「今なお、屍とともに生きる(沖縄戦、嘉数高地から糸数アブラチガマへ)日比野勝広」という本をいただいた。
(発行:夢企画大地 名古屋市東区 052-712-0706 )
内容は、沖縄戦で負傷し、ガマ(洞窟)の中に置き去りにされ、3か月も暗闇の中にとじこめられながら奇跡的に助かった日比野勝広さんの回顧録だが、4人の娘さんたちがそれぞれに戦後の父の生き様を書き綴っている。
娘たちの視点で書かれているということが、話題になって、TVでもとりあげられた。わずか140ページ。ぐいぐい引き込まれてイッキに読んだ。
日比野さんは沖縄線で負傷し、ガマ(洞窟)の中に置き去りにされた。
暗闇の中で半年。死体と汚物と蛆。言語に絶する壮絶な地獄から奇跡的に生き残った日比野さんは、戦後、戦友の遺族を訪問し、友の最期の様子を伝えようとするが、遺族からは
「なぜあなただけ助かったのか」と責めたてられる。
「逃げたのではない、置き去りにされたのだ」という心の葛藤に苦しめられ。戦後60余年を経てもまだ夜の闇をこわがり、夢にうなされるという父親の姿を見て育ってきた娘4人。それぞれの父への思いが また感動を呼ぶ。
昭和39年東京オリンピック、「もう戦後は終わった」と叫び、国旗日の丸」を掲げようという愛国運動が起きる。町内回覧で国旗の斡旋があったが、日比野家だけは買わなかった。
「うちは貧乏で買えないのだ」と思い続けていた四女。後になって母から「日の丸を振って送り出した人が みな帰ってこなかった。だから日の丸を見ると悲しくなる」と聞かされる。母には、父との結婚前に婚約者がいたのだ。その人を日の丸の旗を振って送り出した。そして帰らぬ人となったのだった。