通り!だと感激し、激励のメールを送ろうとアドレスを調べていたところだった」と喜んでいただいた。(その記事は下記です)

「京都にメリットなし」 北陸新幹線延伸で、地元自民府議が「小浜ルート」に断固反対! 思わず「人気取りやめて」のホンネも

 物部地区ではさらに昨年夏に越水した下市の犀川を視察。いまだ土嚢が積まれたままなので、今後、堤防のかさ上げ等の対策を急いでもらうよう京都府には強く求めている。

 あやべMBTミーティングつながりで新たなお客さんになっている例も増えているようだ。栗町の「れいわオート」にはそういう人達が集まっておられた。

 豊里の後井倉、青野、川糸などを回りながら事務所に戻ったが、大きくてきれいな虹が空を渡っていた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の一日、挨拶回り

2024年12月22日 | 議員活動

22日㈰朝からあいにくの雨。昨夜は雪との予報もあったので心配していたが、雪が積もることはなかった。

 今朝も挨拶回りへ。日曜日の朝なので10時頃から回り始めた。午前中は藤岡康治市議と吉美地区を回った。

 途中、「ほっと朝市」という地元の皆さんのイベントに案内してもらったり、いろいろとお話をしながら。

 午後中筋地区東部を松本幸子市議と一緒に回った。

 夕方田野町や寺町のあたりを回り、今日は少し早めに16時頃に終了にして事務所に戻って、書類整理やブログ書きなど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線 来年度の着工断念

2024年12月21日 | 論評・研究

21日㈯朝刊には「北陸新幹線 来年度の着工断念」の見出し。昨日の与党PTの会合で「年内にルートを絞り込むことをしない」と決まり、来年度の着工は難しくなったということだった。

 京都府が懸念している問題、特に自然破壊や水の問題は、今の「科学」では説明できない。「トンネルは掘ってみないと分からない」というのが現在の「科学」では定説となっており、そこが「技術(人間)の限界」だ。

 米原ルートを否定する際に言われる「JR東海、JR西日本、福井県、滋賀県の合意」というのは「自然」や「神仏」相手ではなく、「人間」を相手にすることであって、「自然」や「神仏」を相手にするのとは「不可能」の意味が全く違う。逆説的に言うと「人間」の領域に属するところまでは「不可能」だと断言することも「不可能」である。

 「神や仏の存在」は科学的に証明することも、否定することもできない。「非科学的な懸念を科学的に説明する」という言葉は「神や仏が存在しないことを証明する」という意味であって、それは無理な話だ。

 それゆえ、北陸新幹線を前に進めるのだとすれば、「ルート再考」しかないのは明白であり、来年には新しいPTによって、その議論が始まることになるのではないだろうか?

 

 一昨日、12月議会が閉会し、昨日、山城広域振興局の監査を終えたので、今日から年末の挨拶回りを再開した。9時過ぎから、酒井裕史市議と共に八田方面を回った。

 毎年の豪華なクリスマス飾りを見せてもらったり、近況をお聴きしたりしながら回った。土曜日だったからか、日ごろは出会えない方と出会えたりもして良かった。

 午後中上林、奥上林へ渡辺弘造市議と共に。上林はやはり広い。

 綾部から転出されるというお話もお聞きし、さびしいながらも最後にお目にかかれて良かったと思った。優しい笑顔と楽しかった思い出をいつまでも胸に刻む。

 上林でも雪はまだほとんどなかったが、さすがに市志まで行くと少し積もっていた。

 奥上林の老富町小唐内は市志より雪が多かった。

 

 17時半からは井倉イルミネーションの点灯式に出席。今年も井倉町西門の田んぼに美しいイルミネーションが点灯された。井倉町自治会、井倉町商工繁栄会、日東精工等のご支援と協力で毎年、時間とお金、労力をかけて実施しておられる。

 点灯、来賓挨拶をさせていただいた後は恒例の音楽コンサート。今年は人数も増えてこちらも豪華になっていた。

 コンサートの後は抽選会もあり、終わった後は公会堂で綾部市の岩本正信副市長や綾部商工会議所の材木正己会頭などの来賓の皆さんと自治会、商工繁栄会の役員の皆さんと懇談。

 日東精工の会長でもある材木会頭が「社長が3倍働くより、従業員が2%効率を上げてもらう方がよっぽど利益につながる。全体をどう動かすかが重要」というお話をされて、これは「まちづくり」にも通じることだと思った。

 井倉町は綾部駅の北口に位置し、これからの綾部市の発展にとって重要な場所であり、地域の住民と企業の皆さんの「共助」の象徴としてのイルミネーションが今年も輝いたことに感謝申し上げます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山城広域振興局の監査

2024年12月20日 | 京都府議会

20日㈮朝8時40分に府議会棟を出発し、京都府山城広域振興局(浅山尚紀局長)の監査へ。

 午前中は管内調査最初は西京区大原野の北川砂防事業の現場へ。

 平成13年から総事業費18億円をかけて実施されている。途中、用地交渉が難航した時期もあり、時間がかかっているそうだ。

 続いて、京田辺市普賢寺の山下新壽園(山下新貴社長)の茶工場を訪ねた。山下社長とは以前、古林府議の紹介でお目にかかり、相談を受けたことがある。

 山下社長の家は三代続く、全国的にも有名な茶農家であり、手摘み茶をこだわりの製法で製造し、農林水産大臣賞を何度も受賞しておられる。

 最後同じく京田辺市の㈱京都杉田農園(杉田充社長)を訪ねた。杉田社長は府立農大出身で、お父さんのトマト農家を継ぎ、今は82aのトマトハウス4棟を経営して、さらなる規模拡大も構想しておられる。

 電動の脚立のような車があり、ハウス内は空調も効いている。農作業のイメージを良い意味で覆されるようなハウスだった。

 

 午後山城広域振興局にて委員審査を行った。私は「山城地域振興計画」の実施状況や山城地域の市町村の課題、「お茶の京都」「竹の里・乙訓」の状況、外国人住民への対応などについて質問した。

 夕方、府議会に戻って、そこから綾部に戻り、夜は気の置けない皆さんとの忘年会。楽しく有意義なひとときを過ごした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月議会の閉会

2024年12月19日 | 京都府議会

18日㈬12時半から議員団会議15時から予算特別委員会に出席。

 終了後、綾部に戻った。空はきれいな夕陽だった。

 19時から綾部恵比須神社奉賛会(会長:四方源太郎)初ゑびす大祭の打ち合わせ会出席した。若手の新しい会員の皆さんに集まっていただき、事業担当の平野正明副会長から一連の行事の流れを説明していただいた。

 来年1月9日、10日綾部恵比須神社(並松町、熊野新宮神社境内)にぜひお参りください。商売繁盛、家内安全にご利益があります!

 綾部恵比須神社奉賛会ではお手伝いいただける会員も募集しています。ぜひ、初ゑびす大祭に関わっていただき、ご神威にあやかりませんか?

 

19日㈭朝は薄っすらと積雪。まだ雪!というほどのことはないが、今年は年末の天候があまり良くない。

 12時半から議員団会議13時15分から本会議で、採決など行って12月議会は閉会した。

 自民党府議団建築・土木推進議連(片山誠治会長)京都府建設業協会(小崎学会長)の意見交換会に出席した。綾部建設業協会からは土木委員として上田工業の川北達哉社長が出席しておられた。

 京都泊。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝統行催事の次世代への継承について

2024年12月17日 | 京都府議会

17日㈫11時から自民党府議団政調会「歯科保健について」の勉強会に出席。健康福祉部長らから、京都府の歯科保健の取り組みについて説明を受けた。

 私は小学生の頃に小佐々歯科でマウスピースを噛みながら「フッ素」と言われる酸っぱいものを歯に付けてもらった覚えがあるが、あれが虫歯予防に効果的で、府内では取り入れている自治体ばかりではなく、差があるそうだ。

 綾部市は中学生まで取り入れているようだ。「フッ素」にも「洗口」と「塗布」の2種類があり、「塗布」は歯科衛生士が実施するため、コストが高いがそちらの方が良いとのことだった。

 

 12時半から議員団会議、13時半から文化力と価値創造に関する特別委員会(田中美貴子委員長)に出席した。

 今日のテーマ「伝統行催事の次世代への継承について」で与謝野町三河内の曳山祭を事例として、三河内の曳山行事連合会村山周平会長(大道町内会委員長)三河内地区公民館安達博志主事(奥地町町内会長)大道町内会倉橋慶一副委員参考人としてお越しいただいた。

 三河内の曳山祭今年5月3日の宵祭に参加させてもらって、三河内の人達が老若男女、祭にかける熱量の高さに驚いた。

参考:2024年5月3日付blog「三河内曳山祭りの宵宮に参加」

 今日も祭の歴史や現在の実施状況、次世代につなげる活動や今後の課題について説明していただき、さらによく理解できた。

 委員の皆さんも活発に意見を出され、参考人の3名の方もそれに応じておられて、いつになく良い意見交換ができたのではないかと感じた。

 今後、府内の祭の担い手不足は深刻になると思うので、例えば「祭人」登録制度(仮称)を京都府が整えて、祭が好きな人達が各地の祭に手伝いに行けるようにしたらどうでしょうか?と提案した。

 祭は夜や早朝から交通の便や宿泊所のない場所で行われていることも多いので、それは実費をもらってバスや宿泊場所の手配をすれば良いし、その参加費は「ふるさと納税」にもできるようにすれば良いのではないか。

 

 大相撲京都場所事務局でお世話になっている印刷会社の和田くんを誘って、府庁の近くで飲んだ。和田くんの会社が府庁のすぐ近くだということが分かって、これからも時々飲もうと約束した。

 京都泊。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道路整備要望と建設交通部への質問

2024年12月16日 | 京都府議会

16日㈪朝8時40分頃車で綾部を出たが、府議会に着いたのは10時半過ぎ今日は京都市内が渋滞していた。

 11時から府道広野綾部線及び綾部環状道路改良促進協議会(長野幸富会長)京都府の石井宏明建設交通部長に要望されるのに同席。長野会長が都合悪く、中堂秀二副会長が代わって要望された。

 この路線は京丹波町広野(旧和知町)を起点として、由良川左岸を通って山家地区、綾部地区(野田町)まで改良が進んでいるが、野田踏切の先の並松町区間は由良川と線路に挟まれて拡幅工事が難しいため、井根山にトンネルを掘るなどして道路を上げ、寺町の都市計画道路寺安場線につなげてそこを改良し、最終的には田野町~安場町~上延町~大島町の鳥ヶ坪交差点で府道福知山綾部線につなげる「綾部環状道路」としての整備を要望している。

 現在は「綾部環状道路」の一部にあたる府道安場田野線、三俣綾部線のうち、中筋地区の安場町、上延町でのバイパス工事や道路拡幅工事を進めていただいている。

 京丹波町側の片山誠治府議にも要望に同席していただいた。

 

 11時半からは主要地方道綾部美山線開通促進協議会(長野之輝会長)同じく要望活動に同席。綾部市睦寄町古屋と南丹市鶴ヶ岡を結ぶ「洞峠」の開通を目指して活動している。こちらも南丹市側の片山府議に同席いただいた。

 こちらはUPZ内でもあり、資源エネルギー庁の原発避難路予算を現在の約2億円を10倍程度に拡充してもらって、原発避難路として整備できないかと考えている。

 

 午後政策環境建設常任委員会に出席し、建設交通部所管事項についての質問。

 私はまずは「北陸新幹線」について。

 13日に開催された与党PTのヒアリングの形態や委員から西脇知事への質問や意見の内容をまず尋ねた。

 会議の形態は、公開によるPT座長、副座長の挨拶の後、非公開で最初は大阪府知事の説明とヒアリング、入れ替わりで京都府知事、京都市長が説明とヒアリングを受け、その後、PT委員のみでの会議が若干行われたようだ。

 質問は説明の確認程度、意見は北陸や関西の議員が自らの想いを述べられた程度とのこと。

 北陸新幹線小浜京都ルートのB/Cは最初にルートが示された際に1.1と公表されたが、以後、いっこうに公表されない。そんなに計算が難しいのか?と聞くと、計算式があるので難しいものではないが、B(ベネフィット、便益)に何を含めるかによっていろんな考え方はあると思うとのこと。

 例えば、計算式には「社会的割引率」が含まれるが、これは平成の初め頃の国債金利(4%)によって決められており、30年以上たった今でもそのままの4%となっている。(現在のレートだと1%)

 これを1%にすれば、北陸新幹線小浜京都ルートのC(コスト、費用)が5兆円を超えた今でもB/C1.0以上とすることは可能かもしれない。しかし「北陸新幹線にだけそれを適用するのは邪道だ」という意見を述べた上で、京都府がよく言う「受益に応じた負担」の「受益」は国交省か京都府のどちらが計算するのか?と質問した。

 それは「京都府が計算する」との答弁があり、「その計算を早くやって、京都府はこれだけしか出せないと示した方が良くないか?」と質問したら、「現行の小浜京都ルートには多くの懸念点があるため、その懸念点が払しょくされないことには計算するにも至らない」という答弁だった。たしかに、それはそうだろう。

 整備新幹線というのは「第二の国鉄を作らない」という方針で、地元にも負担を求め、地元が必要だというところにだけ新幹線を敷いてきた。今さら「国策だから全て国費でやれ」と言い出したら、これまで自己負担してきた自治体は怒るだろう。「そういういい加減なことを国会議員が言うこと自体がおかしい」と意見を述べた。

 

 にも、今日、衝突事故があった京都縦貫道の暫定2車線を早く4車線にしてほしい。せめてネクスコが方針を出している園部IC~丹波IC間だけでも早くやってほしい」と要望。

 同じく、単線で先日の土曜日のわずかな積雪で大きくダイヤを乱した山陰本線について、「これでは公共交通の意味がなくなっている」と指摘し、JR西日本へ改善要望することを求めた。北陸新幹線であれだけ「リダンダンシー」と言うのなら、生活路線である在来線の「リダンダンシー」にも、もっと気を配るべきだ。

 また、来春の建築基準法改正について、府民への影響について質問した。

 

 夜は京都泊。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あやべ福祉フロンティア創立25周年記念式典・懇親会

2024年12月15日 | あやべ福祉フロンティア

15日㈰10時あやテラスへ。11時からNPO法人あやべ福祉フロンティア(玉川弘信理事長)創立25周年記念式典・懇親会に出席した。

 あやべ福祉フロンティアは創立以来、21年間、副理事長(事務局長兼務)を務めた。初代の曽根庸行理事長と共に「日本一の福祉移送サービス団体」に成長させることができて、今は一歩引いて顧問として協力している。

 今日は来賓、理事、監事、職員、運転部や介助部のボランティアさんや清山荘の趣味クラブ長の皆さん、元理事など、多くの皆さんにご出席いただいた。

 フロンティアの「25年の歩み」は森慎一事務局長が25周年記念誌を使って説明された。

 私は顧問として、第二部の懇親会で乾杯の発声をさせていただいた。

 「フロンティアにはお金や物といった【財産】はないが、お互い助け合おうというボランティア精神を持った人が集まっているという大きな【財産】がある。これがフロンティアの強みであり、これを大切にする限り、これから先もフロンティアを継続していくことができると思う」と述べた。

 三本締めフロンティアでは恒例元理事近江勤さんに。近江さん「革命第一世代」とでもいうべき、草創期からのボランティアでもあり、いつも宴会の締めをお世話になってきた。

 閉会挨拶若林豊副理事長。若林副理事長には30代の頃からボランティアをしていただいている。

 無事に終わって、フロンティアの皆さんはホッとされていた。終わった後は、理事長、副理事長、事務局長らとCocosで慰労会をした。

 ここまで継続し、綾部の中に大きな存在感を放っているフロンティアには私も一生を捧げて奉仕したいと思っている。今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

 記念式典の冒頭で玉川理事長がこの25年で理事、監事、支部長を務めていただいた方の中で、すでに物故された方を紹介され、参加者で黙とうを捧げた。

 ここでも物故された理事、監事を改めてご紹介し、記録にとどめたい。

曽根 庸行 理事長

森本 仁 監事

山下 和彦 理事

足立みどり 理事

岩崎 和雄 理事

出野 誠 理事

津田 昌宏 理事

福井 末子 理事

荻野晴太郎 理事

古和田輝二 理事

櫻井 春代 理事(介助部長)

寺山 直輝 理事

佐々木 勝昭 理事(運転部長)

横川 勤 理事

片山 和明 理事

早川満貴子 理事(介助部長)

※順不同、役職は当時


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする