現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「土俵は女人禁制」も虚言

2018-04-28 21:45:10 | 社会問題

「伝統と格式を重んじ、土俵は神聖な場所だから
女人禁制」と、マスコミも信じて疑わないが、これも
「相撲は国技」同様、相撲協会の虚言なのだ。

30年ほどまえ、外国人記者のレポートを読んで驚いた。
江戸時代から明治の半ばまで、女相撲が興行として
行われていたのだ。

1991年、早坂暁原作で『女相撲』というテレビドラマも
あった。星野知子、ダンプ松本らが女力士を演じていた。
さすが、テレビでは、上半身シャツを着ていたが、本来は
女がマワシ1本で裸体をさらす。つまりストリップ同様、
エログロの見世物だった。

国技館が建てられた回向院は、江戸時代以来、女相撲が
行われていた所だ。明治になって廃絶の危機にさらされた
「角界」は、見世物興行から、地位向上を図るため、
「伝統的神事」であることを前面にかざし、いかがわしい
女相撲を切り捨てるべく、「女を土俵にあげない」という
仕来りを決めた。

つまり、相撲協会の虚言なのだ。男女平等、女性差別
撤廃の現代に、未だに女性知事も土俵に挙げないという
相撲協会。それこそ“やくざ”な体質ではないか。 その
“いかさま”に誰も異議を唱えないのが不思議でならない。


自殺者減少

2018-04-28 21:44:44 | 社会問題

昨年の自殺者数は、前年から2,885人減の2万7,766人となり、
97年以来15年ぶりに3万人を下回ったとのこと。

2003年に最多の3万4,427人となり、2010年以降は
毎年1,000人以上減少傾向にあった。

交通事故死も、一昨年より201人少ない4,411人。
12年連続の減少で、戦後まもない1951年ごろの水準まで
押し戻したことになる。「交通戦争」といわれた1970年に
比べると、4分の1にまで減少した。

殺人事件の被害者数もガンの死亡も減ったというから、
ますます“死なない”“死ねない”時代になった。

その中で、「阪神・淡路大震災」後の「仮設住宅」に住む
人の孤独死が 1,000人を超えたというニュースも。

高齢被災者にとって、仕事無く、住む家なく、絆無く、
生きる希望なく、生きるのも地獄。

もう一つ。2012年、米軍兵士の自殺者数が349人となり
アフガニスタンでの戦死者229人を上回ったとの記事も。

生と死を考えさせられる。

 


ひろさちや「狂いの進め」

2018-04-28 21:37:02 | 心の問題

仏教評論家「ひろさちや」が『狂いのすすめ』という本を
出した。まさに一休の「風狂の生き方」だ。

室町時代の歌謡集「閑吟集」に「一期は夢よ ただ狂へ」
というのがある。

室町・戦国の世は、戦乱、水害、旱魃、飢饉で、都は荒れ、
餓死者が続出する地獄だった。禅寺は、幕府の保護下にあって、
大名や公家の子息の受け入れ先であり、出世栄達は金次第。
貧しい庶民には目が向けられなかった。一休の生涯は 禅寺の
腐敗との戦いだった。「狂った世の中で生きるには、自分も
狂って、世にすねるか 反抗するしか なかったのである。

「ひろさちや」は、得度受戒を受けた僧侶ではない。
私と同じく「在家」の仏教徒である。彼もまた、「現代の
日本は狂っている。世間のいうことを聞いて奴隷になる
よりは、世間を信用せず軽蔑することで世間に楯突いて
みませんか。社会が言うようなまともな生き方をしては
いけない。奴隷になるより狂いましょう。ただ狂って
遊びましょう。それが本当の人間らしい生き方だ」と説く。

生きがい、人生の目的、過去のしがらみ、未来への不安などに
よって自分を縛ってはいけない。人間は本来「在るように在る」。
人間は存在しているだけで価値があるのだ。反省や後悔をするな!
希望や理想を持たないで、無理なく人生を楽しめばいい。
「少年よ大志を抱け」といって少年を苦に追い込むのは
悪魔の言葉。

「親鸞会」は、「ひろさちや」を激しく非難しているが、
私は、むしろ「ひろさちや」の方に共鳴する。


「常識」はあなただけのもの

2018-04-28 08:26:10 | 心の問題

以前のことですが、あるセミナーで
三遊亭円楽(楽太郎改め6代目)の講演を聞きました。
紺のブレザーに白のスラックス。知能指数IQ 170、
青山学院出のインテリ落語家とあって、講演も
なかなか上手い。

テーマは「おせっかいな大家さん」。
落語の中の大家さんと店子の話から、「昔は
向う三軒両隣り、人情溢れる付き合いがあった。
雨が降ってくれば、留守しているお隣さんの
洗濯物まで取り込んで たたんでおいたりして
あげたもの」てな話。「お隣の奥さん、こんな
○○はいて・・・」なんて、ちょっとお色気と笑いも
まじえて、さすが。

長屋は六畳一間に三畳の納戸とお勝手(台所)。
六畳一間で、ちゃぶ台を囲んで一家で食事をし、
そこで布団を敷いて寝る。親は隅で寝るから
「おやすみ」。(えっ?ほんまかいな)。

お父さんとお母さんが両隅に寝て、間に子供が
寝る。という説明に変に納得。「夜中にオヤジが
むっくり起き上がって、子供の上をまたいで、
厠かと思ったら、母さんの上に・・・・・」と。
たえず、話しを ひきつけ1時間半、飽きさせない。

さて、「常識って何ですか?」と振ってくる。
車から見れば自転車は邪魔。歩行者にとっては
車も自転車も迷惑。

4人のおばさんたちが、横一列に道をふさいで
ペチャクチャおしゃべりしながら歩いてる。
(えーい、邪魔ね)と割り込んで強引に追い越そうと
すれば、「まぁ、何よ、常識ないわね」と。
ここで一言「すみません、ちょっと道を空けて
ください。急いでますので」と声を掛ければいい。

常識と常識をつなぐものは「言葉がけ」です。
という結論でした。

最近の文科省の調査で、エレベーターで
「すみません、降ります」と ひと声をかけて
降りると回答した人が7割と、以前の調査よりかは
増えたとのこと。逆にみると、声も掛けずに
押し通るという人が3割いるということですか。
ま、世間ってそんなものですかな。


口は禍(災い)の元

2018-04-28 08:24:00 | 心の問題

養老先生の「さかさま人間学」によると、「解剖学上
“口”は存在しない」そうです。思わず「へぇ~!」です。

「普通“口”と言っているのは“機能”その“働き”の
ことを指しているのであって、構造としては“唇”と
“口腔”」とのこと。

なるほど、「口は禍の門」というのは、「しゃべったことが
思わぬ災難を招くということ」で、“口”そのものが“禍”
ではないですね。

ついでに、芭蕉の『物言えば 唇寒し秋の風』は、「人の悪口を
言えば 後味の悪い思いをする」という訓戒の句とされていますが、
ネットで見ると、こんな説がありました。

芭蕉が、道徳的、教訓的な内容を句にするはずはなく、本来は、
「秋も深まり、口を開いたら、唇が寒かった」というだけの
意味だとか。これも「へぇ~」でした。

でも「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」という
座右の銘に添えられた句だそうですから、教訓として
理解されてもOKでしょう。

「朝起会」で毎朝 お誓いしてい『五つの誓い』の第2条
「人の悪を言わず、己の善を語りません」は、芭蕉の「座右の銘」
でもあったと知って、またひとつ 腹に入りました。。