月末だった。
来客が午前、午後と続いた。高速道路を歩く会の打ち合わせもあった。
夜は話をしに出かけた。いろいろなことが分かった。
新日鉄の関連会社の方とも出会った。新日鉄は史上空前の利益らしい。北京五輪あたりまでのことらしいが。
「新日鉄」と聞くと、年末に再放送していたキムタク主演の「華麗なる一族」を想い出した。
月末だった。
来客が午前、午後と続いた。高速道路を歩く会の打ち合わせもあった。
夜は話をしに出かけた。いろいろなことが分かった。
新日鉄の関連会社の方とも出会った。新日鉄は史上空前の利益らしい。北京五輪あたりまでのことらしいが。
「新日鉄」と聞くと、年末に再放送していたキムタク主演の「華麗なる一族」を想い出した。
昼にご飯を食べようと家に帰ったら、卓ちゃんから電話があった。「淳さんの車がストックの前で故障していて、淳さんはたこ焼きを手に、自宅の方向に向かって歩いていた」ということだった。
きっと淳さんは慌てているだろうと、家に電話してみたがつながらなかった。ストック前までとりあえず行ってみると、ボンネットとトランクが開いたままのスカイラインが道路脇に停めてあった。
淳さんに電話すると今度は出られた。バッテリーを持って帰って充電中とのことだったので、歩いて戻ってくるのは大変だろうと思って、アスパでパンとコーヒーを買って淳さんの家に行った。
店舗部分からプライベートスペースへの入り口の柱に「声をかけずに、これより先に入るべからず」という貼り紙があったので、「淳さん、淳さん」と声をかけて入った。
充電できたバッテリーを持って、淳さんを乗せて、再びストック前に行った。「淳さん、鍵は?」と聞くと、「あれ??」とポケットを探されたが、持って来ておられなかった。再び家に戻って、再度ストック前に。
ようやくエンジンがかかったが、淳さんは交差点からすごい勢いで20mほど、バックで逆送されたので、思わず大声で「淳さん、危ない!!」と叫んだ。なんとか無事に帰って行かれた。
淳さんは自分の車が大変なことになっているのに、自分でバッテリーを取り外して対応されるなど、結構冷静だった。
忘れた鍵を取りに戻った時も、老富町のあるポイントから白山を撮影した写真を持ってこられて、見せてもらった。その写真と一緒に試しに写された裏庭の鉢植えの写真まで見せて下さった。
午前中、いろいろと用事を済ませてから、あやべ印刷に行った。
午後は、京都縦貫道の綾部ー和知区間の完成の前に、ウォーキングイベントをするという件で、その実行委員会に参加した。
来年度の後半期(9月~3月)に、福知山の京都創成大学で「NPO論」の非常勤講師をさせていただくことになった。
週1回通って、NPOのことを教えるのだが、「シラバス」という講義計画をつくらなくてはいけない。教科書や参考文献も選ぶ必要があるため、ネットでNPO関係の本をいろいろと注文した。
元学長の二場邦彦先生が前任講師で、二場先生のやっておられた授業計画があるので、それを下敷きにしながら、自分なりの計画を考えている。
NPOは住民参加の一つの形態(手法)なので、「参加」がキーワードになる。そういうことを理解してもらいたいと思っている。
「誰も受講してくれなかったら、どうしよう」とも思っている。
夜はユニセフの新年交流会があった。50名ほどの会員さん方にご参加いただいた。
市長が出席しており、イスラエル・パレスチナでの話をしてもらった。
イスラエルの国会を訪ねたときは、オルメルト首相の不信任決議の最中で、喧々諤々の議論が行われていたそうだが、市長たちが傍聴席に入ると議長にメモが回り、トントンと木槌を叩いて、静粛を促し、紹介されて拍手してもらったそうだ。
エルサレム市長やパレスチナの首相とも会談できたそうだ。
朝8時に正暦寺に行った。今日は不動明王大祭の本番だった。
綾部藩主であった九鬼の殿様は、本宮山の麓(今の大本長生殿のところ)に屋敷を構えていた。本宮山の隣りに那智山正暦寺はある。そのため、殿様は参勤交代の度に道中の無事を正暦寺で祈願されたそうだ。
その由来にちなみ、49年前に祖父・四方源太郎が筆頭総代を務めていたときに、不動明王大祭を始めたそうだ。その後、玉川正信住職になられて、一般の方にも参加していただく現在のような大きなお祭りになった。
父が筆頭総代として挨拶して、大祭は始まった。
行者さん方が様々な儀式をされる。今年は行者さん方の出入りの紐を取ったりつけたり、清めの水をかけたりという役割を与えてもらったので、間近で見ることができた。
最初に「入れる入れない」の問答がある。
めでたく入れて、次は弓矢や剣で悪霊を退散させる。
続いて、護摩焚きが始まる。
昼まででお客さんの足も途絶え、午後は片づけがあり、夕方からお寺で反省会だった。
今年の9月には檀家の役員さん方が30名ほど住職の出身地の五島列島を訪ねることになっていて、僕も玉川さんに誘われているので行こうと思っている。住職にも誘われたので、「行くつもりです」と言ったら、喜んでおられた。
ようやく、あやべ寄席当日。
朝9時に保坂くんと出口くんに畳を取りに来てもらって、準備がスタートする。
今年はチケットが売れ過ぎたこともあって、席をたくさんつくるために、パイプ椅子を社協や市民センターから運び込むという作業があった。
今年はオリジナルのハッピも揃えて、グッと気分が出てきた。
出演者の方も来られて、舞台の設営も始まる。落語だけではなく、踊りもあったり、ピアノも出てきたり、毎年演目が微妙に変わるので、毎年舞台設営には三扇さんが頭を悩ませておられる。
今年はNHK朝ドラ「ちりとてちん」に徒然亭草原として出演中の桂吉弥さんにも出ていただいた。
吉弥さん目当てで来られたお客さんも多かったが、落語家さんの中では一番後輩のため、マイクチェックや高座の最終確認などの下働きをしておられた。
13時から開場し、続々とお客さんが来られ、ほぼ300席が埋まった。
桂三扇さん、桂吉弥さん、桂三象さん、露の都さんと落語家さんに登場していただいた。
吉弥さんはさすがに人気があった。「ちりとてちん」というドラマの名前にもなっている落語をされたが、ドラマでは全部を披露されることはないので、皆さん、聞き入っておられた。
三象さんは、「絶対おもしろい」と聞いていたが、たしかに会場を大爆笑させていた。
都さんもベテランの風格があり、しっかり皆さんを笑わせていただいた。
都さんは吉本興業では、さんま・紳助・小枝と同期で、女流落語家による「上方落語少女隊」の隊長として、小枝さんが実行委員長を務めた「彦八まつり」で、水着でサンバを踊ってくれと言われて実行したことなども披露された。
落語家さんの後は、聖マリア音楽院の子ども達の合唱だった。最近毎晩忙しくて会いに行くことができず、小源太とは久しぶりに出会った。舞台脇で「パパに声をかけていいのか、どうか…」悩ましげな表情をしていた。
「みんな~待ってたー、露の都さーん~、メチャメチャおもろい桂三象さーん、三扇さんは可愛い人よ、ちりとてちんから吉弥さん~、みんな楽しいあやべ寄席~…」とオリジナルあやべ寄席の歌も披露してくれ、露の都さんも喜んで舞台に出てきていただいていた。
お次は中野くんの津軽三味線。年々、演奏が上手くなっていると今年も言われていた。「津軽じょんがら節」では途中、拍手も起こっていた。
最後、桂三象さんが再登場し、演歌に合わせて踊っていただいた。これが一番大うけで、アンコールまで起こって、2曲踊っていただいた。
終了後は、片づけをして、出演者の方々も交えて25人ほどで打ち上げに行った。
このイベントができているのは、三扇さんの献身的なご協力に負うところが大きい。出演者との間に入って、その調整を本当にお世話になっている。
当日スタッフはアクトの力が大きい。今日も10数人が、椅子運びや受付、駐車場係、お茶子さんなど、頑張ってくれた。
アクトで「第1回あやべ寄席」を主催した時の会長は保坂くんだった。今年から実行委員に復活してくれた。あの時、保坂くんが「綾部に定着して、ずっと継続できるような事業を始めたい」と言い、三扇さんの協力を得て、「あやべ寄席」が始まった。
お客さんも年々増えている。リピーターも多い。高齢者だけの世帯、独居のお年寄りは社協を通して来ていただいているが、毎年楽しみにしていただいている方もあるようだ。
「なくてはならないイベント」になりつつあるので、ぜひ、これからも「綾部に笑いを!」と続けていきたいと思っている。
朝9時に正暦寺に行った。月曜日にある「不動明王大祭」の準備があった。
住職が不思議な話をされていた。奈良市に正暦寺(しょうりゃくじ)という寺があり、そこの住職が「正信」という名前だそうだ。そこまでなら、ありそうな話だが、息子さんは「弘信」といって、綾部の正暦寺と同じらしい。おもしろい話だと思った。
そのお寺のご一行様が見学に来られていた。
昼に中野くんを綾部駅に迎えに行き、一緒に昼ごはんを食べた。
午後、綾部市囲碁連盟の中心メンバーの方々と指導碁を打ってもらった。四面打ち、五面打ちでスイスイ打っていくので、すごいことだと思った。皆さん、勝ったり負けたり、指導を受けて喜んでおられた。
夜は皆さんと懇親の場を持たせてもらった。さすが、碁打ちの方々は話題がマニアックだ。プロの布石のことなど、中野くんは質問攻めにあっていた。
タイトル戦に出れるようになったら、綾部からバスを仕立てて応援に行こうと、最後は盛り上がって終わった。
中野くんには、うちに泊まってもらった。
やらなければならないことを書いておかなければ、忘れてしまいそうになる。やらなければならないことなので、忘れたら困るので、書いておかなければならない。
夕方、書類を届けに行って、いろいろ話を聞いていただいた。今日もそうだったが、皆さん、僕の将来のことをある意味、僕自身以上に気遣っていただいている。
僕は「なるようになるし、なるようにしかならない」と思っているのだが、我が事以上に思っていただいている方が多く、本当にありがたいことだ。
きれい事だと言われればそれまでだが、「自分の思うような政治ができなければ、政治家になっても意味がない」と思っている。それが出来ない状態になってまで、ぼろくそ言われながら、自分にウソをつきながら、地位だけを守るのは嫌だ。
だから、いろいろ考えなくても、これまで通り、自分が思うようにやっていけば、必ず道は開けると楽観している。
それでダメなら、その道はそれまでなだけで、自分の全てが終わるわけではない。
でも、それで日本や綾部がうまくいかないのなら、僕は胸を張って、その時の政治や社会を批判できる。
自分が行動を起こさずに、愚痴っているだけなら、必ず後悔するだろう。悔いのない人生を、精一杯生きることはどういう結果になろうと、どこにも誰にも恥じることはない。
政治をする人間が、ウソをついたり、仁義を通さないことが多すぎる。
「これまでの政治家」に期待ができないから、それに文句を言うより自分でやろうと思った。ウソをついたり、仁義に背いてまで地位を得ようとは思わない。
夜はNEXT例会だった。終わった後、行けるメンバーで飲みに行った。
最近、飲み会は多いが、NEXTでは気を使わなくてもいい。今りんの手品に驚きながら、政治の話もして、未来を語るのは本当に楽しい。
午前中から、バタバタバタバタと。
午後、葬儀に参列した。後援会の支部役員をしていただいていた方が亡くなられた。まだまだ若く、大変元気な方だっただけに、訃報を聞いて、全く信じられない思いだった。
その後、市役所に行った。
18時からは、福祉ホールでフロンティアの安全運転講習会を開催した。綾部署から西岡交通課長さんにお越しいただいた。
今年度の綾部市内での交通事故は145件発生しており、そのうち28件が国道27号線、府道福知山綾部線が36件だそうだ。
追突事故が4割、出会い頭の事故が3割発生しており、白瀬橋のところのインター線での追突事故が結構多いらしい。見通しが良いところは逆に先を見過ぎてしまうようだ。
今年になって府内で7人の方が交通事故で死亡しておられるらしい。危ない季節になるので、注意しなければならない。
終了後に理事会を行った。ガソリン代高騰への対応、役員改選、福祉運送許可の更新などを議論した。
朝9時にホテル綾部に行った。新しいクラブの立ち上げについて話し合った。密やかに立ち上げ、綾部と日本の課題解決に取り組んでいきたい。
夜は自民党の役員会を行った。だんだん自民党にも元気が出てきた。これは森永支部長、安藤幹事長の絶妙な手綱さばきによることが大きいと思う。
マイナス思考をせずに、ともかく進め!進め!という運営が出来ているお陰だと思っている。
綾部支部は「背水の陣」を敷き、ともかく前に進むしかない。
次は総会に向けて、今年も前に進もう。
午後、ユニセフの6周年実行委員会を開催した。
「すったもんだ」したが、最終的にはグループに分かれて、良い雰囲気で会議をしていただいていた。
皆さん、僕なんか及びもつかないくらい実力のある方ばかりなので、僕なんかが指導することは何もない。変な壁を取り除いてもらえば、ユニセフはさらに大きな力を発揮することになると思う。
夜は、自民党の組織作りについて、相談に乗っていただいた。悩みも増えるが、こういうことをどんどんやっていかなければならないと思った。
朝から、安藤幹事長と一緒に、自民党パーティの挨拶回りに。森林組合、農協、建設業協会、市内企業などを回った。
皆さんに道路暫定税率についてのご意見も聞いて回った。賛否は半々だったが、税率廃止しても原油価格が上がり、すぐに元に戻ってしまうのではないかと心配される声もあり、廃止賛成の方でも確信を持って賛成という方は少ない。
廃止反対の方はやはり地方経済の冷え込みや道路整備の停滞、除雪作業などができなくなることを心配しておられた。
民主党もおそらく騒ぐだけ騒いでおいて、最後は「重要法案ではない」と党首が採決棄権し、選挙応援に行ってしまうのではないかと思う。そして、マスコミに突っ込まれたら、逆切れするのではないかと思う。
夜は、フロンティア中上林支部の新年会に理事長、事務局長と参加させていただいた。
中上林支部の方々には、このブログを見ていただいている方も多く、最近の僕の様子を細かく知っていただいていて、話が弾む。
げんたろう新聞も皆さんに配らせていただいて、中上林地区内への配布を増やすことにもご協力いただけると言っていただく方があって、本当に嬉しかった。
フロンティアは、「言う」だけではなく、実際に地域福祉の向上のために「行動」していただいている方々の集まりだ。
こういう方々の声を反映した制度を国につくってもらえるようしっかりとお願いしていかなければならない、と改めて決意を新たにした。
朝から寒い。「仮面ライダー電王」の最終回らしく、小源太が「ジーク!ガンバレ!」と騒がしくテレビを観ている。
午前中から、自民党パーティのお礼回りに行った。雪がちらつく中だったが、こういう日は在宅率が高いので、「挨拶回り日和」でもある。
昼にいったん家に帰って、午後、東八田方面を回る。市街地では雨だったが、高槻の辺りまで行くと雪に変わった。於与伎も雪だった。
15時から、舞鶴での、霊友会の政治組織であるIICの新年会に招かれていて、ギリギリ間に合った。4年ほど前に信者さんの集いで、講演させていただいて以来だった。
IICは自民党を支援していただいている。国に誇りが持てる教育の改革や新憲法制定を求めて活動しておられる。
途中から挨拶タイムになり、谷垣事務所の村上秘書から始まり、油断していたら、僕にも順番が回ってきた。府議選での支援に対する御礼と落選のお詫びを申し上げ、これからも変わらぬご支援をとお願いした。
16時半に終了し、その後、東八田地区のお礼回りを続けた。
本町にオープンした「燦々堂」のオープン記念茶会に行った。受付を済ますと、「ITビルで点心を召し上がって来て下さい」と言われた。
点心?というのは、肉まんや胡麻団子やシュウマイのことかなあ?と思って行ってみると、懐石料理の最初の方に出てくるものを詰め合わせた弁当のことだった。
お茶会では、マナーが分からないので、少しは勉強しないといけないと思った。
夜は、京都北部地方紙連合会の新年互礼会に出席させてもらった。
いつもは福知山であるのだが、今年はホテル綾部であった。最後に来賓として挨拶させていただいた。そういえば、人前で舞台に上がって挨拶するのは、久しぶりだった。
うちの家に風邪が蔓延しだしている。来週は毎晩予定があって、忙しい上に、NEXTの月刊誌を発行する週でもあるので、倒れると大変だ。
ガソリン税の暫定税率廃止を民主党が主張している。
税率廃止しても単純に25円ガソリンの値段が下がるということはないだろうし、いったん下げると上げる時は大変なので、このご時世では再度上げるのは難しいだろう。道路財源が減ることは間違いない。
国民がそれを望むのであれば、そうなっても仕方がないが、建設業界はさらに冷え込むことになり、地方経済はまた悪化するだろう。
ある建設会社の社長さんが参院選前に、「自分は自民党員やけど、今度は民主党に入れる」と言っておられた。どんなに説明しても聞き入れてもらえなかったが、民主党が勝ったことで、何が良くなりつつあるのだろうか。自分で自分の首を絞めるようなことになってしまったのではないか。
一度なくしておいて、民主党が失敗した後、自民党に仕事を増やせと言われても困ってしまう。
どういうことにするにせよ、先々のことまでよく考えてからにしてほしい。
朝から雪が降っている。
小源太に教えると、「ワーイ!」と起きてきて、「雪やこんこん、あられらこんこん」と歌っていた。「こんこん?って何?」と加奈っちに聞いていた。
午前中、社協の田中さん、篠崎さんとITビルで何席作れるかを試してみた。あやべ寄席のチケットが売れすぎたため、うれしい悲鳴で、会場作りの方法を考えている。
昨日立てたノボリが西町アイタウンの風景を少し変えていた。田中さんが「ノボリ、ノボリ」と言っておられた訳が分かった。
11時半に会社に戻ったら、森本さんと高本さんが来ておられて、ユニセフの昨日の会議の様子を聞かせていただいた。
午後から夜9時半頃まで、あやべ寄席の準備と自民党のお礼状作り、写真仕分けなどをした。
輝くんと光くん、悟さんにも手伝いに来てもらった。今晩もTBS「ニュース23」で、自民党綾部支部パーティの様子が流されていたらしい。
悟さんも家でテレビを観ていて、2つのニュースで流れたと言っておられた。たまたま、弟さんが帰って来ておられて、「これ、綾部」「これも、綾部」と教えてあげたら、弟さんは「綾部って、一体?」と驚いておられたそうだ。