丹の国まつりだったが、今日は一日、会社で留守番しながら、広告制作に対応した。
ユニセフで駅前に出展させていただいていたので、小源太たちは顔を出しに行かせていただいた。
GWが始まった。今年は3日に“水源ふれあいウォーク”、5日に“水源ファミリーフェスティバル”がある。
明日の市民新聞に“水源ファミフェス”のチラシが折り込まれますので、ぜひご覧いただき、5月5日は紫水ヶ丘に登って下さい。
駐車場が紫水ヶ丘公園には全くありません。
申し訳ありませんが、味方町27号線沿いの京都交通跡地駐車場もしくは川糸町の京都府総合庁舎駐車場、綾部駅北口の市有地駐車場から約20分おきに無料シャトルバスが出ますので、こちらをご利用下さい。
バスはアスパ、マクドナルド27号綾部店、ホテル綾部前停留所でも停まりますので、そちらからもご乗車いただけます。
朝来市でNPO法人を立ち上げられた方が、あやべ福祉フロンティアの視察にお越しになった。朝来市役所企画課から、フロンティアを紹介されたとおっしゃっていた。
設立理念はフロンティアとに近いものがあり、ご協力できることがあればさせていただきたいと思った。
国はスローガンばかりで実態が伴わない。その差を埋めるためにNPOで事業を立ち上げ、新たな雇用にもつなげていきたいとおっしゃっていた。
今朝、小学生の頃、よく遊んでいた同級生からメールをもらった。高校は違ったので、しばらく音信不通だったが、今年の市長選の際に久しぶりに再会した。
小学校3~4年の時だけ同じクラスだったが、一緒の班だったのでお互いに印象が残っており、すぐに打ち解けた。
連絡をもらって、今晩会おうということになり、彼の実家の喫茶店に連れて行ってもらった。お母さんにも僕のことを覚えていただいていた。
お母さんにラーメンを作っていただき、ビールも出してもらった。2時間ほど、あれこれ昔のことや最近のことを話した。
小学生の頃にはしていなかった趣味のサイクリングの話やバスの運転手になるのが夢で、大型二種免許をとったことなど初めて聞いたし、小学生の頃の名前は通称で、実は読みが一緒で漢字が違う本名があったこと、仕事のことや結婚のことや家を建てたことなど、10才の頃から26年間のことを一気に聞いた。
彼はビールを飲まなかったので、車だからかと思っていたが、23時から朝まで夜勤なんだと帰り際に教えてくれた。不景気で派遣社員が切られて、正社員がその分、働かなくてはならないそうだ。
子どもと一緒に『水源ファミフェス』に来てくれるよう誘い、また今度はうちで飲もうと約束して別れた。
夜、自民党綾部支部の役員会を開催。総会に向けて、決算報告や事業総括、新年度の事業計画と予算案を審議した。
参議院比例の予定候補者からの資料やポスターなども届き始め、役員の皆さんに配らせていただいた。
40代や50代の優秀な新人候補が、自民党からもたくさん立候補する。
自民党からの離党者のことを河野太郎氏が、「血液が流れ出ているということではありません。オシッコが出ているだけですから…」と評していた。
新しい血液はどんどん作られている。
朝9時から、清山荘で開催する第5回「水夢杯グラウンドゴルフ大会」の開会式に参加し、開会挨拶をした。今年度から、水夢杯は副理事長の担当ということで、水夢杯推進委員会の会長に就任することになった。
以前は、月1回の「せいざん杯」だけだったが、㈱水夢のご協力で「水夢杯」を作っていただき、より多くの皆さんに楽しんでいただけることになった。
水夢杯では、あやべ健康プラザの利用券などの賞品とトロフィーを出していただいている。
昼前に幼稚園に行き、PTAの担当役員の方に整理していただいたバザーの商品を見て、運動会の件で園長先生とお話をした。
PTAの資金づくり活動として、水源ファミフェスのフリマに出店することになった。総会前なので、役員を中心に出店するが、会員の方にもお手伝いいただきたいとお願いの文書を回させていただくことにした。
夜は水源ファミフェスのイベント部会を開催していただき、その横で僕は明日の自民党役員会の資料作り。
明日は雨になるらしい。
朝、小源太が「パパが前に囲碁の勝つコツを教えてくれると言っていた」と言ってきた。
1年ほど前に、ちょっとだけやり方を教えてやって、先日、ヤフーのゲームで2回くらい対戦させてやったが、あっさりボロ負けしていたので、そんなことを言ったかもしれない。
アツキが将棋を覚えたりしているらしく、昨日は小源太も上延で「挟み将棋をした!」と喜んでいて、囲碁や将棋に興味が出てきたようだ。
僕が子どもの頃に買ってもらった九路盤を引っ張り出してきて、小源太と対戦。
子ども相手でも手抜きはしないので、全部の石を殺して完勝。小源太は涙目になりながらも、泣くのはガマンしていた。
「ママとやったら、小源太でも勝てるんやないか?」と勧めたら、小源太は顔を輝かせて、ルールを全く知らない嫁さん相手にやり始めた。
テレビでは大好きな“ドラゴンボール”を放送していたのに、目もくれずに対戦に没頭。トンチンカンな試合ながらも、大勝して喜んでいた。
涼子もやりたがるので、小源太は一丁前に涼子にやり方を教えながら、二人でモソモソ対戦していた。
僕が出掛けた後、ルールを知らないお義父さん相手にも大勝した様子で、昼に帰ったらご満悦だった。
夜にもう1回対戦した。また、全部の石を殺しての完勝だったが、朝よりも少し進歩しており、“守る”ということを考えるようになっていた。“アタリ”のことも、ようやく分かりかけていた。
まだ、“地を取る”ということを教えてないので、石を取ることと取られないようにすることだけを考えているはずなのだが、“地”のことも何となく分かっているような手を打ったりする。
僕はルールを覚えた子どもの頃に、“地”の意味がなかなか理解できなかったので、こんな調子で成長されたら、すぐに教えられなくなるなあと思った。
11時から、山崎ぜんや後援会の顧問団総会が開催され、150名ほどの顧問の方々にご参加いただいた。
山崎市長の誕生に大きな力を発揮していただいた顧問団の方々であり、今後も活動を継続されることが確認された。
総会後は懇親会となり、多くの方とお話させていただいた。
迷ったら原点に返る。やり直す時は最初に戻る。
そういうことの大切さを痛烈に感じる一日だった。
かえる倶楽部だ。愛を中心に置いて、静かに考えると自ずと答えは明らかになる。
今日は一日、会社で留守番と広告制作の仕事。
その合い間に、夜の会議の資料作りと来客。
夜は、フロンティアの本部運営会議に出席した。理事会と総会に向け、理事長や部長さん方と様々なことについて議論をした。18時から22時半までかかって、ひとつの方向性が出せた。
鳩山総理は、今日の党首討論でもあまりにも支離滅裂で、ひどい状態だ。TKO状態だ。
舛添氏が新党を作るそうだ。他のメンバーを見ても、“巻き添え”新党のような気がする。
年度末が過ぎ、様々な団体の決算をしていかなければならない。
特に、NPO法人あやべ福祉フロンティアは大きく3つの事業に分かれているので、それぞれの決算をして、全体の状況を見ていかなければならない。
ボランティアで理事会を構成し経営している団体ながら、事業全部を合わせると収支は5000万円を超えるようになった。また、13名ほどの職員の方々にそれぞれ役割を分担していただき、様々な種類の事業が動いているので、決算は複雑でややこしい。
今日も午前中から、事務員のさおりさんに来ていただいて、会計データの突き合わせをしていった。
明日夜が運営会議、5月中旬の理事会で承認を得て、5月下旬には総会を開催しなければならない。
来年度の新規事業の計画もあり、この時期、フロンティアの今後の展開をいろいろと考える時期だ。
午後は何件か来客。
夜は、水源ファミフェスについて、実行委員長と設営・イベント部会長、事務局とで、22日の全体会合に向けての詰めを行った。
花粉症なのか、風邪なのか、調子が良くない。
“日本創新党”という新党ができたそうだ。これまでいくつもの新党ができたが、“新”がつく党は長く続かない。
過去には、新自由クラブ、サラリーマン新党、日本新党、新生党、新党さきがけ、新進党、新党みらいなどなど…
今でも存在する政党で“新”がつくのは、新社会党、新党日本、国民新党、新党大地などなど…
新しいものは、その瞬間から古くなるからだろう。“革新”を名乗る政党が、実は一番の保守政党であることもあるように。
夜には、綾部幼稚園PTAの第1回役員会を開催した。
事業を決めて、役員さんにそれぞれ実行委員長に就任していただき、総会に向けての準備と話し合いをした。
実行委員長にも、スムーズにご就任いただけた。役員の皆さん方は、どなたでも会長になれそうな頼もしい方々なので、きっとうまくやっていただけることだろう。
11時から、舞鶴市の市道北吸森線の開通式典に、谷垣代議士の代理として出席した。
白鳥街道のトンネルを抜けたところに信号が設置され、左折して立体交差を渡ると、白鳥踏切を通らなくても舞鶴市役所のところに抜けることができるようになった。
踏切から連なってくる車の影響で、白鳥街道の渋滞を悪化させていたが、この工事でそれが改善されることになった。
綾部市民が中丹広域振興局や舞鶴市役所に行く際にも、便利になったと思う。
午後は会社で仕事をした。
夜は消防団の指導員引継会に参加した。2年間の指導員が終わった。
小源太たちは、うちの両親と一緒に志賀郷で新たに始まった『三土市』に行って、おおい町の家族館に遊びに行ったようだ。
『三土市』では、みもりちゃんのポストカードを気に入って購入していた。手作り楽器の笛も気に入ったようで、自分のお小遣いで買ったそうだ。
昼前から、“げんたろう新聞”配布のお願いのため、山家から上林方面に入る。
13時からは、水源ファミフェスの件で、味方町自治会長さんと打ち合わせ。同日に、味方町自治会で“火祭り”をされるので、開催にあたっての調整をさせていただいた。
その後、福知山に行き、谷垣事務所に立ち寄る。
夜は18時から、並松町自治会の第1回役員会。今年度から2年間、体育部長をさせていただくことになった。
19時半からは、NEXTの例会に参加。来月14日に、NEXTの総会を開催することになった。
NEXTの年会費は1,000円で、その1,000円で食べ物を買い、飲み物を持ち寄って、懇親会をすることになっている。
NEXTの会員はいつでも募集中です。月2回の集まりを中心に、様々なイベントを企画したり、月刊NEXTの発行、FMいかるでの番組制作などを行っています。例会の後は、行ける人だけで飲みに行っています。
4月中旬に、こんな寒くなるか?という日だった。
午前中、物部地区の『地域振興計画』について、地元役員の方々と市担当部局の方々との意見交換会に出席させていただいた。
地域振興を考える会の代表を務めておられる森永議長と、昨日、別件でお話をしていて、そういう会議があるということで同席するよう誘っていただいた。
地域振興のためには、拠点施設が必要だ。
また、その施設を生かすソフトと運営を軌道に乗せる経営を同時に用意してスタートすることが重要だ。そのために、コンセプトをしっかり打ち立てた上で、そのコンセプトとニーズとのバランス見極めが最初の作業になる。
あやべ福祉フロンティアを始めた時、曽根理事長が59才で、僕が25才だった。世代を超えたタッグが活動の幅を広げていく重要なポイントだと思う。
今日の役員さん方は60代、70代の方々だったので、ここに20代か30代の若者が加わり、事務作業や長期ビジョンづくり、新しい感覚の吹き込みがあると良いのではないかと思い、「まず、一人の若者をどう雇用するのか」ということを考えてもらえたらというお話をさせていただいた。
綾部市には、施設整備や法的問題のクリア以外にも、緊急雇用対策などを活用して、最初の“橋頭堡”づくりに協力していただけたらと思う。
その後、志賀郷、八田、吉美方面へ、“げんたろう新聞”の配布お願いに回った。
夕方、サポステに来客あり。綾部にゆかりがあり、自らの子ども時代からの苦難を綴った本を出版された20代の女性だった。
メールでの接点だけで、今日が初対面だったが、6月に松寿苑でトークライブをされるそうで、サポステでもお手伝いをすることになった。
夜は、お義母さんの誕生祝いの会があった。