11月4日㈪、東京三日目。午前中は池袋へ。
昼には江戸城(皇居)へ。ここは無料で入場できるが、江戸城(皇居東御苑)に入るのは初めてだった。三方から入れる門があるようで、今日は東京駅近くの大手門から入った。
警察官による荷物チェックを受けると誰でも入場できる。外国人観光客が多く並んでおられた。徳川将軍もここを通ったのかと感慨深く門をくぐった。
江戸城の中は都心部とは思えない広々とした敷地が広がっていた。
二の丸から一の丸に向かう「汐見坂」からは昔は海を眺めることができたそうだ。今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入り江が入り込んでいたとのこと。見た目より結構急な坂だ。
一の丸に上がると開けていて、右手に天守閣の台座跡が見えた。江戸時代初期の50年ほどは天守閣が建っていたそうだが、火災で何度か焼失し、やがて「不必要」とされて、210年は天守閣のない城として存続したとのこと。
天守台から見下ろす広場は昔は「大奥」があった場所だそうだ。
最後に三の丸尚蔵館を見学した。「公家の書ー古筆・絵巻・古文書」と「皇室の美術振興ー日本近代の絵画・彫刻・工芸」の展示がされていた。
写真撮影はできなかったのでお見せできないが、藤原定家や紀貫之の自筆書など貴重なものが数多く展示されていた。
「皇室の美術振興」では宮内庁が買い上げた絵画等が展示されていたが、その中に鹿子木孟郎が昭和7年に描いた油彩「大台ヶ原山中」(帝国美術院第13回美術展覧会出品)と太田喜二郎が大正3年に描いた油彩「並木道」(東京大正博覧会出品)が並べられていた。
鹿子木孟郎の弟子の有道佐一(綾部市東山町出身)は昭和3年から昭和10年にパリに留学するまで鹿子木塾の助教授兼幹事を務めており、ちょうどこの「大台ケ原山中」が描かれた頃は鹿子木の元で働いていた。この絵にも有道の手が入っているのかもしれないなと思った。
また有道が生涯書き続けた点描画の影響を与えたとされるのが太田喜二郎であり、太田の妻は有道の近所から太田に嫁いでいる。太田も綾部とは深い縁があり、この二人の絵がここに並んでいることに大きな感慨を覚えた。太田の「並木道」は有道の作風と同じ点描画で「筆触分割」の技法が用いられていると説明があった。
最後は大手町の新丸ビルで遅めの昼食を食べて、東京駅へ。
東京を15時48分発の帰りの新幹線は少し遅れたが、20時前に綾部に帰ってくることができた。