現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

世の中変わった・・・

2014-11-21 21:17:09 | 虚無僧日記

世の中 急変。 過去のものが全く用を為さなくなった。

①「現金、財布」が要らなくなった。買い物も電車に乗るのも

カード。「銀行」も要らない。現金引き出しや送金、振込みなど

コンビ二の方が早く済ませる。

②「名刺」が要らなくなった。メールを交換するか、姓名を

名乗れば、face-book で やりとりできる。そのFBも

スマホで見れる。

③「手紙、葉書、切手」。「年賀状」なんか、まったく無意味。

これでは郵便局の経営も危うくなってきた。

④街中から「時計」が消えた。ケータイで確認できる。

 

その「カード」「キャッシュ」「クォーツ」「ケータイ」「コンピュータ」の

「カキクケコ」を持たない私は、今の世の中で生きていけない?

生きる価値が無い“無用の人” “無能の人” ということか。

 

 


滋賀県にも「山室」

2014-11-21 21:01:22 | わが家のこと

私の母方の姓は「山室」で、どうやら千葉県の「山室」の城主だったようだと

書いたところ、11/9 滋賀県の方から、長浜市と米原市にも「山室」という

地名があり、「山室姓」も複数あるとの情報をいただきました。ありがとう

ございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

滋賀県長浜市堀部と言う町には、山室と言う姓の家が複数あります。

又、滋賀県米原には山室と言う所があります。私が聞いた話では、山室の姓は

平家の落武者と記憶しています…もう…三十年以上前に、『山室家』と言う本を

見た記憶があります。岐阜県にも山室と言う姓は多いみたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

千葉の「山室」は、古墳と石室が多くあることから「山の上の室」という地名に

なったものと思われます。その「山室城」の城主「山室氏」は、徳川家康が

関東に入封した際、家康の命令をうけた「保科正光」によって攻められ、

降伏しています。そして、保科正光に従って、信州高遠から山形を経て、

会津に移り住んだのでした。その他、山室一族は数十人もいたようで、

一族離散し、岐阜や滋賀県にも 移り住んだのでしょうかね。

 

全国の「山室」姓の方、先祖のこと判れば教えてください。


「井上丘隈」について

2014-11-21 19:00:46 | わが家のこと

②11/13 コメント蘭に T様から寄せられた質問

 戊辰戦争に興味を持っているものです。日本テレビの『白虎隊』で、

 井上丘隅が、娘の神保雪子を嫁ぎ先の神保家に行くように伝えるなど

 かなり具体的な話が出てきますが、これはどこから出てきた話なのでしょうか?

 

日本テレビの『白虎隊』は、森繁久弥が「井上丘隅」を演じ、涙涙でしたね。

森繁の演技力、存在力は圧巻でした。

このドラマを見るまで、私も「井上丘隅」については知りませんでした。

城下の絵地図を見ると、井上家は、わが先祖「牧原一郎」の隣人でした。

ドラマでは、甲賀口で幼少年を連れて戦い、その後も生き残り、戦後、

斗南(下北)へ移住するところで終わりました。

「井上丘隅」の娘が、神保修理の妻ということも、ドラマを見て知りました。

 

私が「知らなかった」というのは、会津戦争の一等史料ともいうべき、下記

著書には 載っていないからです。

1 明治37年 北原雅長 『七年史』

2 大正 6年 平石弁蔵 『会津戊辰戦争・白虎隊・娘子軍・高齢者之健闘』

2 昭和 3年 池内儀八 『会津史』 上下

3 昭和 8年 会津戊辰戦史編纂会 『会津戊辰戦史』

上記いずれの本にも、「牧原一郎が甲賀口郭門横の自邸で自決した話」や、

甲賀口の門番「佐藤與左衛門(74歳)とその孫 勝之助」の応戦戦死」の話は

載っていますが、「井上丘隅」についてはありません。

平石弁蔵 『会津戊辰戦争・白虎隊・娘子軍・高齢者之健闘』の306ページに

23日の戦死者34名が列記されており、その中に「井上八十郎(二百石)」と

あります。「井上八十郎」は「丘隅」の息子でしようか。他の史料では「朱雀士中

三番 原田隊。若松下町西堀端で戦死。享年28歳」となっています。

 
さて私の蔵書の中で、昭和52年発行の小冊子『会津墓殉難婦人名鑑』に
下記の記述がありました。
 
「井上丘隅は、8月23日、甲賀町口郭門に 衆を励まして防戦したが利あらず。
郭門の傍らの自邸に入ると、妻 トメ子(52歳)、長女 チカ子(31歳)、三女
雪子(神保修理の妻)が自刃の用意をしていた。丘隅は雪子を神保家に帰らせ、
妻と長女を介錯して自刃した。この時、白木又エ衛の長女 サダ子(45歳)も
この家にいたので自刃した」(「七年史」)
 
出典は『七年史』となっていますが、その『七年史』には書かれていません。
念のため、Wikipediaで調べましたら、判りました。出典は
 
『会津会会報第11号』「会津藩殉節婦人の事蹟」です。これは東京在住の
会津出身者の会で、毎年発行されているもので、「1917(大正6)年」刊です。
当事、まだ生存者からの口述を筆記したものと思われます。
 
今では入手不能と思われますが会津の図書館にはあるでしょう。
『白虎隊』の作家がそこまで調べていたとは驚きです。
 
 

ブログ再開しました。印伝の尺八袋について

2014-11-21 19:00:46 | 虚無僧日記

11/3以来、ブログ更新途絶えていました。すみません。

それでま毎日、300人近い方が、開いて見ていただいており

感謝に耐えません。3人の方からコメントが入っていました。

 

①11/21 尺八太郎様 「印伝の尺八袋について」

 私、デジカメを持たず、写真をアップできません。

色は黒、アワベスク模様です。甲州印伝(楽天市場)で

検索しましたら 「黒地×黒漆 花ペイズリー」という柄でした。

 


来年H27年10月3日(土)能楽堂参加者募集

2014-11-21 17:29:40 | 虚無僧日記

10/26 の「能楽堂公演」で燃え尽きるはずでしたが、

ますます情熱の火が燃えあがり、来年 10月3日(土)

能楽堂を仮押さえしてきてしまいました。

もう “日曜はダメヨ(全部埋まっている)” で、土曜日の

この日しか空いていないとのこと。

来年の「能楽堂公演」は 如何しようかと、毎日思い巡らし、

逡巡すること 早、ひと月。

来年はパワーアップして「芸術祭参加」で、とも思いましたが、

来年の私の運勢は「大殺界」にはいるので、何をやっても

うまくいかない。自重すべしとか。

それで、入場無料の “おさらい会” 形式にしようかと考えています。

「能楽堂で尺八を演奏してみたい方」、どなたでもOKです。

出演者を募集します。参加費は7分(出入り含めて)、3万円。

独奏は3万ですが、3人で合奏すれば、一人1万円。 5人なら

6千円ということです。

 

先日、安城で「大河内淳矢」君の公演があり、またまた満席の盛況

でした。彼にも、声を掛けたら、10/3 「出てくれる」 とのこと。

彼の「祝賀公演」を 盛大にやってあげたいと、かねがね思っていた

ところです。 後半は彼と 二人で  “スーパー尺八” を 披露

できたらと思っています。 乞ご期待!