今日も一日天気が悪い。昼に運転ボランティアの方が2000回のボランティア達成で、自ら記念の食事を用意され、他のボランティアの方に振舞われていたが、バタバタしていて行けなかった。
午後、少しせいざんに寄ったら、おはぎが残っていたのでいただいた。
夕方から会社で話をしていて、20時頃に家に帰った。サッカーの試合をしていたので観ていた。FCバルセロナとクラブアメリカの試合だったが、4対0という一方的なものだった。やはり、ヨーロッパ王者と中南米王者には埋められない差があるんだろう。Jリーグの優勝チームくらいでは、何対0になるんだろうか?
この差はやはり伝統の差であると思う。歴史は1年ずつしか積み重ならない。伝統は途中でやめてしまうとそこで、そこまでの積み重ねはゼロになってしまう。伝統を継承するということがその民族の誇りにつながっていくのだろう。
FCバルセロナのあるカタルーニャ地方はカタルーニャ語があり、独特の文化を持っている。軍事独裁政権の時代にカタルーニャ語は禁止されたが、バルセロナのスタジアムの中だけは使用が許されたそうだ。解説者が「バルセロナの人たちにとってサッカーは単なるスポーツではないんです。バルセロナの魂なんです」と言っておられた。
日本はサッカーでは南米やヨーロッパに、かなわないかもしれない。でも、日本人にも誇るべき魂がある。その魂を消し去ることが、日本を植民地化しようとした連合国には重要であった。(スペインの軍事独裁政権がそうしたように)
教育基本法に関してさまざまな論議がある。憲法についても同じだが、時代と共に法律も変わらなくてはならない。サッカーでもラグビーでもどんなスポーツでもルールはどんどん変わっている。「変えてはいけない」というのではなく、法律の中身について議論して欲しい。
改正に反対している人でも、改正すべきだと思っている点はあるはずだ。たとえば憲法について言えば、共産党は天皇制を最終的にはなくしたほうがいいと考えている。それなら、憲法の骨格を決めている第1条の改正に言及すべきだ。それを今の段階で言うと国民の反発を招き、党勢拡大に悪影響を及ぼすから言わないだけだ。
「教育基本法は素晴らしい法律です」というのは結構だが、その「素晴らしい法律の下」で、いじめによる自殺、その法律で育てられた親による幼児虐待、子どもが親を殺す事件が起こっている。
「教育基本法を変えない」というのではなく、もっと素晴らしい法律に変えていこう、そのためには自民党案のここがいけない、民主党案のここが悪い、共産党はこんな意見を持っている、という議論をする場所が国会ではないのか。
僕は教育基本法は、見直すべき時期に来ていると思っている。サッチャー改革を見れば分かるように、教育基本法改正は社会制度改革、公務員制度改革につながるものだ。
公務員を支持基盤にしている政党は、むしろそこにつながるから反対しているのである。公務員の数が減ったり、待遇が悪くなると自らの党の基盤が弱まるからだ。それを隠して「教育基本法を変えれば、戦争になる」という飛躍的な論理を持ち出していることに国民は気がついて欲しい。