31日㈯、7月最終日。猛暑と突然の豪雨が日本列島を襲っている。
午後、グンゼ博物苑で開催されていた「蚕織錦絵特別展」を鑑賞に行った。グンゼの元従業員の方が寄贈された江戸時代から明治時代にかけての錦絵が展示されていた。
錦絵は、江戸時代には庶民の土産物や個人の趣味として購入され、自宅の壁などに貼って楽しまれていたそうだ。かけそば一杯ほどの値段で気軽に購入できたものもあったようで、当時はそれほど価値の高いものではなかったのかもしれないが、今にも残っているものは少ないのではないかと思う。
グンゼでは130点ほど所蔵されているそうで、今回の展示はそのほんの一部。養蚕や製糸に関わるものを展示されている。この錦絵コレクションにどのくらいの価値があるかは、現在、鑑定に出しておられるそうだ。
8月8日㈰まで開催(10時~15時、入場無料)されていますので、ぜひ足をお運びください。
8月1日㈰、午後に「あやべ人権フェスタ2021」に出席した。主催団体である解放・人権政策確立要求綾部実行委員会には綾部高校PTAが属しているため、PTA会長として出席した。
京都府人権啓発イメージソング「世界がひとつの家族のように」の作詞者の鮎川めぐみさんがお越しになってのオープニングコンサートの後、人権講演会「あきらめない心」と題して、日本初の義手の看護師、伊藤真波さんがお話された。
伊藤さんは看護学生だった20歳の時に、出勤途中にバイク事故で右手を失われた。20歳の女の子にとって「普通」だった日々の生活や将来の夢が全て失われ、自暴自棄となり両親に当たることしかできなかったと当時を振り返られていた。
そこから多くの人達の支えと、その支えに応えようと思う「あきらめない心」で様々なことに挑戦され、北京とロンドンのパラリンピックに水泳日本代表として出場したり、日本初の義手の看護師となった経緯を話された。
事故の様子などは生々しく、また親御さんやご家族の気持ちになるといたたまれず、涙が出てきて、倒れてしまいそうになるほど大きな衝撃を受けたが、大変良い講演だった。
昨年、綾部高校の生徒はこのお話を学校で聴かせてもらったそうだ。伊藤さんは綾部高校では美味しい弁当を出してもらったので印象に残っているとおっしゃっていた。家に帰って小源太に伊藤さんの講演のことを尋ねると「すごく心に残った講演だった」と言っていた。それを知っていたら、PTAの本部役員の皆さんにも案内をすれば良かったと感じた。
最後にバイオリンを演奏され、これも驚いた。特別な義手で肩甲骨を動かして弓を操作し、中島みゆきの「糸」を演奏された。
また、ご主人と二人の娘さんも舞台に登場され、微笑ましい一家の様子が見えた。これからも様々な困難があるだろうが、負けずに頑張ってほしい。
夜はオリンピックの100m決勝などを観ていた。イタリアのジェイコブスがイタリアに初の金メダルをもたらした。最初の記憶はアメリカのカール・ルイス、カナダのベン・ジョンソン、イギリスやナミビアなどの速い選手の時代があって、最近はウサイン・ボルトなどジャマイカ軍団の時代が長く続いていたので、ヨーロッパの選手が金メダルを取るのは久しぶりのことではないだろうか?
今大会はアメリカの選手がいまいち活躍していないように感じる。これまでメダル数は断トツでアメリカが多かったイメージがあるが今大会はそうではない。そのせいか、アメリカでの視聴率は相当低いそうだ。オリンピックマネーの源泉はテレビの放映権料にある。テレビだけでなく媒体の多様性の出現によって、これから先のオリンピックは健全化されていくのかもしれない。