二日目、台北市から南部の嘉儀市へ移動した。嘉儀市役所では、李錫津副市長はじめ、市幹部の方々の歓待を受けた。
嘉儀市の黄敏恵市長はマニフェストに「嘉儀を京都のような都市にしたい」というスローガンを掲げて2005年に当選されたそうだ。
午後、嘉儀市とその南の台南市との境あたりにある《烏山頭(うさんとう)ダム》を視察した。
今回の視察研修のメインテーマは、この《烏山頭ダム》とそこから流れる水路《嘉南大圳(しゅう)》の建設を指揮した台湾総督府の八田與一技師の功績を訪ねるというものだった。
八田技師は、日本ではあまり知られていないが、台南や嘉儀の人々にとっては今でも大恩人として顕彰されており、小学生の教科書にも掲載されているそうだ。《八田與一記念館》の整備も進んでいる。
日頃は灌漑用水がなく田畑が作れず、雨季には一度に雨が降って水害を起こしていた台南市や嘉儀市の平野部で、八田技師の企画により、日本政府は巨費を投じて、治水と利水のためのダムと水路を建設した。
水路の総延長は地球半周分にも相当するという大規模なものを約10年で完成させたという。この水路は今でも活用されており、この地域を台湾最大の穀倉地帯にしている。
八田技師は金沢市の出身で、台南市と金沢市は友好都市となっている。
毎年、盛大に行われている八田技師の法事には金沢からも多くの方々が参加されているそうだ。
八田技師は昭和17年、フィリピンへ転勤の命を受けて向かう途上、魚雷を受けて船が沈んで亡くなられた。
奥様も終戦から3年後、写真に写っている水路に身を投げて自ら命を絶たれたそうだ。
夜は、台南市の賴清德(らいせいとく)市長主催の歓迎会に出席。
賴市長は台湾二大政党の一方である民進党の大物政治家で、台湾では大変有名な方だそうだ。ガイドの唐さんが興奮して写真を撮っておられた。
ネット上でも大沢たかお似のイケメン市長として、取り上げられていた。
台湾は蒋介石とその息子、蒋経国の時代を経て、初めて選挙で選ばれた総統が国民党の李登輝であり、次は民進党の陳水扁、今は国民党の馬英九が総統に就いている。
台南市は、清朝初期に大陸から追われて台湾を拠点とした鄭成功が都を置いた“古都”であり、その前には東インド会社のオランダ人も城を築いていた。
京都市長が会長を務める《世界歴史都市会議》の会員都市でもある。
京都とは縁が深く、来月も市長は数百名規模の訪問団で、京都を訪ねるとおっしゃっていた。「京都とは末永く、交流したい」とおっしゃり、我々もそれに協力させていただくことをお約束した。