週末で月末で年度末。すべてのことが重なって忙しい。
月末の支払いのため、銀行へ。新規口座を作るのに少し時間がかかった。
11時に清山荘に行った。
曽根さんと市民新聞に行って、昼ご飯を食べ、午後も清山荘の件であちこち回った。
15時過ぎに三扇さんに来ていただいた。あやべ寄席の最終報告もできた。
夜は集まりがあった。
週末で月末で年度末。すべてのことが重なって忙しい。
月末の支払いのため、銀行へ。新規口座を作るのに少し時間がかかった。
11時に清山荘に行った。
曽根さんと市民新聞に行って、昼ご飯を食べ、午後も清山荘の件であちこち回った。
15時過ぎに三扇さんに来ていただいた。あやべ寄席の最終報告もできた。
夜は集まりがあった。
午前中は書類作り。あやべ農業友の会の報告締切が明日なので、定款変更認証申請書と合わせて作った。
午後は清山荘の運営委員会に理事長と出席してご挨拶した。運営委員さんたちは指定管理者制度について、内容がよく分からないので、不審に思っておられる点もあるだろうが、1年経ってその気持ちを払拭できたというように頑張っていきたいなあと思った。
清山荘にインターネット無線LANの設備を整えるべく、準備を進めることにした。光もとりあえず申し込んでおくことにした。
フロンティア事務所に戻って、長岡さんとコンピューターシステムの打ち合わせ。運営協力費の改定が4月1日からあるので、そのことや国交省への書類提出の件を相談した。
山田知事の宣伝カーが事務所前を通られたので、手を振りにそこにいた皆さんと外に出た。
夜は19時からの政経懇話会支部長会の後、19時半から市民センターでの山田知事の個人演説会に参加した。雪にもかかわらず、大勢の方が参加しておられた。4月9日の投票日まで、あと10日だ。
今日は長い一日だった。朝、雪が降っていた。
午前中はいろいろと書類を作成。フロンティア、清山荘、農業友の会などなど…。来客もあった。
13時から、議会の控室で打ち合わせ。
30分程度で終わったので、ユニセフ事務所に寄った。岩見財務部長が来ておられて、最終決算もほぼまとまりそうとのことだった。フロンティア事務所にも寄った。
14時から、第2回綾部市福祉有償運送運営協議会を曽根理事長と一緒に傍聴。今日は傍聴者が僕ら2人だけだった。
いろいろと意見も出ていて、説明したいこともあったが、傍聴者の発言は許されなかったので、何も言えなかった。
今日は最後に採決が行われ、ほぼ全員の方に賛成していただいて、フロンティアが国土交通省へ本申請を行うことが認められた。みなさんのあたたかいご理解が大変ありがたかった。
終了後は18時半頃まで、曽根理事長とあちこち清山荘の件などで回った。様々な点検業務等の委託をしなくてはならないが、専門家ではないので適正金額かどうか自分では確かめようがなく、情報を聴きに回った。ただ、清山荘の件は、まだ基本協定を締結していないので、結局、越年するんだろうか?
法律の専門家で近々引退される方から、「フロンティアの活動に協力して、高齢者や障害者の方々の無料法律相談を受け、出張もします」というありがたい申し出もあった。さっそくお願いに上がった。
夜は20時から、会議。0時近くまでいろいろと話をした。
午前中は夜のフロンティア臨時総会のための準備をした。
昼前に福知山の法務局に行った。「定款変更の件で相談があるんですけど…」と窓口にいたオジサンに声を掛けた。「僕はもうすぐ休憩に入るから、他の人に聞いてもらって」と言われた。窓口は一つなので、そのまま突っ立っていたら、仕方なさそうに他の人を呼んでくれた。
その人に相談し始めたが専門が違っていたようで、どうも間違ったことを言い始めたことに気が付いた最初のオジサンが、「イヤイヤ、それは違う。そっちに行って」と相談場所を指差されて、結局相談に乗ってくれた。
最近、こういうことがあっても腹が立たなくなった。法務局に行く時は、共産主義国に旅行に行くと思えば、おもしろいネタが転がっている場所であるとも言える。共産主義国では無愛想に自分の権利主張をすると結構通ることが多いようだ。全く常識外れのことを言ってみたりしても、それなりに対応してもらえるので、あまり常識を持たずに訪問するのが良いだろう。
会社に戻って、再び資料作りをして、フロンティア事務所、ユニセフ事務所に寄った。
30分くらい遅刻して、午後はボランティア総合センターの運営委員会に参加した。新体制で1年が過ぎたが、いろんな意味で良い改革ができたと思う。他の運営委員さん達からもそういう声が出ていた。
夜は清山荘でフロンティアの臨時総会を開いた。約50名の方に参加していただいた。清山荘の件も無事承認された。終わった後は、内部を見学してもらった。
家に帰ると、小源太が「パパ、おかえり」と迎えてくれた。ちゃんとした挨拶ができるようになるとは、ずいぶん成長したものだ。
朝9時過ぎに森本さんと悟さんを迎えに行って、3人で京都に向かった。政治団体の収支報告を府庁に持参するためだ。いつもギリギリのこの時期に3人で行っている。
早めの昼ご飯を食べて帰ることも恒例で、府庁前の「ポパイ」という洋風定食屋に行くことになっている。トンカツがメインの店だが、最近は日替ランチ(900円、コーヒー付)を頼む。
日替ランチは、ハンバーグ、カニクリームコロッケ、焼肉、エビフライ、トンカツ、スパゲティ、ハムが1切れや少しずつとサラダ(キャベツ、レタス、大根、カボチャ)、ポテトサラダが1プレートで出てくる。ライス、赤だし、漬物も付いていて、ライスを大盛りにしたら50円増しだ。今日はコーヒーをアイスにした。
食事を終えたら、とんぼ返りで綾部に戻り、14時過ぎに市役所へ行って打ち合わせ。
夕方、会社に戻って、留守中の伝言などの処理と書類作成。
夜は案内状折りと封筒詰めの作業があった。6人ほどの方に来ていただいたので、22時頃には終わった。
朝から加奈っちが「掃除をしろ!」とうるさい。僕の机が縁側の片隅にあるのだが、完全に物置と化していて、全く使っていない。僕は「物置」でいいと思うのだが、「私は許せない」とガミガミ言い、徐々に切れはじめた。
あまりに言うので逆ギレしたら、小源太を連れて家出してしまった。仕方なく、昼ご飯は玉子焼きそばを作り、テレビを観ながらボチボチ片付けることにした。
片付けをすると必ずアルバムや本に見入ってしまうものだ。机の上に「四方豊蔵翁を偲ぶ」という本が置いてあった。豊蔵とは僕の祖母の父、曽祖父だ。略歴をじっくり読んでいたら、明治9年生まれで、先日書いた新庄倉之助は明治元年生まれなので9歳下だが、同じように何鹿郡蚕糸同業組合の書記を務め、後には波多野鶴吉の下で副組合長を務めて、波多野が退任した後は組合長となっている。新庄倉之助の後輩になるようだ。
縁というのは、いろんなところでつながっているなあと感じた。
夜は並松町自治会5組の懇親会に参加した。去年は組長だったが、火事があって参加できなかったなあと思い出していた。
家に帰ると「家出母子」は、すでに寝ていた。
午前中、小源太と一緒に市民グラウンドまで散歩に行った。交通公園のところの土手を登らせたら、登ることができていた。ずいぶん、たくさん歩いたので、最後は「ガック(だっこ)」と言って歩くのを止めた。
昼に中央公民館に行き、古典文学講座の会場設営。今日は白猪くんと二人だった。15時半に片付けに行った。片付けには久木さんも来られて、3人だったので早く片付いた。
夜は幹田くんと一緒にサトシくんの結婚祝いの会に行った。60人ほどがサトシくんの友人のお母さんの店に集まり、なごやかに行われた。末永くお幸せに!
帰ったら、小源太が寝ようとしていたところで、大きな音を出したので、なじられた。風呂に入ってくるように言われて、出てきたら小源太は寝ていた。小源太の寝姿は通天閣のビリケンに似ている。
午前中、お義母さんとグンゼに行った。グンゼ創業期の技術の基礎を築いた新庄倉之助に関する資料を見せていただいた。
倉之助の墓は新庄家の墓の隣りにあり、戒名はなく、友人達が建立したことと福井県の病院で亡くなったことが記されている。血のつながりは分からないが、同じ株だったのかもしれない。
倉之助は何鹿郡蚕糸同業組合(初代組合長は波多野鶴吉)の書記として務めていた時に、波多野に口説かれて群馬へ技術研修に数年出掛けている。群馬では製糸の技術と共に、キリスト教の信仰も持ち帰った。
倉之助はハンサムで、モテモテだったようだ。グンゼの工女さんたちの教育係もしていたので、工女さんの間での人気は相当だったらしい。明治30年に入院した時には、多くの女性から菓子箱や珈琲、玉子、白砂糖などが届けられていることも、今回見せていただいた資料から分かった。
プライベートなことも結構分かってきて、「宥座の器」(あやべ市民新聞社刊)を出す時にこれが分かっていれば、もっと面白かったのになあと感じた。
日記を明治30年~36年(36年に36才で病没)まで克明につけておられて、年賀状の出し先も記録しておられた。当時の交友関係を確認できる良い資料だ。群馬・前橋の深沢利重にも毎年年賀状が出されていて、群馬研修中に当時の大きな製糸会社であった深沢組との付き合いがあったことを物語っている。
田野から北海道に渡った田中敬造とも頻繁に書簡のやり取りがなされており、キリスト信仰を通じて、深いつながりが最後まであったんだなあと思った。
日記やコピーしていただいた手紙を借りて帰って、少し読んでいたら、素晴らしいものを見つけた。明治20年の「巡回日誌」というものだ。グンゼの創業は明治29年で、20年というと倉之助が群馬研修に行っていた時の視察記録である。
群馬各地の工場を訪ねて、工場の配置や機械の様子、細かい技術知識などが図入りでメモされている。この日誌が、グンゼ創業を支えた礎の一つであることは間違いない。鉛筆書きのその小さなメモは、崩し字で書かれており、ほとんど読めないが、波多野が喜びそうな情報を少しでも集めようという意欲が感じられる。
古文書が読めたら、もっともっと解読できるのだろう。古文書はひらがなや略字が難しいので、もっと真剣に勉強しようかな。とりあえず古文書辞書を買おうかな。
午後はフロンティア事務所に寄ったら、ボランティアの方から「ふきのとうの味噌和え」をいただいた。食べたら、山菜独特の苦味がして、春の香りだった。
会社に戻ったら、来客が数件。
夜はNEXT例会だった。
今日の午前中は次々と人が訪ねてきた。仕事、選挙、相談、お金の精算、たまたま、ぶらっと…理由は様々だが…。
午後、共同作業所やユニセフ事務所、フロンティア事務所、郵便局などへ。市役所周辺は工事中が多く、車での移動には迂回を余儀なくされる。
夕方、フロンティア主催のカラオケ発表会をFMいかるで番組にしていただくため、一言収録のため、ハートセンターへ行った。
夜は今日で3日連続で家にいる。最近は小源太と風呂に入らず、風呂から上げることと、その前に布団を敷いておくという裏方に徹している。「小源太の身体にクリーム塗ってくれてる?」という加奈っちからの指摘には返事をしない。(もう今は塗らなくてもいいんだと思っていて、塗っていなかったから)
小源太はこちらの言うことが分かるようになり、言うことを聞くようになったので、以前よりも身体を拭いたり服を着せるのが簡単だ。しかし、寝かせるのは簡単ではない。お腹や胸元に手や足を入れてきて、散々爪でひっかきながら寝るのだが、1時間以上かかっている。
OCNブログ人がメンテナンス中で昨日は更新できませんでした。遅くなってすみません。
昨日は会社にいたら、トラブルの連絡が入ってきて、そのことで昼過ぎまで動きました。まずまず問題なく、本当に良かったです。
夕方は会社でNEXTの月刊誌作り。18時半頃に完成した。
夜は家にいた。小源太にあまりテレビを見せないでおこうと思うと、自分もテレビが観れないので、手持ち無沙汰になる。会社に置いてあるたくさんの本を持って帰って来ようかなあ。
今日、共産党知事候補のチラシを見せてもらったら、大橋巨泉が推薦人になっていた。民主党の比例で参議院議員になり、すぐに辞めたり、ああいう人がいるから政治に節操がないと言われるのだと思う。
今日は自民党カーを知事選応援のために動かした。丹州社メンバーを中心に、午前午後と分担して乗ってもらった。
僕は10時40分に、曽根理事長とさくらホームに行った。竣工式があった。4月1日からオープンするそうだ。散髪をする部屋もあった。
11時から竣工式だった。たくさんの方が来ておられた。
懇親会は参加せず、12時に並松町公会堂に行った。自治会総会の懇親会に参加した。
世界野球は日本が優勝した。良かった。本当に良かった。アメリカ優勝のために仕組まれたルールを日本が代わりに活用した。でも、最後はキューバにも勝ったし、日本のプロ野球の価値も上がったことだろう。
MVPは松坂だったが、僕はイチローにもあげたい。イチローの野球を愛する気持ち、日本を愛する気持ちは嬉しかった。
9時半に綾高東分校へ。10時から、教科書販売があった。3人で約1時間で済んだ。今年もこれでようやく終了した。
会社に戻って、来客2件。
午後は会社で仕事をした。フロンティアが京都新聞からお借りしている駐車場の解約の電話をしたら、「その旨、一筆書いて送って下さい。上に回すから」と言われた。6ヶ月ごとの自動延長契約になっているが、4月末でそれが切れるので、一ヶ月前以上に申し入れているわけなのに…。借りるのならともかく、解約するのに先方の許可がいるとは、不思議なことだ。
夕方も来客2件。
夜は帰りが遅くなったが、20時半頃から居合いの稽古に行った。今日はずっと直斬りをした。手首を返すことや体重移動のことなど、細かく指導してもらった。
9時過ぎに悟さんに迎えに来てもらって、一緒に由良川花壇公園に行った。高本さんも先に来ておられた。鮭放流事業に、ゆーら企画として参加した。毎年駐車場係をしている。今年は雨も降るし、すごい寒かった。
奥の駐車場に停めてもらっていた車が数台、ぬかるみに入って動かなくなったので、押し出す作業もあった。ハッスルかあちゃんの会の方々がつくられた京野菜鍋が温かく、おいしかった。
悟さんと昼ご飯を食べながら、丹州社の会計報告書類を作った。その後、WBCの観戦。日本が韓国に勝利して嬉しかった。福留のホームランは美しかった。
試合が途中雨で中断したので最後まで観れなかった。15時から、山田知事の綾部決起集会があった。300名ほどの関係者が参加され、盛大に開催された。
京都は共産党が府政を握っていた時代に停滞した。いまだに高速道路工事や下水道工事をしているのは、その後遺症だ。生活基盤整備を無視して、府職員の人件費にお金を注ぎ込み、自らの政治基盤を安定させていた。
そういう悪い流れを断ち切ったのが、綾部出身の林田悠紀夫元知事だ。再びおかしな流れになることがあってはいけない。
投票日は、4月9日です。期日前投票も市役所でできますので、ご活用下さい。
午前中は輝くんが両丹企画に来てくれて、打ち合わせ。
12時にITビルに行き、ボランティア総合センター主催の「ボランティアフォーラム」の準備をした。
13時からのフォーラムでは、大阪NPOセンター理事の竹村安子さんという方の基調講演の後、実践発表があった。竹村さんの話は具体的で分かりやすかったし、実践発表も良かった。「ボランティアはする方もされる方もボランティア」という言葉をフロンティアも掲げているが、まさにその言葉をまとめていただいたようなフォーラムだった。
16時半からは、永井基金による第1回「創業塾」があり、京セラ㈱取締役相談役の伊藤謙介さんが講演された。
「経営」がテーマで、経営理念の共有が最も大事だということだった。昨日の話とも照らし合わせて考えることができ、意義深い講演だった。
朝8時半に綾高に行き、9時から教科書の販売をした。午前中でほぼ完売した。
午後は東分校に行って、東分校の分の仕分けをした。
15時で終わって、その後、会合。16時からは市民新聞の株主総会に出席し、夜は懇親会があった。
経営とは…という話にもなり、僕は聞くだけだが、いろいろと勉強になった。
3月中旬というのに、夜は冬のように寒かった。