朝5時から、実践倫理宏正会の創立記念朝起会に参加。
9時からの丹の国まつりのオープニングをなぜか10時からだと思い込んでいて、安藤さんから電話をしてもらって気がついた。
ちょうど事務所に行くところだったので、慌てて駆け付けた。お騒がせして、申し訳ありませんでした。
綾部市のゆるキャラ、まゆぴー、けし太くん、あやちゃんが初めてお目見えする…はずだったのだが、けし太くんはトラブルがあり、出演できなかった。
けし太くんは5月5日の《水源ファミフェス》には登場してくれると思いますので、お楽しみに!
三体が揃うのが、《水源ファミフェス》です。5月5日はぜひ、紫水ヶ丘公園BCゾーンにお越しください。
北原会長が丹の国まつり会場で宣伝チラシを配っておられました。
いったん家に戻って、涼子の花祭りお稚児さんのために、家族で西町アイタウンへ。
自衛隊のブースもあり、福知山の篠原連隊長ともお出会いした。
涼子は可愛らしいお稚児さんになっていた。
最後は駅前に移動して、京都綾部ユニセフ協会のブースに挨拶に行った。
隣りでは綾部幼稚園PTAのブースも出しておられた。
午後は来客。
夕方からは飲み会に誘っていただいて、個人宅におじゃまして歓談させていただいた。
夜まで予定がなかったため、昼間は事務所で《げんたろう新聞》の制作。
家には、小源太の友達がたくさん遊びに来てくれていた。小源太は友達と話す時は格好つけて、「俺は…」と言う。
学級だよりに作文が載ったと見せてくれた。
名前のところが「四かた小げんた」と中途半端な、ひらがな漢字まじりになっている。
習っていない漢字は使わないということかもしれないが、名前は固有名詞なんだから、「四方小源太」でいいのではないかと思った。
せめて、「四方こげんた」にして、名字だけでも漢字にしなければ、なんか見た目がおかしい。
早朝6時から1時間、水源ファミフェスの部会長会議。皆さん、仕事前の忙しい時間をやりくりして集まっていただいた。
チラシも出来上がってきたので、宣伝も頑張らなければいけない。
10時頃から昼をはさんで夕方まで、げんたろう新聞を日頃、あまり配れていない自治会に直接ポスティングに行った。
庭先や畑におられる方々とご挨拶したり、郵便局のお兄ちゃんにポストの場所を教えてもらったりしながら、田中さんと二人で500軒ほど配って回った。
水源ファミフェスのチラシも一緒に配った。
亀岡市での痛ましい事件を受け、京都府は府の管理道路における通学路の緊急調査を行いました。府内92ヶ所のうち、綾部市内では7ヶ所が調査の対象となりました。
【綾部小学校区】
中山綾部線(上野町)/広野綾部線(JR野田踏切~綾部大橋)
【東八田小学校区】
舞鶴綾部福知山線(梅迫町、JR梅迫駅前~市道横縄手線との交差点/物部梅迫停車場線(高槻町、市道高槻陸橋線との交差点~市道横縄手)/上杉和知線(上杉町、市道鳥居野門線との交差点)
【東綾小学校区】
山家停車場線(JR山家駅~国道27号)
【志賀小学校区】
綾部大江線(向田町)
市民の方から、昨夜もメールでご指摘いただいていたので、上野町の中山綾部線を再度、チェックに行ってきました。
私が小学生の頃にも、同級生がこの道で交通事故に遭ったのを覚えています。
ちょうどひまわり保育園の降園時間でもあり、車がすれ違うだけでも大変な状況でした。
ただ、民家が立ち並んでいて、道路の拡幅は難しいと感じました。
それ以外の方法で、どういった安全対策ができるのか、府との連絡を密にしながら、小学生の通学時の安全対策をしっかりと講じるよう要望していきます。
10時から、平成24年度の綾部市自治会長総会に出席。
11時には、中筋地区老人クラブ連合会(上原茂会長)の総会に出席し、ご挨拶をさせていただいた。
午後は、福知山の井上府議、舞鶴の池田府議と、自民党府議団の中丹三市選出議員での合同プロジェクト《中丹の三本の矢・第1弾》のために福知山に行った。
中丹振興のために、どういう連携が必要なのか、“市益”だけで牽制しあうのではなく、“中丹益”を考えていくのが、われわれ府議の重要な仕事だと考えている。
三人とも1期目で、2年目に入る。まず足元の府や市の施設を回りながら、府に対する要望、意見などを聞かせていただこうということで、今日を設定した。
最初は福知山市の成美大学内に、4月から事務所が置かれた《京都府北部地域・大学連携機構》について、機構の富野暉一郎事務局長(龍谷大学教授)、機構理事でもある戸祭達郎成美大学長、府の倉石誠司戦略企画課長らから、説明を聞き、意見を交換した。
京都府は大学の南北格差も激しく、北部には成美大学1校しかない。
大学の教育研究機能、大学生のパワーを北部にも注入してもらうためのコーディネートをこの機構が受け持つ。
まだまだ立ち上がったばかりだが、これから定期的に意見交換の場を設けながら、地域課題の解決に共に協力していきましょうと一致した。
次に、《北近畿タンゴ鉄道(KTR)》を訪問。
大槻茂社長、杉山勲取締役、松村憲次参与から、KTRの経営状況と今後の対策について、お話を伺った。
井上府議が「ゲンチャンが若いから、われわれも影響されて、フットワーク良くやります。府議だからと奉っていただく必要はありません。一緒に協力して、KTRの赤字が少しでも軽減できるように取り組みたいので、これからもざっくばらんに情報共有させて下さい」と言われたが、まさにその通りだと思っている。
続いて、福知山城の隣りに最近オープンした《ゆらのガーデン》を見学した。
福知山市民プール跡地に、経済産業省からの補助金などを入れて、福知山市中心市街地活性化基本計画に沿って、三セクの福知山まちづくり株式会社が約2億円をかけて完成させた。
スイーツや雑貨、レストラン、カフェなど、7店が営業している。
夜は、福知山駅構内の居酒屋で、今日の総括をしながら、これからの計画を練った。
次は5月8日に、JR福知山支社長を訪ね、JR山陰本線の利便性向上の要望をすることになっており、その次は綾部市内での視察と交流会を企画しようかと考えている。
三市の情報を交換しながら、府議会の中でも、三市の存在感を高めていけるよう頑張っていきたい。
6時前に家を出て、朝の勉強会のために京都市内へ向かう。
自民党府連青年局有志6名と京都商工会議所の役員さん5名とで、原発再稼働とこれからのエネルギー政策について、意見交換をさせていただいた。
昼は議員団会議。
午後は総務・環境常任委員会に出席。
報告事項の中で、東日本の瓦礫処理について、「本当に被災地の方々は早期に瓦礫を処理したがっておられるのか?これから10年ほどの自分たちの仕事にしたいという気持ちはないのか?また、なぜ遠い京都まで運ぶのか?関東や北海道の自治体を公募して、それでも足りなければ、中部、北陸、関西と順番に広げていけば良いのに、政府のやり方には疑問が多い」と質問した。
1ヵ月前と同じ数値の資料ばかり出てくるので、「京都府も同じ資料ばかり出して、同じ説明ばかりせずに、もっと検証を深めて疑問に答えてほしい」と強く要望した。
所管事項では、「山田知事は大飯原発再稼働に慎重であるべきだと国に強く要求しておられるが、今夏の電力不足に関して、足りる足らないという根拠数値を把握した上で、国と交渉しておられるのか?」と聞いたら、「国が数値を出していないので、把握せずに交渉している」という答えだった。
「嘉田知事は“卒原発”と言っておられる。山田知事は“縮原発”の姿勢。“卒”と“縮”は意味が違うのに、なぜ嘉田知事と同一行動しているのか?その説明を我々は何も聞かされず、テレビで知事が発言されたことについて、府民の皆さんからはその真意を問われる。確かに、政府も関電も説明不足かもしれないが、京都府も説明不足だ。我々、綾部市はまさに“被害地元”になるのに、これでは困る」と発言した。
二ノ湯府議と一緒に綾部に帰り、二ノ湯府議の地元・京北町と綾部市、京丹後市の森林・林業関係者との懇親会に出席した。
二ノ湯府議は自民党府議団政調会の森林・林業調査会長なので、この調査会でこれからさらに勉強し、森林・林業活性化のために、議会と業界、市民が連携して頑張っていくことをお約束した。
午前中、東山町自治会の役員さん4名が来られた。
都市計画見直しや森林環境税、国道27号線歩道拡幅、府道広野綾部線のことなどについて、お問い合わせをいただいて説明した。
その後、奥上林サロンみずめの諏訪さん、野々垣さんが7月例会で府政報告してほしいとご案内を持ってきていただいた。
原発のことや農林業のこと、上林地区の課題について話をしてほしいとのご依頼だった。
今、新しいHPづくりに取り組んでいて、玉川さんに午後来ていただいて、撮影を手伝っていただいた。玉川さんはご詠歌の練習でよくビデオ撮影しておられるそうだ。
朝9時前に、清山荘へ。第25回水夢杯グラウンドゴルフ大会の開会式に出席した。
水夢杯実行委員会の会長をさせていただいているが、なかなか出席できていなかったので、久しぶりに顔を出すことができた。
午前、午後と今日は久しぶりに長時間、清山荘にいた。
大変活気があり、たくさんの方に楽しんでいただいている。
綾部市に新たに整備していただいた食堂も開設に向け、打ち合わせを行った。
来館者の増加により、人員配置や職務内容にも工夫が必要だと感じた。人件費が増やせない中で、増える業務を回していき、サービスをいかにして向上させるかが、これからの課題だろう。
フロンティア本部事務局に新しい事務局員を増やすので、この際、事務事業のやり方を見直して、さらなる業務の効率化を図らなくてはならない。
夕方は、並松町の今枝自治会長と歓喜稲荷神社へ。先日の自治会役員会で、掃除用の水の確保について要望が出ていたので、現場を確認して、関係者へご相談させていただいた。
夜は、フロンティアのサポステ運営に協力をしながら、府の訪問チーム絆、生活保護者の自立支援事業を受託しているNPO法人まごころ(藤大慶理事長)の関係者懇親会があり、参加した。
10時から、立正佼成会福知山教会の発足20周年式典に出席した。
婦人部長さんが説法の中で、「不都合の中に光を見る」ということをおっしゃった。
自分にとって嫌な発言、嫌な態度・行動の中に、自分にとっての足りない部分がある。
後ろ向きに捉えず、前向きに捉えることが、自分の成長と幸せにつながるというお話だった。
幸せになるのは、楽になるということとは違うのだなあと感じた。
懇親会では、福知山宗教者懇話会の森泰健会長(久昌寺住職)とご挨拶させていただいた。
昔、綾部の玄功寺のご住職をしておられた時に、祖父・源太郎と綾部ロータリークラブで一緒だったとお話して下さった。
祖父は80代になってインド旅行に行く際、森住職に「自分の体力で、インドに行けるだろうか?」と尋ねに行ったそうだ。
父が同行し、祖父がインド旅行に行ったのは、幼いながら何となく覚えている。
懇親会の途中に、お祝いのスピーチをさせていただいた。「立正佼成会福知山教会は“おかげさまで20年”ですが、私は“おかげさまでようやく1年”務めさせていただくことができました」と言うと、皆さん大きな拍手をして下さった。
あやべ福祉フロンティアの運転会員として、お世話になった佐々木信男さんが急逝され、曽根理事長と共に葬儀に参列させていただいた。
佐々木さんは大変まじめで気配りの行き届いた方で、フロンティアの主力メンバーとしてご活躍いただいており、本当に痛恨痛惜の念に堪えない残念なお別れだった。
佐々木さんが生前、僕のことをずいぶん期待し、奥様にもお話いただいていたようで、奥様とは初めてお出会いしたのだが、弔辞を読んでほしいとのご依頼をいただいた。
弔辞
故佐々木信男様のご霊前に謹んで弔辞を捧げます。
佐々木さん、私は今、まったく信じられない、信じたくないという思いで、この場に立たせていただいております。
佐々木さんとの最初の出会いは、まだそんなに遠い日のことではありません。停年退職を目前にされ、あやべ福祉フロンティアを訪ねていただいたのがその時でした。
「長い間、母親を一人で綾部に残しており、ずいぶん周りの方々にお世話になりました。停年になったら、何か綾部の皆さんにご恩返しできるボランティア活動はないだろうかと市役所に電話を入れ、それならフロンティアさんに行ってみたらと勧められまして…」とおっしゃり、私と曽根理事長の説明をメモをとりながら、熱心に聞いて下さいました。
過疎高齢化が進み、公共交通の便も悪い綾部市において、ボランティアの皆さんのお力で、高齢者や障害者の方々を病院や福祉施設に送迎していること。この活動には百名近いボランティアさんにご参加いただき、年間のべ四万人を送迎している全国最大規模の活動であることなどを説明しました。
ただし、ボランティアの方々にはガソリン代相当の実費はお渡しできますが、もちろん人件費は支払えないし、送迎車両もご自身の車で保険も自分でかけていただくということも説明させていただきました。
佐々木さんは「よくわかりました。インターネットでも曽根さんや四方さん達の活動を見せていただいており、自分の想いと一致することが今日のお話でよく理解できました。停年退職の日の翌日付で、あやべ福祉フロンティアの会員にならせて下さい」とおっしゃっていただきました。
しばらくして、フロンティアの事務所がある清山荘に行くと、青い活動ジャンパーを着た佐々木さんがおられ、「四方さん、今週からお世話になっています」と満面の笑顔で、胸に下がった会員証を誇らしげに見せて下さったのをまだ昨日のことのように鮮明に覚えています。
それからの佐々木さんは、高齢者や障害者の方々を病院に送迎し、車の中での会話を楽しみ、お年寄りからも大変人気のある有能なボランティアとして活動いただきました。他のボランティアが行きたがらない時間帯でも、率先して活動していただき、曽根理事長が最も信頼し、頼りにしていたお方でもありました。
お亡くなりになられた日の前日も、次の日の予定を受け取り、「また、明日」と爽やかな笑顔で事務所を後にされたそうです。
「現役時代には、若い部下たちに《仕事は段取り八分だよ》と指導してきましたから」とおっしゃり、自宅のパソコンにはゼンリンの地図を入れ、毎晩、迎えに行く家の場所を確認し、一日のスケジュールを頭に叩き込んでいるとも話しておられました。
短期間のうちに、綾部市内の様々な道を覚えていかれました。本当にまじめで、勉強熱心な方でした。
今年の一月、フロンティア中上林支部の新年会に佐々木さんにも出席していただきました。
佐々木さんは幼き日を中上林で過ごされました。
小学校に上がる前にお父様を亡くされ、お母様は一家を養う仕事を得るために、家族で豊里に移られたとお聞きしました。
新年会の席で、フロンティア中上林支部事務局の黒川住職が佐々木さんを皆さんに紹介されました。
佐々木さんのお父様、お母様、ご兄弟のことを中上林の皆さんはよく覚えておられて、懐かしい会話が弾んでいました。
帰りの車の中で、佐々木さんは「なにか胸にくすぶっていた想いが晴れました。自分の知らない両親の話も皆さんから聞かせてもらえて本当に良かったです」と大変満足気でした。
私が一年前、背水の陣で臨んだ府議選でも、熱心に応援して下さいました。
昨年暮れには、自民党綾部支部のパーティで石破茂元防衛大臣の講演を聞き、「私も自民党に入れて下さい」と入党していただきました。
三月二十四日の府政報告会にもお越しいただき、最前列の席でうなずきながら熱心に話を聞いて下さっていたお顔が忘れられません。
そんな佐々木さんとの、突然の、早すぎるお別れは、本当に残念で、さびしくてなりません。
ただ、一方で、真面目に、誠実に、そしていつも前向きに駆け抜けられた佐々木さんの人生に対しては、最大の賛美と拍手でお見送りしたいという気持ちでもいっぱいです。
現役時代には仕事に打ち込んで、ご家族を守られ、退職後は故郷綾部のために、その笑顔とやさしさで、福祉の活動に誠心誠意尽くされました。
あやべ福祉フロンティアの役職員、会員一同、また綾部市民を代表し、心からなる感謝を佐々木信男さんのご霊前に捧げます。
本当にありがとうございました。
こうしておやさしい佐々木さんの笑顔を前にするとき、お名残が尽きませんが、お別れの時間が迫ってまいりました。
これからは最愛の奥様、ご家族、また最後まで愛し、尽くしていただいた故郷綾部の未来を天国からお見守り下さい。
故佐々木信男様のご冥福を心からお祈り申し上げ、弔辞とさせていただきます。さようなら。ありがとうございました。
平成二十四年四月二十一日
NPO法人あやべ福祉フロンティア副理事長
京都府議会議員 四方源太郎
(3月24日の府政報告会。佐々木さんは写真左端)
佐々木さんは、長年、東洋佐々木ガラス㈱にお勤めだったので、戒名には硝子の《硝》の字を入れてほしいと、生前、お兄さんに話されたことがあったそうだ。《純篤硝信居士》という良い戒名をもらわれていた。
葬儀後、曽根さんと綾部に新しくできた町屋カフェに行った。
選挙前のあいさつ回りで、西本町を回っていて《喫茶まるみ》さんに寄ったとき、ある女の子がお客さんとして来られていた。その時は飲食店勤務だったが、いずれ自分のお店を持ちたいという話を聞いていたが、昨年12月からオープンされたそうだ。昼の日替わり定食は人気があるそうです。
川糸通にあり、《Mahalon(マハロン)》という名前で、美人姉妹(?)で経営されています。
市役所から歩いて数分なので、ぜひ一度、寄ってみて下さい。
夜は中筋商工繁栄会(福井信雄会長)の総会懇親会に出席。乾杯の音頭をとらせていただいた。
ここは昨年、府議に当選して一番最初にご案内をいただいた会でもあり、“乾杯デビュー”の場でもある。
終了後は、二次会に新福亭に誘っていただき、鳥ヶ坪の方々とお話させていただいた。
そういえば、昨年もこのコースだった。
10時半、西日本鉄道OB会綾部支部(岡井一郎支部長)の総会に出席。来賓として、ご挨拶させていただいた。
5月5日の水源ファミフェスに子どもが乗れる新幹線とミニSLが来ることも、宣伝させていただいた。
午後、同じ自民党1期生の兎本和久府議(木津川市、相楽郡選出)が丹後に行かれた帰りに、うちの事務所に寄って下さった。
兎本さんは少年野球の指導者として、綾部にもよく来られていたらしい。綾部パワーズと同じボーイズリーグのチームでコーチをされていたそうだ。
当選前までは建設会社を経営しておられて、建設業界のことに詳しい。
自民党府議団建築・土木議連では僕が幹事をさせていただいていて、兎本さんは副会長をしておられる。
夜は、並松町自治会の第1回役員会に組長として出席。今枝敏毅会長、高橋辰夫、余田修両副会長の下で、新体制がスタートした。
終了後、NEXT例会に顔を出した。予定が重なることが多く、最近は妻が代わりに参加しているのだが、今日は小源太が体調不良で出られないこともあり、久しぶりに参加した。
今日は皆さん用事があったようで、憲ちゃんと小嶋夫妻だけだったが、終わった後、懇親会に出かけた。
NEXTは毎月第1・3金曜日夜にミーティングと例会を行っています。年会費は1,000円で、会合の後はたいてい割り勘で居酒屋などに行って、あれこれ情報交換、意見交換をしています。
発足当初は20代30代の団体だったのですが、14年ほど経ち、今は30代後半から40代の団体になりました。
若い方ももちろん歓迎ですので、興味のある方は、ぜひ一度、お気軽にご参加下さい。
10時から、向田町老人会の第1回例会で、約1時間、府政報告をさせていただいた。
40名の方々に熱心に話を聞いていただき、ありがたい機会をいただいた。
終了後の質問では、向田町公会堂前の道路拡幅の要望、綾部高校の進学状況についての質問などが出されてお答えした。
今後も、機会がありましたら府政報告に行かせていただきますので、遠慮なくご連絡下さい。
よろしくお願いします。
午前中は、味方町の自治会長さんに水源ファミフェスのチラシを持って行き、内容を説明し、協賛金もお願いした。
同日開催される“味方の火祭り”の折込チラシで、ファミフェスの宣伝をしていただけるとのありがたいご好意をいただいた。
その後、京綾部ホテルにもファミフェスのポスターを持参した。京綾部ホテルはファミフェスに出店いただくのと、連携してGWのイベントを考えておられるようで、綾部駅南口からファミフェス会場へのシャトルバスは、京綾部ホテルも経由できるようにする予定だ。
15時から、あやべ若者サポートステーションの関係者会議に出席。
今年度から、《高校中退者等アウトリーチ事業》を厚労省から受託することになり、その件で内部関係者の意見交換会を行った。
府職時代には文教課で私立学校を担当されたこともある松本哲郎元副市長、元府立学校長の森永功元市議会議長、先月まで福知山児童相談所長で定年退職された高橋正記さんという三名の顧問の皆さんとサポステ、まごころのスタッフが、この新事業の取り組み方や学校現場、行政の立場などからの意見を交換した。
夜は、舞鶴に停泊中の練習艦かしまの艦上レセプションに出席した。
アメリカン方式なんだ、と高橋秀策舞鶴市議に教えていただき、開会挨拶もないままに、出席者は来た順に飲んだり、食べたりをスタートさせる。
練習艦には江田島の士官学校で学んだ幹部候補生たちが乗り込み、5月から中東に向けて、練習航海に出るそうだ。
中丹広域振興局の木村局長にご紹介いただき、海上自衛隊舞鶴地方総監の佐々木孝宣海将とご挨拶させていただいた。海将は日本海側の守りの総責任者だということだった。
舞鶴市長、市議会議長はじめ市議の皆様など、多くの舞鶴市民が来艦し、和やかに交流のひとときを過ごしておられた。
舞鶴の池田府議は韓国視察中で、府議は福知山の井上府議と二人の参加だった。
夜は、水源ファミフェスの全体会議。15名ほどのスタッフが集まり、それぞれの部署の進捗状況などを報告した。
じょじょに、イベント全体の準備が進んできている。
しかし、スタッフの人手不足に困っています。5月4日の準備、5月5日のファミフェス本番について、一部の時間帯だけでも結構ですので、お手伝いいただける方を募集しています。
協力していただける方は、四方源太郎までご連絡ください。
また、協賛金(1口2,000円)もお願いに回らせていただいています。こちらもぜひ、ご協力いただければ大変うれしいです。
あわせて、よろしくお願い申し上げます。
もちろん、当日、遊びにだけ来ていただける方も大歓迎です!
午前中、水源ファミリーフェスティバル(5月5日10時~15時/紫水ヶ丘公園B・Cゾーン)の件で、実行委員長の波多野さんと紫水ヶ丘自治会の四方自治会長さんにご挨拶に行った。
お留守だったが、波多野さんもお仕事がお忙しいので、「改めて僕が行っておきます」と約束した。
会場となるB・Cゾーンには、イベント部会長の大嶋さんが、メインイベントとなる《新幹線・ミニSLの出張運行》の件で、福知山鉄道館ポッポランドの役員さんと打ち合わせに来ておられたので合流する。
費用は相当かかるのだが、遊具が何もない場所で子ども達を集めて楽しんでもらうためには、なんとか協賛金(1口2,000円)を集めて実行しようと決断し、ポッポランドの皆さんも急なお願いを聞いて下さり、会場を調べに来て下さった。
「場所は大丈夫!」と言っていただいたので、後は天気と集客だ。写真(ポッポランドのHPより)のような新幹線とミニSL(SLは石炭で走るため、うまく走るかは当日の燃え方次第のようです)がやって来ます。
石原都知事が「尖閣諸島を東京都で買う」と発言した。
今月の《げんたろう新聞》にも書いたが、東京都は“首都であるがゆえの潤沢な財源”を持っている。だから、こういう発言ができるのだが、この“財源”は本来、都民だけのものではなく、国民全体のものではないかと思う。
「値段?そんなに高くはないですよ」とインタビューに答えておられたので、それなら「尖閣諸島は石原家が買う」と言うのなら、まだ分かる。
尖閣諸島を守ることは国がやるべき重要な問題で、国が頼りないから地方自治体や自分がなんとかしようという気持ちは分かるが、そもそものところで間違っていると思う。