江戸時代、虚無僧寺のいくつかは「風呂」を沸かし、
一般の人に開放していた。それで、虚無僧寺は、別名
「風呂司(寺)」「風呂屋」と呼ばれていたのである。
「鈴法寺」や「一月寺」が江戸に置いた番所(出張所)も、
高崎の「慈上寺」、宇都宮の「松岩寺」も「風呂屋」を
営んでいた。
ひと昔前まで、銭湯の入り口が「寺構え」になって
いたのは虚無僧寺の名残かもしれない。しかし、
町の「銭湯」とは区別されていて、「銭」ではなく
「薪料」として「志」を受けるのだと主張している。
これはどうやら、檀家を持たない虚無僧寺の貴重な
収入源だったようだ。
「遊行聖人」とか呼ばれた「時衆(宗)」も、全国を
周遊し、行く先々で「風呂」を沸かしている。こちらは、
酒肴や歌舞音曲付きで「娯楽施設」となっていく。
そこから「歌舞伎踊り」が生まれていくのである。
小田原の北条幻庵も、立派な風呂屋を設け、連歌師や
客人を招き、“ 接待 ”の場としている。
関東や東北の虚無僧寺が「風呂」を設けていたのは、
この「幻庵」の影響ではないかと、私は考えている。
江戸時代の末に出版された『虚鐸伝記国字解』では、
「鎌倉時代、法燈国師が 中国から4人の尺八居士を
連れて帰り、由良興国寺で風呂炊きをさせた」と
書かれている。「風呂谷」という地名もあったそうな。
虚無僧が風呂屋を営むのは、まさに、この故事によるもの
とされているが、私は、江戸時代に虚無僧寺が風呂を営んで
いたので、その由緒を創作したものと思っている。
虚無僧が尺八を吹く姿、まさに「火吹き竹」で風呂を
沸かすのに通じているではないか。
ところで「風呂坊主」が「プロポーズ」のジョークに
使われているとか。