7日㈯、秋の三連休。様々なイベントのご案内をいただきながら、予定が重なって出席できず、申し訳ありません。
午前中は福知山市の三段池公園で行われていた「もくフェス㏌中丹」(京都府中丹広域振興局主催)に行った。駐車場が満車で「そんな人気があるイベントなのか?!」と驚いたが、同時開催でテニスやソフトボールの試合や保育園の運動会、栗まつりが行われていたようだ。
福知山の武田光樹府議も来ていたので、一緒にブースや出店を見て回った。府職員の方々も大勢来ておられて挨拶した。
クレーン重機を使った「UFOキャッチャー」はユニークだった。
同時に開催されていた建設機械をVRで体験するイベントにも顔を出した。建設業への関心を子どもの頃から持ってもらうための啓発事業として行われているとのことだった。
午後は南太平洋の島国、ソロモン諸島の最大州であるマライタ州の前知事であるダニエル・スイダニ氏を招いて、自民党綾部支部の第11回「未来を語るセミナー」をITビルで開催した。
ソロモン諸島という国は聞いたことはあったが、どんな国か、これまでに考えたことがなかった。パプアニューギニアのさらに南の太平洋に浮かぶ島国で、人口約70万人の小さな国である。経済的にも決して豊かではないようだ。
ソロモン諸島は昭和53年にイギリスから独立し、以後、台湾と国交を結んでいたが、令和元年に台湾と断交し、中国と国交を結んだ。これは現在のソガバレ首相やその側近らが中国からの賄賂攻勢に屈してしまったからだとスイダニ氏は批判している。
ソガバレ首相にとって、スイダニ氏はマライタ州というソロモン諸島最大の州の知事であり、マライタ人から絶大な人気がある追い落とすべき政敵で、政府からマライタ州議会議員への工作によって、3度の知事罷免決議がなされ、とうとう今年の2月に知事の座を追われてしまった。
ソガバレ首相は中国と安全保障協定を結び、中国から警察官や放水銃、レプリカ銃(本物だとも言われている)などの提供を受け、国民を圧迫しているという。スイダニ氏も命の危険を感じたことがあったそうだ。
スイダニ氏は来年春の総選挙で、再びマライタ州知事に立候補し、ほぼ確実に当選すると言われている。彼の同志であり、今回も一緒に来日されたセルサス・タリフィル氏も国会議員選挙に立候補するそうだ。タリフィル氏は以前、首相府で働いていた経験があり、ソガバレ首相と中国との密接な関係を危険視するようになり、スイダニ氏と行動を共にするようになった。
ソガバレ首相は68才で4度も首相を務めたソロモン諸島で一番の権力者だが、スイダニ氏は53才、タリフィル氏は49才であり、世代交代を果たして、自由と民主主義をソロモン諸島に根付かせたいと考えておられるようだ。
スイダニ前知事は今回が初来日であり、そこでの綾部訪問はアジア太平洋問題の研究者である早川理恵子さんからのお声がけで実現した。
早川さんは国立音楽大学、千葉大学などで学ばれた後、笹川記念財団で長く、アジア太平洋諸国への支援活動に従事され、今は同志社大学大学院で国際海洋法を学んでおられる。数年前に綾部での会合に出席された時に名刺交換して、以後ネット上ではあるが、親しくお付き合いさせていただいている。
日本とソロモン諸島との関わりは、第二次大戦前のイギリスの統治時代から沖縄県を中心に多くの日本人が移民して事業を行っていたという。
その邦人の権益保護とオーストラリアとアメリカ軍の分断を目的に、昭和17年5月、日本軍はソロモン諸島に進駐し、7月から同諸島のガダルカナル島に飛行場を建設を始めた。
翌8月にはすぐにアメリカ軍は海兵隊1万人で攻撃し、その飛行場を占領した。日本軍は反撃のために先遣部隊900人を送り込むも壊滅。その後の増援部隊も補給が続かず、多くの戦死者、餓死者を出した。これが「ガダルカナル島の戦い」である。
ガダルカナル島をはじめとするソロモン諸島では、多くの綾部の方々も亡くなられていると、綾部市遺族会の熊内輝夫会長に教えていただいた。熊内会長の奥様のお父様もソロモン諸島の北にあるブーゲンビル島(パプアニューギニア領)で戦死されたそうだ。
セミナーの前には熊内会長夫妻からそうしたお話をスイダニ前知事に説明してもらった。スイダニ氏らは「ソロモン諸島は日本とアメリカの戦闘に巻き込まれたが、日本人への尊敬はあっても恨みはない」とおっしゃっていた。
戦況の悪化により、日本軍は昭和18年2月にガダルカナル島から撤退。2万4千人もの戦死者や艦船、航空機の被害を出し、南太平洋戦域での日本の勢力は大きく後退することになった。
遠い異国ではあるが、多くの綾部の方々が今だに眠っておられることを知り、また、中国の世界戦略がそうした小さな島国で平和に暮らしておられる方々に影響を及ぼしていることもよく分かった。
講演の後は質疑応答の時間で様々な質問や意見、要望が出された。
遺族会の熊内会長からは「戦死者は多くが山中で亡くなっているが、山の中へ遺骨収集作業に行くには道路もなく、また集落ごとの部族長の許可がなければ先に進むこともできなくて困難を極めている。スイダニ氏が首相になられたら、ぜひそういった点も改善してほしい」という要望が出されていた。
スイダニ氏もタリフィル氏も「もちろん、それには協力する」とおっしゃっていた。
約2時間のセミナーは自民党綾部支部の高橋輝副支部長の閉会挨拶で終了した。
セミナー後はスイダニ氏らを大本本部に案内した。
長生殿では、たまたま裏千家淡交会両丹支部の先生方が研究会を終えられたところで、今枝宗昭先生から「お茶を一服いかがですか?」と勧めていただき、ご馳走になった。日本文化を体験していただける良いタイミングとなった。
夕食懇談会はゆらり由良川店にて。由良川で綾部高校カヌー部が練習しているのを興味深そうに観ておられた。
日本に来る前はアメリカやカナダを回られたそうだが、たいていは会議で話をするだけでこういった夕食懇談会はなかった、こういう会があると本音で語れて良いとスイダニ氏らは喜んでおられた。
宿泊は奥上林の農家民泊「和宿オリジン」に食事後、お送りした。「上林は動物がたくさん出ますよ」と話したら驚いておられた。