現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『半沢直樹』の監督「福澤 克雄」って?

2020-10-24 16:36:31 | テレビ・映画・芸能人

 

 

『半沢直樹』の大ヒットで、にわかに注目されだしたのが監督の「福澤 克雄」氏。1964年生まれ。56歳。

「福沢」という名前から 想像付くが、なんと福澤諭吉の玄孫という。諭吉の次男「福澤捨次郎」の子「時太郎」の娘和子」が母親になる。両親が離婚したため、母方の「福沢」姓を名乗ったとか。

(私の尺八の師「堀井小次郎」は「捨次郎」の妾腹の子だから、福沢家の系図には載っていない)


さて「福沢克雄」氏。幼稚舎から大学まで慶應。学生時代はラクビー一筋、日本代表にも選ばれたほど。


身長が190cm、体重が100kg、と超大柄!あだ名が「ジャイアン」をもじって「ジャイ」。なんじゃい。

福沢諭吉も身長180cm。幕末の日本人としては超大柄で、欧米人と面談しても体格で ひけをとらなかった。堀井小次郎師も身長170cm以上ありました。



その福沢克維は、大学卒業後、富士フィルムに入社したが、映画監督になりたくてTBSに中途採用で入社。『3年B組 金八先生』シリーズ、白い影』『砂の器』、『さとうきび畑の唄』、『南極物語』『華麗なる一族』など、数多くのテレビドラマの演出を手掛け、その多くが大ヒットした。「最も視聴率を獲得するディレクター」とも言われているそうな。

さとうきび畑の唄』では文化庁芸術祭大賞を受賞。

映画監督としては『涙そうそう』『私は貝になりたい』。これらのドラマは、私もたいてい観ていました。


「仲居正広」主演の『白い影』『砂の器』、もう感動でした。

そしてまた、「仲居クン」主演の映画版『私は貝になりたい』も観ました。これは「フランキー堺」が演じたもののリメイク。フランキー堺も慶応出。
その息子も慶応で「福沢克雄」とはラクビー仲間だったとのこと。

 





ところで「福沢諭吉」の次男「捨次郎」については、なかなか情報が無かったのですが「克雄」氏の関連で、ネットでいろいろ出てきました。

【福沢捨次郎】



時事新報社長、ジャーナリスト/福澤諭吉二男/
明治16年慶応義塾卒、米国に留学、ボストン大学に入学し土木工学を学び、
21年帰国、山陽鉄道技師となる。
34年、父の没後、時事新報社を継ぎ社長に就任、政治記事の他、
社会面にも力を入れ漫画を取り入れるなど紙面を刷新した。
38年、大阪時事新報社を設立し社長を兼任、「大阪時事新報」を創刊した。

その孫「福澤武」(克雄の母和子の兄)は、「三菱地所」で社長・会長を歴任し、現在も三菱グループの相談役とのこと。

さすが、すごい家系ですな。


福沢諭吉の孫、堀井小二朗

2020-10-24 16:22:58 | 筝尺八演奏家

 

私の尺八の師は、福沢諭吉の孫、堀井小二朗。福沢諭吉の次男「捨次郎」の妾腹の子で」すので、母方の姓「堀井」。本名は「捨次郎」の子なので「小次郎」と名付けられましたが、それを嫌って、尺八の芸名は「小二朗」でした。

明治44年京都に生れ、父捨次郎の招きで、慶応に入り 昭和4年に卒業しています。母は京都の芸奴。その影響で、幼少の頃から三味線、琴、尺八の音に聞き馴染み、8歳で地歌「八重衣」を暗唱していたといいます。

  父 福沢捨次郎

大学卒業後、明治生命に入社しましたが、戦後は尺八家として名を成しました。木下恵介監督の『二十四の瞳』の海外版や『宮本武蔵』などで尺八を吹いています。

尺八上田流を開いた上田芳憧氏や福田蘭童とも親交がありました。

福沢諭吉が封建制を批判し、独立自尊の啓蒙を図ったように、堀井小二朗師も、邦楽界の悪しき慣習を打破しようとした一人です。

それまで、尺八家は旦那芸で、お琴のお師匠さんのスポンサーであり、お琴の会に出演しても、祝儀を出すのが習慣でした。
それに対して、堀井小二朗師は「私は演奏家です。これで食べているのですから、ギャラをいただきます」と言って、祝儀は出さなかった。それで「なんてお金に卑しい人」と非難されます。

また、上田流でも「上田芳憧氏の尺八もまだまだ(未熟)」と会報に投稿したことで、上田流の幹部会員が激怒し 除名されています。

そして宮城道雄の養子宮城(小野)衛とも親しかったため、小野衛が 宮城喜代子・宮城数江によって宮城会から追放されたことで堀井小二朗も宮城会から縁を切られるなど、邦楽会では孤立していきます。

ま、堀井小次郎は 福沢諭吉の孫子の中で、顔立ちが最も福沢諭吉に似ており、邦楽界の中で独立自尊を貫いた尺八家でした。