午後、綾部政経懇話会30周年記念式典を中丹文化会館で開催した。
父が市会議員に初当選した直後に結成していただいた政経懇話会も創立から30年が経った。子どもの頃、“政経懇話会”という名前が難しく、うちの兄弟は「せいけいこうがかい」と呼んでいた。
谷垣総裁、山田知事、二ノ湯参議院議員など、多数のご来賓にもお越しいただいた。
谷垣総裁から、次期市長選に立候補される予定の山崎ぜんやさんについて、「財務大臣時代に、政策投資銀行に山崎さんという綾部出身の優秀な人材がいることを認識していた。四方市長は良いところに目をつけられたなと感じた」とおっしゃった。
山田知事も「四方市長には政治家の先輩として、多くのことをご指導いただいた。四方市長は京都府を本当にうまく使われるんです…」と、農夢や京都北部産業技術センターのことなどのエピソードを話された。
市長も30年の来し方を振り返り、御礼を述べると共に、自らの次の市長としては、「山崎ぜんやさんが最も能力があり、綾部市をさらに発展させることができる人材だ」と述べ、支持支援への協力をお願いした。
その後、山崎ぜんやさんが壇上に上がり、自らの決意を力強く披瀝された。「四方市政を継承しながら、産業振興・企業誘致に全力を挙げ、市民の生活安定を図る。住んでよかったあやべを目指す!」と述べられ、会場からは万雷の拍手が起こった。
二部講演は、筑波大学名誉教授の村上和雄先生が「笑って、祈って、健康長寿」と題して講演された。
笑いを交えた分かりやすく、為になる話をしていただいた。
上延で預かってもらっている小源太・涼子と久しぶりに会った。
小源太は照れくさそうに、「パパーァー!」と走って来て、抱きついてくれた。
涼子を抱っこすると、嬉しそうに舌を出してニコニコ笑っていた。
次男も明日、退院できる予定だ。
市長選に関して、いろいろなことを聞かせていただく。
山崎ぜんやさんのことを知っている方は、その能力や人柄について、高い評価をしていただくのだが…。一人一人お出会いしていくしかないのだろう。
時間との戦いだ。
夜は並松町自治会の役員会だった。役員会の後は慰労会があった。
元旦に11時から、並松町自治会の互礼会がある。
自治会長さんからのご依頼で、今年も昨年に引き続き、準備の段取りをすることになった。
並松の在住者、出身者で、僕より若い子たちにスタッフをお願いして、自治会の皆さんをカニ鍋でもてなそうと思っている。
昨日の新聞に載っていたが、民主党政権によって、京都縦貫道開通の目途が立たなくなったそうだ。これにより、綾部でもトステム撤退の後を埋めるためのマイナス材料となり、悪い影響を及ぼす。
地元の民主党代議士は公開討論会で「地元の高速道路は絶対にやります!」と断言していたが、半年も経たないうちに、こういうことになった。
全国で当選してきた民主党代議士が限られた予算を全国で奪い合うわけだから、力のないところは当然割りを食うことになる。
事業仕分けも人気が高いようだが、既存事業だけでなく、民主党がマニフェストに掲げて実行しようとしている新規事業についても、仕分けをしてもらわないといけない。
ノーベル賞受賞者の益川教授が言っておられた「文化大革命の時の紅衛兵のようだ」という言葉がピタッと当てはまる。自分たちだけが“正義”で、削ることばかり。創造する感性が感じられない。
夜に、福知山『古民家同好会』(由良智理事長)の“継ぎの会”で、「地域通貨ゆーら」についての講演をさせていただいた。
福知山の中六人部に“田野”という地区があり、そこの公民館に十数人の地元の方々が集まっておられた。
招かれる講演のテーマとしては、“地域通貨”が一番多いのだが、地域通貨について話をするのが一番難しい。
地域通貨は僕にとっては、ネットワークづくりのための他の様々な活動との関連があるので、その全体像を説明する必要がある。今日もいろいろ説明しすぎて、訳の分からない話になったのではないかと思う。
NHKの番組である「エンデの遺言」についての話もさせていただいた。
“お金”は人間が生み出した“道具”に過ぎないのに、今では“お金”が“目的(商品)”になってしまっている。便利な道具だったはずのお金に、人生を狂わされたり、苦しめられたりしている。
地域通貨を考えることは、こういうお金の問題を考えるきっかけになる。
「エンデの遺言」の最後で、ドイツの作家ミヒャエル・エンデは、こう述べている。
今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人々と、自然に他なりません。
このシステムが自ら機能するために、今後も、それらの人々と自然は、容赦なく搾取され続けるでしょう。このシステムは、消費し、成長し続けないと機能しないのですから。
成長は無から来るのではなく、どこかがその犠牲になっているのです。
歴史に学ぶものなら誰でもわかるように、理性が人を動かさない場合には、実際の出来事が、それを行うのです。
私が作家としてこの点でできることは、子孫たちが同じ過ちを冒さないように考えたり、新たな観念を生み出すことなのです。
そうすれば、この社会は否応なく変わるでしょう。世界は、必ずしも滅亡するわけではありません。しかし、人類はこの先、何百年も忘れないような後遺症を受けることになるでしょう。
人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。
お金は変えられます。人間が作ったのですから
綾ノ本分教会の教会長ご夫妻に同行いただき、久しぶりに『おぢばがえり』した。河原町大教会の宿舎食堂で昼食を食べた後、別席での話を聴きに行った。
「枝は節からしか出ない」
「どんな悪い状況になっても、実は進歩している」
「良いこと探しをして、天の理に沿った生き方をすれば、人間は“陽気ぐらし”ができるようになっている」
「親同士が向き合っていれば、子どもはしっかり育つ」
次男の名前をつけるのに苦慮している。月末までに届出するのは、諦めようかと思っている。1ヵ月分の児童手当よりも大切なものがある。結果は同じでも、過程が大事だ。
誕生日の11月24日というのは、正月の37日前だった。ちょっとビビッとした。
朝、あやべ印刷にデータ入稿した後、商工会議所へ向かう。
先日、東舞鶴での講演会でご紹介していただいた日本カード㈱の信濃社長さんと役員の方々から、綾部の商業の状況を知りたいというご依頼があり、井上専務にお時間をとっていただいた。
その後、平野副会頭もご紹介して、Aカードの現状についても話を聞かせていただいた。日本カードの方々はAカードの取り組みについて、「これはスゴイ!」と感嘆の声を上げておられた。
Aカード導入の際には、日本カードにもプレゼンをしてもらわれたそうで、平野さんは日本カードの研修会にも出て、どういう仕組みが良いのか研究されたそうだ。
西町商店街の様子も歩きながら見ていただいた。国の制度を活用して、商店への初期負担がない形での商店街振興策が具体的に考えられれば、またご提案いただくことになった。
全国ほとんどの商店街が周辺環境やライフスタイルの変化により、厳しい状況だ。
高度化資金の返済についても、せめて公共部分(アーケードなど)の今後の返済については、京都府や国が抜本的な対策を打ち出さなければ、状況はますます厳しくなるだろう。
全国商店街振興組合連合会の桑島理事長は、「商店街は市民生活のライフラインだ」とおっしゃったが、まさにそうだと思う。
大店法の改正などが商店街に与えた影響も大きく、現状は必ずしも商店主にだけ原因があるのではないと思う。
国の商業予算は、わずか200億円ほどらしい。綾部市の一般会計に毛が生えたような予算を全国で分け合っている。
農業に戸別所得保障をするのなら、商業にも高度化資金の返済をチャラにすることをしたらどうかと思う。国にお金がないのなら、鳩山首相のお母様に出してもらえば良いのではないか。
午後、兵庫県立大学の学生さんが、地域通貨ゆーらの研究で来られた。僕にとっては、フロンティアやNEXTなどの活動の一環に地域通貨があるということを説明した。
NPOやソーシャルキャピタルの理解がなければ、地域通貨がイメージしにくいが、NPOの授業でそういうことを勉強しておられるようだ。
青少年福祉にも関心があるということで、サポステにも案内し、ボランティア登録もしてもらった。来年、京都市内に就職されるそうだが、またサポステの事業に参加してもらえたら、ありがたい。
夜は、あやべ農業友の会の例会に参加した。農業の経営のあり方について、様々な意見が出ていた。
新規就農支援とは、農業のことだけでなく、生活設計全体の支援をしなくてはいけないのではないかと思った。また、新規就農者に対して、こういうふうな補助の出し方の方が良いのではないかと感じることもあった。
長い一日だった。
深夜3時頃、妻が病院に電話している声で目が覚めた。子どもが産まれそうだと言われて、寝ぼけまなこで市立病院に向かった。
朝7時、7時半にアポがあったため、いったん病院を出る。
小源太と涼子のことはうちの母に預けてあったが、母も7時半に自分のことで病院に行くと言っていたので、小源太たちをどうしようと思いながら、訪問先で話をしながら、ジャンジャンかかってくる電話に対応する。
そのまま午前中は挨拶回りに行ったが、途中で「無事、産まれた」との連絡が、お義母さんから留守電に入っていた。
午後も打ち合わせや来客。そして、自民党の党費集金が遅れていたので、それも回る。
16時からはNPO法人ふきのとうの理事会に出席。工事はようやく始まっている。今後の運営や職員体制のことについての報告を聞く。
17時半に事務所に立ち寄り、ようやく18時半に病院に行って、産まれたばかりの次男と対面した。
小源太や涼子によく似ていると言われたそうだが、そうでもないような気もする。目を開けたら、どんなふうなんだろう?
小源太たちよりも大きく3005グラムの赤ちゃんだった。家族が五人になり、家がずいぶん賑やかになるようで嬉しいが、まずは名前を付けなければならない。考える時間がほとんどないのに、「11月中に届け出ないと児童手当を1ヵ月分もらえない」と妻が言っていた。
そのまま食べ物を買って会社に戻り、今日中に仕上げるべき広報物の作成を行う。それ以外の書類整理などもあり、結局0時前になった。
机に積み上がった書類は、全部捨ててしまえばせいせいするのだろうが…。まだまだ煩悩の真っ只中にいるので、捨てようにも捨てられない。
出会う人から、「もう生まれたか?」と聞かれる。予定日は25日なのだが、いつも予定日より遅くなるので、12月初旬かもしれない。
子どもというのは、不思議と親の都合に合わせて生まれてくるので、12月3日頃かもしれないと思っている。
今日は、山崎ぜんや後援会の設立役員総会が開催された。
役員総会では、後援会長に大槻浩平さんが選出された。副会長、幹事長、事務局長もそれぞれ選出された。今後、顧問、本部役員、支部長、支部役員などの陣容が固まってくるものと思われる。
“世代交代 新しい風”を感じさせる良い後援会長、副会長にご就任いただけた。浩平さんと善也さんは偶然だが、同じ2月10日生まれで、浩平さんがちょうど1才先輩になられるそうだ。
詳しくは、近々、『山崎ぜんや後援会だより』を発行して、皆様にご報告させていただくことになっている。
会長は、「個人への誹謗中傷をする選挙ではなく、綾部市の将来をどう考えるのか、誰に託すのか、という堂々とした政策論争による選挙にしていく」と力強く挨拶の中で述べられた。
そういう選挙だし、そうしなければならないと思っている。
朝立ちに少し顔を出した後、午前と午後にそれぞれミニ集会があった。
挨拶をさせていただいたが、人数が多いと演説というのはテンションが上がって上手くいく。
集会においては、参加人数というのも、成功させる大切な条件だと思った。人数が少ない場合は、会場の作り方を考えて、多く感じるようにすることも大切だ。
夜は、綾部商工会議所青年部主催の講演会に参加した。カレーハウスCOCO壱番屋の創業者である宗次徳二さんのお話を聴いた。
何か、理論ではなく、魂に語りかけられているような不思議な講演だった。人は魂に沿って生きるようになっているのだと感じた。
「冗談だ」とおっしゃったが、本当に冗談なのか、結構本気なのか。配当金を37円にしておられるところも、引っ掛かって引っ掛かって、仕方がなかった。
不思議な時間を過ごした。
帰って、会議に参加し、その後、作業をした。
第9回の『あやべ寄席』を来年1月31日(日)14時~16時、ITビル(西町アイタウン)で開催する。そろそろ、その準備にも取り掛かっている。
今回は、林家染雀さん、桂三扇さん、桂ひろばさんらに出演をお願いしており、プロ囲碁棋士の中野泰宏九段の津軽三味線、聖マリア音楽院の合唱なども、例年通り予定しているほか、ローターアクトクラブが太鼓演奏を披露してくれるそうだ。
前売券(800円)は12月に入れば、主催団体や市内のプレイガイドで販売します。チケットが毎年売り切れて、お断りしている状態なので、ぜひ、お早めにお求めいただきますようお願い申し上げます。
来客や訪問、会議などで、慌しく過ごす。忙しくなってくると「心が亡くなり」、ちょっとしたことでも争いの種になる。
忙しくなるのは、急ぐからだと思う。
囲碁の対戦でも、急ぐと忙しくなり、それを乗り切る力があれば勝てるのだが、力がなければ自滅してしまう。
早目から手を打つ。いわゆる布石が重要だ。一手ずつ、順番に打つのがルールであり、二手一度に打つことはできないのだから、勝手読みをするのは良くない。
囲碁の格言に「手抜きは三手以内の良手」という言葉がある。「どこに打ったら良いか分からなければ、そこを手抜きして、違う場所に目を向ける。最善手ではないが、三番目以内の良手ではある」という意味だ。
「下手の考え、休むに似たり」という言葉もあるので、いろいろ考えてばかりでは仕方がないが…。
夕方から京都に行き、久しぶりにゆっくりお話をさせていただいた。
急ぐ、急がない、待つ、待たない、という話にもなった。