四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

皇居東御苑へ

2024年11月04日 | 家族

11日㈪東京三日目。午前中は池袋へ。

 には江戸城(皇居)へ。ここは無料で入場できるが、江戸城皇居東御苑に入るのは初めてだった。三方から入れる門があるようで、今日は東京駅近くの大手門から入った。

 警察官による荷物チェックを受けると誰でも入場できる。外国人観光客が多く並んでおられた。徳川将軍もここを通ったのかと感慨深く門をくぐった。

 江戸城の中は都心部とは思えない広々とした敷地が広がっていた。

 二の丸から一の丸に向かう「汐見坂」からは昔は海を眺めることができたそうだ。今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入り江が入り込んでいたとのこと。見た目より結構急な坂だ。

 一の丸に上がると開けていて、右手に天守閣の台座跡が見えた。江戸時代初期の50年ほどは天守閣が建っていたそうだが、火災で何度か焼失し、やがて「不必要」とされて、210年は天守閣のない城として存続したとのこと。

 天守台から見下ろす広場昔は「大奥」があった場所だそうだ。

 最後に三の丸尚蔵館を見学した。「公家の書ー古筆・絵巻・古文書」と「皇室の美術振興ー日本近代の絵画・彫刻・工芸」の展示がされていた。

 写真撮影はできなかったのでお見せできないが、藤原定家や紀貫之の自筆書など貴重なものが数多く展示されていた。

 「皇室の美術振興」では宮内庁が買い上げた絵画等が展示されていたが、その中に鹿子木孟郎が昭和7年に描いた油彩「大台ヶ原山中」(帝国美術院第13回美術展覧会出品)太田喜二郎が大正3年に描いた油彩「並木道」(東京大正博覧会出品)が並べられていた。

 鹿子木孟郎の弟子の有道佐一(綾部市東山町出身)昭和3年から昭和10年にパリに留学するまで鹿子木塾の助教授兼幹事を務めており、ちょうどこの「大台ケ原山中」が描かれた頃は鹿子木の元で働いていた。この絵にも有道の手が入っているのかもしれないなと思った。

 また有道が生涯書き続けた点描画の影響を与えたとされるのが太田喜二郎であり、太田の妻は有道の近所から太田に嫁いでいる。太田も綾部とは深い縁があり、この二人の絵がここに並んでいることに大きな感慨を覚えた。太田の「並木道」は有道の作風と同じ点描画で「筆触分割」の技法が用いられていると説明があった。

 

 最後大手町の新丸ビルで遅めの昼食を食べて、東京駅へ。

 東京を15時48分発の帰りの新幹線は少し遅れたが、20時前に綾部に帰ってくることができた。


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大学祭へ

2024年11月03日 | 家族

113日㈰午前中は靖国神社と渋谷へ行き、午後は旅の主目的である小源太の大学祭へ。

 大学祭に行くというのは自分が大学生の時以来だと思うので、30年ぶりくらいか。構内に入ったところではサークルの発表コーナーもあり、ちょうど「縄跳びしながらダンス」する?何とかという競技が披露されていた。

 大学のメインストリートにはサークルやゼミによる飲食の出店が立ち並び、学生の活気あふれる声が響いていた。

 中庭の舞台のところでは、息子さんがダンスサークルにいるお母さんと、たまたま近くにいたファンの女学生との会話が耳に入ってきた。

「わたし初めて見に来たの。息子が四年生でどこかのグループにいるはずなんだけど…」

学生「そうなんですか!どのチームですか?」

「分からないかしら?服は白にピンクが入っているはずなんだけど…一度しか洗濯させてもらったことがなくて…」

学生「10チームくらいが出るんで分からないですけど(スマホで写真を調べて)、ワンチャン、最初のグループかも!」

「ええっ!」


 お母さんは熱心にダンス演技を見つめ…こちらを振り返られると目には涙が…。息子さんのダンスを初めて見た感動からか。

学生「息子さん、見つかりました?」

「(涙ぐみながら)いなかったと思う~」

 

 それでその場を離れたが、きっと息子さんのダンスでは大感激されたことだろう。

 続いて、小源太が所属するお笑いサークルの舞台がある校舎へ。ここも各教室で様々な展示や出し物が行われていた。

 14時に開場だったので、その10分ほど前に行ったら行列ができていた。後ろにも長い行列ができた。並んでいたら、小源太と相方の脇阪くんが出てきたので声をかけた。実物の脇阪くんとは初めて出会った。

 後ろに並んでおられた男性が「小源太くんのお父さんですか?うちの娘がコンビを組ませてもらってます」と声をかけてくださった。親しくしていただいている先輩のお父さんのようだった。

 議員をしているとか、京都から来ているとか、私のこともすでに知っていただいていた。話していると娘さんが来て「こちらは小源太くんのお父さん」と紹介されると「えーっ、ホントですか?」と驚かれた。

 「小源太」という名前をインパクト重視で付けた効果だろう。

 小源太は大学生になって自己紹介する時に、自分の名前を言うだけでちょっと笑われ、父親が「源太郎」だと言うともっと笑われ、祖父が「八洲男」だと言うと「なんで『源』が付いてないんや」と突っ込まれ、そのまた父親が「源太郎」だと言うと驚かれると言っていた。

 

 会場は立ち見が出るほどの一杯で、小源太たちはトップバッターで出してもらっていた。大学祭最終日「午後の部」の出演者はほぼ全員三年生だったのに、唯一の二年生コンビだった。

 初っ端で場が温まっていない中、「名文」というネタの漫才は、よく考えられていて面白かった。今の大学生が「俵万智」を知っていれば、もっと笑いがとれたのかもしれない。文学好きの小源太が考えたのだろうと思うネタだった。

 小源太が「突っ込み」役だということも初めて知った。もう少し落ち着いて突っ込めば、もっと面白くなるのではないかと思ったが、相方の脇阪くんの声がよく通るようになっていて一番最初の新人ライブの動画に比べるとずいぶん成長していた。

 小源太はMCも務めて引退する先輩に突っ込んだり、皆さんに愛され、可愛がってもらっているようで良かった。

 お笑いサークルはたいていは三年生の大学祭で引退するようで、小源太もあと一年は好きなことをやって、その先は就職活動を経て独り立ちしてくれるだろう。

 

 夕方は表参道から歩いて原宿に移動。「表参道」というのは明治神宮への「参道」という意味なのだろうか。たくさんの「明治神宮」と書かれた提灯が吊るされ、大勢の観光客が歩いていた。

 原宿もすごい人だった。子ども達はここでポテトやイチゴ飴などを食べてお腹いっぱいだと言うので、飯田橋の駅まで戻って一人で近くの居酒屋で飲んだ。

 店を探そうと歩いていたら、どうしても入らないといけないような店があった。

 そういえば、今年の1月に飯田橋で行った居酒屋も、同じく入らなくてはいけないような名前だった。飯田橋には何か縁があるのだろうか?

参考:2024年1月26日付blog「劇団ふぁんハウス第44回公演【ふたりのゆめ】」


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三連休は東京へ

2024年11月02日 | 家族

112日㈯~4日㈪

 秋の三連休。半年ほど前、今年は家族で小源太の大学祭に行こうかとホテルだけ予約していた。

 お盆に岸田総理が退陣表明され、これで秋に総選挙が重なったら行けなくなるなと思っていた石破総理の早い解散で行くことができた。

 その早い解散を石破総理が責められていた時、私には何の関係もないのだが自責の念(笑)に駆られていた。

 

 朝早く京都に出て、新幹線で東京へ。豪雨で新幹線が2時間5分遅れたが、2時間遅れると新幹線特急券は払い戻しされるそうだ。急ぎの旅でもないので良かった。

 綾部の雨も気になって情報をチェックしていたが、夕方には峠を越え、特に問題が起こらずそれも良かった。東京は23時頃まで雨が降ったり止んだりで、初日は飯田橋駅と水道橋駅の間にあるホテルに入って終わりだった。

 

 二日目は朝から晴れ。東京も休日の朝は車が少ない。

 ホテルから歩いて靖国神社を参拝。妻が一度も行ったことがなく、行ってみたいと言うので。

 靖国神社の隣りにある日本武道館には大行列ができていて、調べてみると第72回「全日本剣道選手権大会」が開催されていたようだ。

 その後は渋谷へ。人が多い。ハチ公は外国人観光客に人気だった。

 続きは改めて…


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家族でバーベキュー

2024年08月15日 | 家族

15日㈭9時、施餓鬼法要の準備のために正暦寺へ。総代の皆さん方に集まっていただき、玉川弘信住職から段取りの説明を聴いた。

 10時から法要。今年、初盆を迎えられた遺族の方々が参拝された。綾部市、福知山市の真言宗のご寺院様方にも参列いただいた。

 昨年は先代住職も亡くなられたし、歴代総代さんやその奥様、世話方さんなど、この一年でも数多くのお世話になった方々が亡くなられた改めて在りし日のお姿を思い出した。

 

 家族高津町「AYABE PEACE Park&Camp」にてバーベキュー1人6000円の飲み放題コースで、肉と焼き野菜だけでなく、枝豆、ピザ、唐揚げ、釜炊きご飯、北海道濃厚アイスクリームなどもついていた。

 虫が寄ってこないように、離れたところに投光器があったり、快適な空間が創り上げられていた。これまではここでは昼のバーベキューしか体験していなかったが、夜は涼しい風も吹くし、ゆったりできていいなと思った。

 福知山市と綾部市のちょうど境にあり、両市からのアクセスが良いので、ぜひ職場や地域、家族、友人同士でのバーベキューパーティにご利用ください。

 お問い合わせ、ご予約電話0773-40-2500まで。

 

 東京から帰って来ず、今日参加できなかった小源太は明日で二十歳。温二郎は研修先のオーストラリアでたくさん友達ができて「帰りたくない」という気持ちになっているようだが、今日には日本に帰国する飛行機に乗るそうだ。

 まだ一度も海外に行ったことのない涼子は、従姉の優雲ちゃんに韓国に連れて行ってもらう約束をしていた。

 今日でお盆休みも終わり。


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お盆を迎える準備

2024年08月04日 | 家族

日㈰昨夜いったん寝て目覚めると、オリンピックで柔道の団体戦決勝を放送していた。ネットでの批判が多々あるように、さすがに開催地フランスにエコ贔屓し過ぎだと思った。

 

 今朝は5時半過ぎに起き、7時前には正暦寺へ。お盆前の境内の清掃作業のために檀家の皆様に集まっていただいており、筆頭総代として最初に挨拶した。猛暑のせいか、人数はいつもよりも少なかった。

 今日は並松組の檀家は墓地参道の草刈りが割り当てだった。道路に出てきている名前も知らない草木を鎌で伐り出し、道路脇の草を引いた。

 日が照らなかったことは幸いだったが、この場所に3人だけしかおらず、少人数ではなかなか終わりの見えない作業だった。途中、雷も鳴ってきたので、8時半過ぎには作業を終了した。

 全体作業の後四方家の墓を掃除に行った。来週の土曜日から月曜日にかけては東京に行くことになっており、今日くらいでないと墓掃除もできないなと思っていた。

 どこから飛んできたのか?今年は黄色い花を咲かせる細い草が数多く生え、それが暑さで枯れてしまっていた。

 日が照ってきて、途中でやめようかと思ったが、約1時間、一人で黙々と草を引いた。

 45リットルと30リットルのゴミ袋がいっぱいになった。多めに持って行ったつもりだったが、足りないくらいだった。

 うちの墓には椿の植栽があるので、たくさんの枯れた葉や花が落ちている。この椿も剪定しないといけないのだろうか?あまりに大きくなり過ぎだ。

 帰りに見ると、お寺の入口の階段や階段の脇の草むらは檀家の皆さんにきれいにしていただいていた。

 

 午後温二郎のスマホの機種交換にケーズデンキへ。1時間以上かかったが、温二郎は満足げだった。

 「昼ご飯食べに行こ!」と言うと、二人で行くのは嫌がったが、以前と違って多少は折れることも覚えてきた温二郎を無理やり連れて、下八田町の国道27号線沿いにある福来軒に行った。子どもの頃から通う「町中華」の店で、ここの味噌ラーメン(670円)が大好物だ。

 温二郎はラーメン(570円)を頼み、餃子(380円)と鶏からあげ(670円)を二人で食べた。鶏からあげは「小」(360円)もあります。

 福来軒は、最近はうちの妹と同級生の息子さんが調理に戻られたとのこと。

 昼営業だけになっていますが、ずいぶん前に亡くなられたお父さんの味をお母さん姉妹が長年守ってこられ、それが息子さんに引き継がれることによって、大好きな味噌ラーメンがずっと食べられるので嬉しい。

 

 食事の後はお墓へ行き、午前中に引いた草を回収し、もう少し草も引いた。

 今年のお盆は綾部にいない温二郎には、早めにお盆のお墓参りをさせた。

 夕方事務所でブログ書きなど。


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温二郎の野球の夏が終わる

2024年07月14日 | 家族

14日㈰朝からトランプ前大統領が狙撃されたニュースで持ち切りだったが、9時半福知山市SECカーボンスタジアムへ。次男・温二郎綾部中学校野球部員としての最後の中丹総体の試合を応援に行った。

 気合いを入れるためにレギュラー選手の多くがこの日のために丸刈りして試合に臨んだ。温二郎は元から丸刈りだが…。

 試合開始予定は10時だったが、雨が降りそうだったので早まったのか、9時40分頃にはプレイボールとなった。相手は福知山市の桃映中学校で、温二郎背番号4番、8番セカンドで先発出場した。

 立ち上がりは両者互角で進んだが、綾部中学校は最初の得点のチャンス温二郎も内野ゴロでヘッドスライディングしたがアウトになり流れをつかみきれないまま、ワイルドピッチで2回と3回に1点ずつ取られて悪い展開になってしまった。

 途中から雨が強くなり、なかなか綾部中学校は得点ができず点差が開いていったが、宮嶋キャプテンを中心に、選手たちは最後まで切れずに声を出し続け、仲間を鼓舞して頑張っていた。

 0対6で最終回の攻撃へ。ツーアウトになって8番の温二郎に打順が回ってきた。「おんじ!最後に一発ヒット打ってこいよ!」とスタンドから声をかけた。

 温二郎はツーストライクに追い込まれながらも、ボールを選び、何球もファウルで粘り、フルカウントで左中間にヒットを打ち返した。

 これまで見た中で一番良いヒットだった。執念のヒットを打って、1塁上でガッツポーズして喜びを爆発させていた。

 このヒットによって、ただ一人、レギュラーではなかった仲の良い同級生に代打出場の出番を回すことができて、本当に良かった。

 結果は凡退でホームを踏めずに負けてしまったが、最後まで諦めずにプレイした彼らの姿に、応援に駆けつけた保護者、関係者の皆さんはあたたかい拍手を送ってくださっていた。雨の中、多くの方に応援にお越しいただき、本当にありがとうございました。

 中学3年間はもちろん、少年野球時代から一度も「練習に行きたくない」と言わず、暑い日も寒い日もグラウンドに立ち続けた温二郎は立派だったと思う。

 身体も小さいままだったのに、根性でよく頑張った。最後のヒットはいつまでも目に焼き付けておきたい。野球部の先輩保護者である足立征子さんには、すごく良い位置で動画を撮っていただき、本当にありがとうございました。

 野球部の仲間の皆さんには本当にお世話になりました。3年生がたくさん揃ったので、良いチームができたと思います。

 試合後、一番悔しそうに涙を流していたキャッチャーの四方翔貴くんには、小学生の時に綾部ファイターズに入る前から温二郎の野球に付き合ってくれて、ここまで良いチームメイトでいてくれてありがとう!これからも仲良くしてもらえたら嬉しいです。

2017年9月10日付blog「様々な行事」

2017年9月11日付blog「温二郎と野球」

 野球部顧問塩見太嘉良先生、芦原慎平先生にも大変お世話になり、ありがとうございました。末っ子が多く、気ままな子ども達を粘り強く指導し、良いチームにしてもらった感謝しています。

 三人がキャプテンに、一人が副キャプテンに立候補した際も、子ども達に話し合いをさせ、一人のキャプテンと三人の副キャプテンをつくってチームをまとめていくようにして、最後はそれぞれが役割を果たしたのではないかと思います。

 温二郎の野球の夏はこれで終わりましたが、これからは勉強や生徒会活動に頑張ってほしいと思います。8月末には並松町ソフトボールチームの選手として、自治会対抗ソフトボール大会で活躍してくれることにも期待しています。

 高校で野球を続けるのか、違うことをやるのかは本人の判断に任せており、親としては、ただ自分がやりたいことをこれからも精一杯やってほしいとだけ願っています。


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月命日

2024年06月28日 | 家族

28日㈮昨夜は京都に泊まり、10時から月例の監査委員会議に出席した。

 12時半から議員団会議、13時15分から本会議に上程されていた議案等の採決を行い、6月議会は閉会した。

 3年間務められた鈴木貴典副知事は退任して国交省に戻られ、新たに国交省物流・自動車局総務課長の武田一寧氏が副知事に就任された。自動車局が経歴の中心で、これから京都府の大きな問題となる北陸新幹線を管轄する鉄道局とはあまり縁がないようではあるが、どうなんだろう?

 4年務められた古川博規副知事は再任、3年務められた前川明範教育長も再任された。私が府議に就任した時の教育長だった田原博明氏は府人事委員会委員長を今議会で退任され、後任には元知事室長の上田敏勝氏が選任された。

 

 綾部に戻り、18時半からは亀甲家にて、綾部市スポーツ協会(小寺哲朗会長)加盟団体交流会綾部市空手道連盟会長として出席した。

 

 今日28日祖父、四方源太郎の月命日でもある。命日は来月の7月28日。

 仏壇の過去帳を見て、以前、不思議なことに気がついた。祖父と同じく28日に、祖父からすると「お母さん(美津ゑ)」と「おばあちゃん(藤助妻)」が亡くなっている。

 そこで、祖母・きく枝の月命日も見てみると25日で、同じ日には源一郎伯父の名前があった。源一郎伯父は私がまだ1才の頃、50代の若さで病気で亡くなった。祖母は最愛の長男との別れの際には「私も一緒に入れて」と泣いて棺にすがったと聞いている。

 誰かを慕う気持ちは天に通じているのだろうし、生まれるも死ぬも全て運命なのだろう。

 

 私たち夫婦には長男・小源太の下に本来ならもう一人、子どもが生まれているはずだった。その子の月命日は14日で、同じ14日には私の曾祖父・源之助とその先代である藤助が亡くなっている。その子は女の子だとなぜか勝手にイメージしていたが、それを見て、その子は、男の子で生まれていれば曾祖父らのようにいずれ家の跡継ぎになったのかもしれないなと思うようになった。

 仏壇には「ファミリーヒストリー」がたくさん隠れている。仏壇でご先祖様を拝むことには「ファミリーヒストリー」を発掘することにもなっている。


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綾部中学校野球部の応援に

2024年03月10日 | 家族

 10日㈰朝8時15分中学野球の公式戦に出場する温二郎福知山市の成和中学校に送った後、時間待ちでガストの朝ご飯を食べた。

 ガストではロボットが大活躍しており、客席には1人のスタッフが時々いるだけで店が回っている。お客さんは中高年の男性や夫婦が多かった。

 

 9時半再び、成和中学校に戻り、綾部中学校VS網野中・弥栄中の試合を応援した。

 温二郎は8番セカンドで出場し、1試合目にもセンター前にヒットを1本打ったが、残念ながらチームは1対4で敗れた。

 続く第二試合成和中学校と対戦。序盤3回までに9点をとられて一方的な展開となり、4点は取り返したものの4対11で敗退した。

 温二郎は2ストライクに追い込まれながらも、レフト前に2点タイムリーヒットを打ち返して反撃のムードを作った。その前には打てそうにない空振りをしていたので、今日もダメかと思っていたが、自分なりにタイミングを合わせるコツをつかんできているようだった。

 綾部中学校の選手は外野の頭を越したり、外野の間を抜ける大きな当たりをそれぞれが打ち、点差ほど内容は悪くはなかったのだが、結局は「バッティングセンター」になってしまってチームとしての攻撃ができずに残念だった。

 大振りが目立ったので、温二郎は「コンパクトに!」と何度か声をかけていたが、それをチームで早めに共有する必要があった。リーダー不在が欠点で、この敗戦を自らで総括して次の試合にどうつなげるか、ケンカするくらいの激しさでチームが話し合うことが重要だと感じた。

 選挙でもケンカするくらい真剣に争いが起きる陣営は票が伸びる。

 守備では四死球で自滅した感じだったが、それはピッチャーだけの責任ではなく、チーム全体の責任だと思う。温二郎もピッチャーを励ますために「声を出す」ことはできていたが、「声を掛ける」ことができていなかった。

 ピッチャーの気持ちをどう切り替えさせるか、どう安心させて真ん中に投げさせるか、そのためには「近づいて声を掛ける」とか、マウンドに集まった時にみんなで背中をポンと叩き合ったり、握手をしたり、ボディタッチしたら気持ちがほぐれるのではないかと思った。

 今日は試合には勝てる感じがなかったが、個人能力では点差ほど負けている感じもなかった。野球は流れのスポーツなので、流れを引き寄せるプレー、引き離すプレーが何なのかをこれからはもっと考えながら練習をして、来月以降、3年生になっての公式戦では良い結果を出してほしいと願っている。

 

 午後山家地区和木町「梅まつり」に行った。和木町は特産「和木梅」が有名で、先日はNHKニュースでも取り上げられていた。

 中村屋さんのうどんを食べ、和木梅の梅干しやふきのとう味噌を購入した。

 並松町自治会5組の「組飲み」ゆらりで。参加者は5名でいつもよりも少なかったが、ご近所の皆さんとあれこれ話をして楽しい時を過ごした。


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令和6年元旦

2024年01月01日 | 家族

 令和日㈪、元旦。今年は大変な幕開けとなりました。

 午前中で元旦の行事を終え、自宅でゆっくりしていたら、夕方突然に石川県能登半島を中心とする大きな地震が起き、津波警報も発令されました。被害の全容がまだ見えてきませんが、一人でも多くの命が救われることを願っています。

 綾部市からも1日の20時45分、山崎善也市長の激励と指示を受けた4名の消防隊員が災害救助のために出発されました。隊員の皆様の任務の無事と活躍をお祈りいたします。


 一気に正月ムードではなくなりましたが、元旦の朝からの行事を振り返っておきます。

 朝5時、熊野会館にて実践倫理宏正会の元朝式参加。コロナ禍以来、来賓としてのお招きはなくなったが、今日は会員として久しぶりに参加させていただいた。

 これまでは会長の「年頭の辞」を綾部の会員が代読されていたが、今年はネット中継で上廣哲治会長の挨拶を聴かせていただいた。上廣会長のお話を直接聴くのは初めてだったが、今の自分の気持ちにスッと入ってくるお言葉だった。

 分からないことを考えても不安になるだけ。考えるのは程々にして実践のための行動を起こすべし。人間は考えるより先に行動を起こし、後からその行動を総括する。動く前から心配するな。

 前例に捉われずに、行動を起こしていくことこそが時代を切り拓く。というお話だった。

 

 続いて、6時過ぎから寺山に登った。登り口で山崎清吾副市長と一緒になったので、お話しながら約15分登山した。綾部市の主だった方々が集まってこられて、7時からボーイスカウト綾部第二団主催の元旦国旗掲揚式が行われた。

 式典の途中では雨に降られ、空は雲に覆われて、残念ながら初日の出は拝めなかった。

 下山し、麓の若宮神社(四方義規宮司)の歳旦祭に参列した。

 

 9時からは氏神である熊野新宮神社(出口孝樹宮司)の元旦祭に参列した。

 3人の子どもたちもお宮参りをさせてもらった氏神様であり、毎年、子ども達にも元旦祭に参列させるようにしている。これから先も末永く大切にしてほしい。

 祭典終了後、お神酒(梅ジュース)、みかんの接待の後、お供え物を片づけるのを子どもたちにも手伝ってもらった。

 今日は何人かから「弟の耕治さんを初めて見た」と声をかけられた。「源太郎さんもお父さんに似ていると思っていたけど、それと比ではないくらい耕治さんの方がそっくりですね」とおっしゃる方もあった。

 耕治は東京あやべ会の幹事の一人として、松本英昭会長が逝去された後の会の建て直しのため、綾部出身の若手の発掘に取り組んでいるようだ。年末にも若手の綾部出身者の会を新橋で開催し、小源太や甥の涼基も参加していた。

 僕が声をかけた他の参加者からも「面白かった」と高評価の声を聴いたので、継続して掘り起こしに努めてほしい。小源太もいろんな人と話ができて楽しかったと言っていた。

 小源太の声と耕治の声もよく似ていることに気がついた。夜は久しぶりに小源太の寝息を聞きながら寝た。幼い頃もこんな感じだったなと思いながら。

 今年は耕治も小源太も久しぶりにゆっくり綾部にいるようだ。


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綾部中学校吹奏楽部が全国大会で銀賞受賞!

2023年11月19日 | 家族

 19日㈰千葉県館山市県立南総文化ホールにおいて、第12回日本学校合奏コンクール全国大会グランドコンテスト(中学生の部)開催され、綾部中学校吹奏楽部が出場した。

 中学3年生の長女の涼子トロンボーンのパートリーダーとして、昨日昼に綾部中学校を出発し、東京に前泊して会場に向かっている。

 吹奏楽部保護者会(今川信吾会長)では「日帰り弾丸応援ツアー」を企画したので、10名で参加した。朝5時50分に綾部駅に集合して始発特急で千葉県に向かった。新幹線からは冠雪した富士山がきれいに見えた。

 新横浜駅で下車して、バスで東京湾アクアラインを通って会場に向かう。

 東京湾アクアラインは、25年前に東京で働いていた頃に完成し、当時、道路公団関係の仕事をしていたので勤め先でもよく話題になっていたが、実際に通ったのは初めてのことだった。

 新横浜から休憩を含めて約2時間、12時前に館山市にある南総文化ホールに到着した。館山市は房総半島の先端にあり、ロックバンドXのYOSHIKIやToshiの出身地だとのこと。暖かくて静かな良い町だった。

 会場では綾中生や綾中の先生方の顔が見えて、ホッとした気分になった。保護者も「応援ツアー」以外でも、それぞれの手段で多数来ておられた。

 子ども達は昨日、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターに泊まって、朝からバスで千葉に来ていた。同センターは風呂・トイレ共用の4人部屋であれば、1人2000円ほどで泊まれるようだ。

 綾部中学校の出番は13時12分からで、演奏は出だしに多少の緊張があったようだったが、これまで聴いた中で一番素晴らしいものだった。

 多くの保護者の皆さんが涙を流して感動しておられた。ケーナという歌を歌い始めたところで、中学生の美しい歌声に大きな感動を覚えた。

 他の学校の演奏も聴いたが、京都でのコンクールとは全くレベルの違う素晴らしい演奏ばかりで「こんなところで、綾中大丈夫か?」と思ったが、堂々たる演奏だった。

 夜になって分かった結果「銀賞」。涼子は「たくさん寄付してもらっているのに、銅賞だったらどうしようと思っていたからホッとした」と喜んでいた。

 綾部高校も「銀賞」で、さらには「奨励賞」にも輝いた。おめでとうございます!

 バスの運転手さんが「アクアラインは午後になるとゴルフやアウトレット帰りの車で大渋滞して動かなくなる」とおっしゃるので、演奏が終わり、集合写真の撮影を眺めて、14時前には急いで帰路についた。現地滞在時間は2時間弱。

 海浜観光自動車というバス会社は市原市にあるそうだが、地元事情に詳しい鎌瀧さんという運転手さんのおかげで、バスの中から少しは観光もでき、「海ほたる」にも寄り、新幹線の時間までに新横浜駅に着くことができた。

 鎌瀧さんはアクアラインの大渋滞を緩和するために、一度、インターチェンジを降りてショートカットする技などを駆使され、さすがプロの運転手さんだと感心した。

 新横浜駅から京都駅、そして綾部駅へ20時45分くらいに帰ってきた。子ども達は味夢の里で最後のミーティングを行い、無事に21時半頃に日東精工アリーナに到着した。子ども達のお迎えのために子ども達より先に帰ってくるという保護者会ツアーのミッションも達成できた。

 

 多くの皆さんのご支援によって、綾部中学校、綾部高校の吹奏楽部が全国大会に出場することができ、本当にありがとうございました。

 綾中吹奏楽部保護者会の今川会長はじめ、保護者会の皆様には寄付集めをお世話になりました。

 この経験を糧に、子ども達はこれからも地域のため、故郷のため、自らの成長のために、さらに努力してくれることを願っています。

 涼子もこれで完全に部活引退になりました。次は高校受験に向けて頑張ってください。


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天渓会書道展で18年前の写真をもらう

2023年11月18日 | 家族

 18日㈯午前中事務所書類整理やブログ書きなど。朝は晴れていたのに、急に激しい雨が降ってきたと思ったら、だった。

 午後、グンゼ集蔵で開催された第30回天渓会京都支部書道展へ。

 京都支部代表の蘆田朱丹先生から、今から18年前の写真をいただいた。僕が31才で、小源太はまだ1才だろう。家族でこの書道展に来た時の一枚だった。

 

 夕方大本本部での綾部もみじまつりに行った。明日11月19日まで開催されています。

 今年は夏が暑かったせいか、葉の色が茶色っぽいが、照明が当たるとそれはそれで美しくなる。

 NEXTで製作、設置、管理を担当している「竹行灯」のロウソク入れNEXT代表の今川信吾くんがしていたので、ロウソクに火を点ける作業を手伝った。

 NEXTの他のメンバーも集まってきて、暗くなるまでには全ての灯りがともった。

 出店しているお店で、お好み焼き、焼きそば、カレーライス、コーヒーなどを買って、みんなで食べた。寒かったが、温かくなった。


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綾部警察署へ実地監査

2023年11月08日 | 家族

 日㈬10時綾部警察署へ。監査委員として実地監査を行った。山口達也署長らから管内の情勢を聴いたり、犯罪防止や交通安全の取り組みについて説明を受けた。

 こちらからは交番、駐在所の勤務体制のこと老朽化している豊里と山家の駐在所の建替えの必要性車高の高いタイプのパトカーが雪道や溢水の走行には必要ではないか?ということなどを訊ねた。

 また警察官の宿舎はどこも老朽化しており、生活環境を良くしていくことにも目を向けなければならないのではないか意見を述べた。

 防犯や治安維持に新しい機器が導入されるとしても、やはり警察力というのは人力であり、少子化の時代に警察官の定数を確保するためには、そういったところにも目を向けるべきだと思っている。

 

 午後来客が何件か。MBTや奈良県立医大の梅田智広教授を紹介してもらったenlink㈱の我妻敏幸さんが久しぶりに栃木から綾部に来られた。また新しいプロジェクトを綾部で考えてもらえるようで楽しみにしている。

 涼子と温二郎の送迎で福知山に行き、帰りは早く帰る温二郎とラーメンを食べに。温二郎は出かける前におにぎりとハンバーガーを食べていたので、さすがにラーメンを少し残していたが、だいぶたくさん食べられるようになってきている。

 僕も中2から背が伸び始め、中3と高1で20センチほど伸びたので、温二郎もそろそろ伸びていくのではないだろうか?


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野球部と吹奏楽部

2023年10月28日 | 家族

 28日㈯朝7時45分福知山市の成和中学校に温二郎を送って行った。今日は9時から練習試合があるとのことだったので、ガストで朝ご飯を食べて時間を潰し、9時に再び成和中学校へ行った。

 成和中学校野球部はとても良いチームで、3人の投手に綾部中学校はほとんど手が出なかった。キャッチャーとショートの2人のレギュラーが体調不良で欠席だったため、温二郎は2試合目で初めてショートの守備にも入っていた。

 守備はエラーもなく、そつなくこなしていたが、打つ方では今日は良いところがなかったので、速い球にどうやって食らいつくか、頭を使って頑張ってほしい。

 

 午後涼子が吹奏楽部で出演している中丹文化会館での「ジョイントコンサート」へ。「ジョイントコンサート」は綾部中学校の演劇部、合唱部、吹奏楽部の合同発表会でコロナ前は毎年開催されていた。今年は久しぶりの一般観客も入れての開催ができた。

 3年生の涼子は、11月に千葉県館山市で開催される「学校合奏コンクール2023グランドコンテスト全国大会」に出場するなど、まだクラブ活動を完全引退はできないが、通常はこの「ジョイントコンサート」で3年生は引退する。新しい部長、副部長も発表されていた。

 3年間、継続してよく頑張りました。おつかれさまでした。


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綾部中学校の体育祭

2023年10月13日 | 家族

 13日㈮絶好の秋晴れとなり、綾部中学校の体育祭が開催された。今年から平日開催となり、また半日の体育祭だった。

 高校は以前から平日開催だが、中学校もそうなったのは初めてで、学校外での硬式野球などの大会で体育祭に参加できない生徒が増えてきたこと秋祭りなどの地域行事との重複、先生の働き方改革などが理由だそうだ。平日になっても観覧の保護者は多かったので、今後はこうなっていくのだろう。

 半日は保護者も来賓も楽ではあるが、応援合戦やダンス、徒競走などがなく、皆さん、様々な意見があるだろう。

 子ども達はどうあれ、楽しそうに全力で走ったり跳んだり、仲間と協力して競技に取り組んでいた。

 うちの子ども達はどこにいるのか、あまりよく分からなかった。緑組のアンカーで、すごい勢いでタイヤを引いてくる女の子がいるなあと思ってみていたら、真ん中で引いていたのが涼子だった。綱引きや大縄跳びも頑張っていた。

 温二郎は大縄跳びの時にチラッと見かけた。軽いのでタイヤにはうまく乗っていたそうだ。

 PTA競技2年生の大縄跳びに一緒に参加した。久しぶりの大縄跳びで脚がガクガクになった。思わず転倒し、その瞬間を写真にも動画でもとらえられていた。

 PTAの資源回収収益で購入した冷水器第二体育館の入口に先週ようやく設置できた。今年の暑い季節は終わったかもしれないが、来年以降、また水筒の水が足りなくなった時など活用してください。

 PTA会長として閉会式で挨拶を述べた。涼子には「短く!」と朝から釘を刺されていた。

 

 綾部市PTA連絡協議会(金定成和会長)主催PTA研修大会に参加した。

 何北中学校PTA種清喜之会長、志賀小学校PTA白波瀬博之会長何北ブロックでの活動の様子を説明された後、ネットトラブルの講演会を聴いた。ネットの講演会はもうみんな分かっているような話だった。


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綾中吹奏楽部とマンボウジャズバンド

2023年10月08日 | 家族

 日㈰今日は一日、ソロモン諸島のスイダニ前マライタ州知事の御一行を綾部案内していたが、15時から綾部中学校にご一緒してもらい、吹奏楽部の全国大会出場記念コンサートに参加してもらった。

 10月5日付けのblog「綾部中学校吹奏楽部が全国大会に出場!に書いた通り、綾部中学校11月18~19日に千葉県館山市で開催される第12回学校合奏コンクール2023グランドコンテスト全国大会に出場することになった。

 今日のコンサートはその出場を記念して、保護者や地域の方々に向けて開催されたもので、直前の案内だったのにも関わらず、立ち見も出る300名近い方々にお越しいただいた。

 長女の涼子は3年生トロンボーンのパートリーダーをしており、出場が決まった時には大変喜んでいた。今日も生徒たちみんなに自信が満ち溢れていて、堂々たる演奏だった。

 一方で、出場できるのは良いことなのだが、出場が決まって喜び合った後、少し冷静になって「お金が出してもらえるかなあ?」と心配げにする子もあったようで、娘が妻にそれを話していた。

 妻は「それは子どもが考えることでも親だけが考えることでもなくて、大人がみんなで考えることやから、お金のことは心配せんと全国大会のことだけに集中しな」と話していた。

 60人と楽器が移動し、宿泊費や食費等も考えると相当多額の費用が必要なので、一定の保護者負担をもちろんした上で、PTAや同窓会、広く一般市民の皆様の善意にお願いしたい保護者会で寄付金を募ることになった。

 コンサートの最後には生徒からのお願いと共に、保護者会の今川信吾会長から寄付を募る趣意書を配り、お願いがなされた。

 寄付金額は1口1000円以上で、下記の同窓会口座にお振込みいただくか、綾部中学校までお届けいただければありがたいですが、私にご連絡いただければお受け取りにも参ります。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。

 吹奏楽部は大所帯でそれだけ費用が巨額になるが、他のクラブや学校でも綾部から全国大会に出場する子がいるので、今後、他のクラブも含めて、綾部の子達が大いに全国の舞台で活躍するための支援基金的なものを綾部市が用意しておくことも、子ども達のために考えていかなければならないと感じている。

 昨日、綾部高校の一井育校長からも連絡があり、同じ全国大会に綾部高校も出場することが決まったとのことだった。綾部高校は大学受験時期と重なっていて、3年生全員が参加することは難しいが、20名ほどは揃えて挑戦するそうだ。

 京都共栄高校もここ数年参加しておられるようで、中丹の3つの学校が全国の舞台で揃って「金賞」がとれるよう応援します。

 

 18時から中丹文化会館にて、府立工業高校(須貝義和校長)吹奏楽部「マンボウジャズバンド」コンサートに行った。いつも案内してくれるシュンメイ部長の学生として最後のコンサートだった。

 毎年のことだが、保護者、OB、マンボウファンなどで会場はいっぱいとなる。今日も開会直前に行ったら駐車場がいっぱいで、停める場所を探すのに手間取った。

 このコンサートが3年生にとって毎年最後の舞台で、今日も情熱的でまとまりのある良い演奏を披露してくれた。

 シュンメイ部長綾部中学校吹奏楽部では長男小源太の後輩で仲が良く、府立工業に進んでからはコンサートの案内を息子や娘を通して送ってくれていた。このブログもよく読んでくれていて、コンサートの様子を早く載せてほしいと催促されてもいた。

 今年一年、これほどマンボウジャズバンドのコンサートに行った年はなく、僕自身も大いに楽しませてもらった。彼も部長の経験を経て大きく成長し、今日は大観衆の前で堂々たる挨拶をする様子をみて嬉しかった。先生との掛け合いも自信を持って「部長として一生懸命、動いた」とアピールしていた。

 あと半年、最後まで府立工業の生徒として勉学に励み、卒業後も仲間と音楽を大事にして、さらなる夢に向かって成長することを願っています。

 これから先は社会人として、故郷綾部の発展にも協力してください!

 おめでとう!そしてありがとう!


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