現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

統一教会はどうして日本に食い込んだのか

2022-11-24 20:05:19 | 虚無僧日記

統一教会と自民党。

安倍晋三氏銃殺事件以降、この関係性が大きな話題となっている。山上徹也容疑者の犯行動機に最も近づくのはまずは「カネの流れ」だろう。

いっぽう、ここではその関係性の理解のために「根本的な話」の紹介を。

「なぜ韓国発祥の統一教会が日本を好んできたのか」

そして「新興宗教がどう自民党に食い込んだのか」

これらが韓国の文献ではどう記されているのか。

教祖と日本、10代からの縁

日本は統一教会信者が世界でもっとも多い国だ。教団発表の資料では日本の信者は「10万人」、日本のメディアでは「30万人」と報じるメディアもある。

これは教団側が日本を「好んだ」から。1954年に韓国で設立された団体の宣教先として重要視された結果でもある。

「最大の信者数」にして「最初の宣教の国」が日本なのだ。

なぜ日本を好んだのか。

もともとは初代教祖にとっての「勝手知ったる国」だった。

1954年に教団を設立した初代文鮮明総裁(1920ー2012年)と日本との縁は、本人の10代後半に遡る。日本統治下の朝鮮半島北部で生まれた後、19歳の頃に早稲田大学系列の工業高校に留学。そのまま同校を卒業している。

もともと文氏の日本との関係は良好ではなかった。留学生時代の東京にあって、抗日地下運動に参加、日本の当局から拷問を受けた。日本を離れた後、京城(現在のソウル)の日本系建設会社の現地支店に就職したが、留学時代に抗日運動参加が発覚したことで逮捕されたりもした。

しかし、それでも日本を恨まなかった。

その点もまた「伝説」になっている。2013年の教団「日本宣教55周年記念行事」での日本側の高位関係者のスピーチでこんな話が語られている。

「むしろ1945年8月15日の後、韓国に居住していた日本の憲兵を尋ね、家族とともに日本に無事に帰国できるように助け、その内容が日本人たちを感動させました」

 

文鮮明氏(1983年)
文鮮明氏(1983年)写真:Fujifotos/アフロ

 

当初から「政治的つながり」も重要ポイントだった

そんな日本が1954年の教団設立後は、むしろ布教活動においてメリットの大きい国となる。

韓国から近く、人口が多く、経済力がある。こうした分かりやすい点のみならず、入り込みやすい事情があった。

「自ら設立した政治団体を活用しやすい国」

「共産主義の脅威を共有しやすい国」

前出の2013年教団日本宣教55周年を、同じ保守系メディアとして当時は好意的にレポートした「中央時事マガジン(韓国)」にはこんな記述がある。

日本と統一教の縁のはじまりは半世紀に遡る。文鮮明総裁が日本に宣教師を派遣したのは韓国で世界キリスト教統一心霊協会を設立した4年後の1958年。韓国と日本は国交も結んでいなかった頃だ。文総裁が日本を海外の最初の宣教国に定めたことについて、統一教関係者はこう説明する。

「文総裁は日本への宣教についてまずは日本を救い、次に韓国を救うためだと強調した。当時は世界の国々がひとつ、ふたつと共産化しており、もし日本が共産化したり、融共(共産主義と融和する)の立場に立つことになれば、韓国が危機に処することになると予想される。それゆえ、共産主義を壊すことのできる新しい思想を装備させ、日本に(宣教の人材を)送った。もちろん、統一教会の未来のためのであるという側面もある。文総裁は韓国をアダムの国、日本をイブの国と見立て、どの国よりもまず統一原理を伝えることとなった。日本が経済的な面でも世界の宣教活動の拡大のために先導的な役割を果たすと期待したからだ」

 

こういった背景のみならず、「韓国での厳しい立場」という背景もあった。統一教会系の韓国スポーツ紙「スポーツワールド」2012年9月9日の記事より。

 

「統一教の(日本での)宣教は1960年以降1980年まで、目に見えて勢いに乗った。反面、既存の教会の反発も強くなった。国内のプロテスタント教会の立場からすると統一教会は異端の対象として『身内での取締り』を行い、カトリックも統一教徒に対して真意であれ、悪意であれ接触自体を許可しなかった」

 

海外に活路を見出す、という面もあったのだ。

 

1988年の合同結婚式の様子
1988年の合同結婚式の様子写真:Fujifotos/アフロ

 

「勝共連合」とは?

では実際に教団は日本にあって自民党にどう入り込んでいったのか。引き続き、韓国側の資料から。

安倍氏の死後、7月17日に現地メディア「時事ジャーナル」が「文鮮明語録『安倍会派13人だったが私が88人にまで育てた』」という記事を掲載。

こういった内容が記されている。

統一教会が正式に日本で設立されたのは1959年。韓国での創立から5年後のことだった。その後、1968年1月に韓国に国際勝共連盟が設立され、4月に日本国際勝共連盟が設立された。この時、安倍首相の母方の祖父、岸信介元首相が団体に加わった。当時、岸は政治家であり、社会事業家であり、起業家の笹川亮一から文鮮明を紹介され親密な関係となった。岸と笹川は共にA級戦犯であり、反共産主義のモットーを持つ右翼政治家であった。この縁により同じ価値観を持つ文鮮明教祖と意気投合した。

 

 

「勝共連合」とは文氏が作った「反共」より強い概念を基に勉強会や講演会をやり、そして街中でデモや集会を繰り広げる組織。韓国では全盛期だった1975年にはソウル市内汝矣島での集会に100万人規模が集まるなど大きな盛り上がりを見せた。文氏の演説に群衆が旗を振って応じ、ときに共産圏の政治家の大型の人形を焼き払うなど過激な一面もあった。文氏には朝鮮戦争下の韓国にあって、新興宗教を普及しようとしているとして北朝鮮側に囚えられ、拷問を受けた経験があった。

また、団体は時の朴正煕政権との繋がりも強く、功労者が韓国政府から賞を与えられたりもしている。いっぽう、1987年には教団内の別組織と統合された。

教団は日本での宣教活動でこの組織を活用しようとしていたことは明らかだ。当時、日本の統一教会宗教法人会長と日本国際勝共連合の日本支部長は兼任(久保木修己氏)だったのだ。

 

信者に「3年半、死んでも朝鮮大学の前でデモを続けろ」 

 

ではなぜ、これが自民党側にも「受け入れられた」のか。韓国のキリスト教系メディア「CBS」は2017年に東京で取材を行い、統一教会の問題に取り組んできた山口広弁護士のコメントを紹介している。

 

「(当時)保守政界の応援部隊として動く人がほとんどいなかった。その意味では、応援部隊として若い統一教会信者たちが、真面目に、言いなりになって動くということはとっても利用価値が高かったのです

忠誠心が高い。頑張ってくれる。

これは韓国語による資料でも見つけられるポイントだ。しかも教団自らの資料にて。

韓国内の統一教会支部がYouTube上で文鮮明氏、韓鶴子氏の歩みを記した「人生路程」という本を朗読しているチャンネルがある。そのうち同著109巻231ページのこんなくだりが読み上げられている。

(1960年代に)日本では、勝共講義をできる(人材を)理論武装をさせ、そして街頭に送りました。共産党がうようよといる場所に送ったのです。そして(朝鮮総連系の)朝鮮大学前にも。大胆な性格の女性を理論武装させ『おまえはこれから3年半ずっと死ぬ覚悟で朝鮮大学の前で勝共講義をやらないといけない! 銃に撃たれて死んだり、トラックに轢かれたりするなど、おまえが行く道に死は間違いなく存在する。それでも行け!』と命令したのです。逸話が多いです。逸話が多いですね。そうこうしているうちに、朝鮮大学は日本の外務省を使って我々に圧力をかけてこようとしました。しかし私たちは絶え間なく命をかけて闘争してきました。そうしながら、街頭や東京駅など、全国の有名な街頭で共産党と積極的な闘争を繰り広げたのです」

 

 

教団側の強い指示が「逸話」とされているのだ。

 

自民党もこの組織を活用したことにより、統一教会は日本での地盤を築いた。韓国側でもそう見られている。前出の「時事ジャーナル」はこう続けている。

 

岸や笹川などの右翼政治家のおかげで、統一教会は日本に無事に定住し、他の政治家との関係を円滑に拡大することができた。このように、日本の統一教会の発展を惜しみなく助けたのは岸信介元首相だった。1974年5月と1976年12月に東京で開催された文鮮明の講演「希望の日の晩餐会」は、岸が2回とも名誉会長として支援した。岸元首相は、1984年に統一教会が開催した「世界ジャーナリスト会議」の議長を務め、文鮮明とも対談した。

 

安倍晋三氏の祖父 岸信介元首相
安倍晋三氏の祖父 岸信介元首相写真:Fujifotos/アフロ

 

同メディアはこの他にも、安倍氏の祖父岸氏と教団が近くなった縁についてこう記している。

 

このほかにも、岸の邸宅と統一教本部が近くにあったため、岸が頻繁に訪れたという記録も日本の世界日報に残っている。このようなかたちで岸は1987年に亡くなるまで統一教会と密接な関係を保ったと言われている。

 

1980年代の「霊感商法の問題化」を「竹下登政権の誕生による」と…

 

教団の初代総裁文鮮明氏にとっての日本は、当初は「勝手知ったる国」だった。その後は「自らの政治組織が活用できる国」に。国外に活動の場を求める背景には、国内キリスト教界からの厳しい反発もあった。

 

いっぽう日本では、「忠誠心の高い信者」の存在が自民党保守系政治家の「応援実働部隊がいない」というニーズとはまり、距離が近くなっていった。

 

これらの話は決して「隠されていたもの」だったりとか、「韓国側の思い込み」というわけでもない。日本側の公式発言にも出てくる話だ。国会会議録検索システム上で「勝共連合」と検索すれば、古くは昭和45年(1970年)から308回もの言及がある。

いっぽう韓国側の見方では「統一教会が日本で優遇された時代は1970年代で終わった」とも見られている。

前出の「中央時事マガジン(韓国)」の2013年の記事は、1980年代に日本で教団の霊感商法が問題視された点について「教会の拡大が心配されながらも、一時は友好的だった日本政府と社会が、1980年代の竹下登政権から再び反統一教会の雰囲気に転じている」とした。

 

そして「教団として状況は悪いのだが、宗教は迫害が厳しいほどに発展する」とも。

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吉崎エイジーニョ 日韓比較文化論・朝鮮半島論・サッカー全般。20代より日韓両国のメディアで「日韓サッカーのニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりストレートにぶつかる日韓関係」を見てきました。もっとサッカーのことを書いているはずでしたが、人生ままならず。現在はK-POPから南北関係まで「外国語力を生かしたニュース提供」を志向。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。本名は吉崎英治。


統一教会の反日教育を なぜ自民党が受け入れた?

2022-11-24 19:59:19 | 虚無僧日記

◆鈴木エイト氏

「統一教会は当初から反日思想を隠して日本政府に接近していた」

 

◆霊感商法対策連絡会 阿部克臣弁護士

「統一教会は、表向きは保守的な教義を掲げて自民党に接近しているが、本質は反日的な教義、この点を日本の政治家は理解していない」

 

◆デーブ・スペクター氏

「70%が日本の献金など日本人が(韓国の)喰い物になり犠牲になっている。変なのは保守を売り物にしている自民党が(統一教会との関係を)平気でいられるとすれば矛盾してるし、政治家としてのスタンスを疑いたくなる」

 

文鮮明の教義は反日的

確かに教会の韓国語関連サイト、韓国語語公式資料を読み込んでいくと、新たにそういった言及を目にするようになってきた。もちろん、日本や自民党に関する幾多の言及のなかのほんの一部なのだが、確かに存在する。

Webまんがで「日本は怨讐の国」 

最もストレートなものは、教団の公式資料を電子書籍などで扱う「鮮鶴歴史変遷苑」で見つけられる。そこに掲載されるウェブマンガ「つながり」の第4話「真の御父母様の日本訪問2」にある。

1965年1月28日、文鮮明氏が教祖として初めて日本を訪れ宣教活動を行った。本人の留学時代以来21年ぶりだったという。その際に、日本の若い高校生が姉のすすめで信者になっていく、というストーリーだ。

主人公「(文鮮明先生は)本当に日本をイブの国として選ぶ考えなのか?」

韓国がアダムで、日本がイブ。

イブは禁断の果実をかじる、という罪を犯した。つまり1910年から45年までの植民地統治だ。Webマンガは文鮮明氏本人が「なぜが日本を訪問したのか」という説明へと続く。

文鮮明氏「日本は一神教を定着させられなかった」

「何より日本は…」

「韓国の怨讐となった国だ…」

そして高校生の前でこう宣言した。

「(しかし)心配しないでください。私が日本をイヴの国として育てます」

「日本を育てる」あるいは「自民党を育てる」。これは他の韓国語文献にも出てくる表現だ(詳細は文末に)。

 

日本は「教育するしかない」

続いては、2007年に教団の韓国信者を前に行われた話。

文鮮明先生みことば選集 568 - 5.

イブ国家日本の責任と使命

2007.07.13 (金) 韓国京畿道加平天正宮(教団本部施設)

冒頭で日本から韓国を訪れた、という信者が文氏に敬拝。その後「日本から来ました」「(教団が韓国で主催したサッカー国際大会「ピースカップ」を機に訪韓)」と報告する様子が記されている。それに対し文氏は「日本から来たのですか?何人来たんですか?」と。その後本文が始まる。

日本の伝統的思想の観点からは、歓迎しません。日本と韓国を中心として、歴史的な伝統から見た時、(ふたつの国は)合いません。すべてが恨みや、敵対関係になってしまいます。だとしたら、これをどうまとめていかなくてはならないのか。これが問題です。

伝統的思想、というのは「韓国と日本の敵対関係を生んだもの」。これは日本のかつての「軍国主義」か。

文氏による07年7月の話はこう続いていく。

それでは日本という国が、韓国という国で敵となっているなか、韓国に対する感情を解き、米国に対する感情を解くためには何をもって…何をもってこれを解くことができるかです。

それは教育しかありません、教育。どんな教育? 私たち(統一教会)の原則のみしかないということです。原理のみことばを中心に教育を急がなければならないのです。

日本を教育せねばならない。これは筆者がここまで紹介してきた自民党に対する姿勢にも出てきている。反共運動団体「勝共連合」は、共産主義に対抗することで「韓国と日本が手を合わせなくてはならない」という思想。日本が植民地支配という罪を犯したが、教団側はそれでも手を差し伸べてやり、共に反共運動を"教えてやる"という一面もあった。

 

自民党と統一教会 韓国からの証言① 教祖は言った「また選挙を助けてほしいと頼まれた」

 

自民党と統一教会 韓国からの証言② 「若い日本人信者が熾烈な手段で協力」「自民党には金を使うべき」

 

当時の話はさらにこう続いた。

これからの問題は何ですか? 国を建てなければなりません。韓国なら韓国の大統領選挙において私たちが旗手にならねばならず、日本の首相選挙(自民党総裁選)の旗手にならなければならず、米国大統領選挙の旗手にならなければならず、国連の事務総長選挙の旗手にならなくてはならないのです。それを誰がすべきか? 日本自体の皆さん(日本から来た信者)を中心として、日本の国を売っでてもこの仕事をしなければなりません。分かりましたか?

10日の会見で統一教会の日本側の田中富広会長は「政治に友好団体が強く姿勢を持って関わってきたことは事実です」といった。あくまで友好団体が、やったのだと。しかし韓国側のトップは教団側に「総裁選にまで影響を持ちなさい」と説いていたのだ。

 

「はい!」と返事をさせる 現場の日本人を"ターゲット"にする手法

日本人信者を前に出し、"ターゲットにする"という講演は、別の場所でも行われていた。

文氏が世界を巡回していた2000年5月9日、ブラジルのパンタナルアメリカーノホテルで話した内容が「文鮮明先生みことば選集 321 - 10. 祖国光復のためのイブの使命」として収録されている。

ここでは「カミヤマ」という日本人が登場する。これは日本の統一教会の2代目会長であり、名誉会長であった神山威氏(2016年没)と思われる。

 

(文鮮明氏)国がないんです。わかりますか?

(神山氏)「はい」

(文氏)「祖国(チョグク)!」 言ってみてください。

(神山氏)「祖国(チョグク)!」

(文氏)光復(植民地支配からの解放)なんです。

 

冒頭の文脈の後、文氏は突如日本語で話を始めたという。

 

これは日本の言葉でいうと、王政復古です。明治時代にそれがダメだったらからといって、いまさらイブ国家の責任がないと言えるでしょうか。明治維新の時から裕仁天皇の時代まで、120年間でしょう?。その120年間(日本が)サタンを完全に否定しなければならない立場(悪魔の存在に気づかないふりをしていた立場)にあったことを、先生が(1958年の日本支部設立から2000年までの)40年間で世界的な基準まで引き上げました。その最後の段階が、今行っている「母の40カ国巡回講演」です。

 

明治維新のはじまりは(諸説あるが)およそ1868年。そこから120年といえば、1989年1月7日の昭和天皇の崩御まで。その間の日本は統一教会の教義からいって「間違っていた」。だから救ってやったのだと。

 

ブラジルでのスピーチはこう続いた。

 

そのような風潮が日本で盛り上がってきたのですが、その間違った思想を「自分たちのためになるもの」として、(朝鮮半島で)盗みを働いていてきました。悪魔より悪いんです。その土地に足を踏み入れ(植民地統治)、その地の所有物を食い散らかして生きるというのは恥ずかしいことです。(然るべき)時が来たら、すべて燃えて消えなければなりません。わかりますか? どういう意味ですか?

 

(文氏)神山! 

(神山氏)「はい!」

注:原書でも「はい」の音がハングル文字表記されている

 

(文氏)日本は行き場がないのだ。日本はどこに行く? これまでのように統一教会の文先生に反対してどこに行くというのか。国家のメシアが苦労した基準を中心に据え、再救援を望んでいるということを、神山が知らないとダメだ。

 

国家のメシアとは文鮮明氏自らのこと。苦労した基準とは、日本統治時代に受けた拷問を含め、これまで宗教団体を率いてきた苦労のことを指すのだろう。

 

日本による植民地統治は最初の罪。その後、文氏に反対するのがふたつめの罪。だから「再救援」が必要ということか。

 

  • 1998年8月(本稿で紹介したものとは別の機会で)、ブラジルにて講演する文鮮明氏

 

ブラジルでの講演はこう続く。

(文氏)このように日本の人々を底まで押し込むのは、再び日本を祝福してあげるためだ。わかる?

(神山氏)「はい」

日本が(教団に対して)建国献金をした分も南米に送るんだ。それで未来の子孫のために準備しなければならないのだ。わかる?

「はい」

日本は韓国に対して歴史的間違いを犯した国。だからそこまで押し込み、救う。そういう話だ。ちなみに「建国献金」とは教団に向けた献金の一種。

「東亜日報」によれば、教団側は1999年12月1日に「新時代新1000年を迎える特別誠心」というタイトルでプレスリリースを発行。献金の種類をこう伝えたこともある。

 

▲總生祝献金

▲天主勝利祝賀献金

▲總蕩減献金

▲救国献金

▲定州平和公園造成基金※

▲建国基金

 

※定州(チョンジュ)=北朝鮮平安南道の文鮮明氏の故郷。

 

教団側は自民党に「言いたい放題」

連日報じられている自民党と統一教会の関係性。一義的な問題は「献金や霊感商法などの反社会的と接点があった」という点だ。

しかしいっぽうで、教団の資料を韓国語で読み解いていくうちに、また別の怒りのようなものが湧いてくる。

「日本がカモにされている」

本稿タイトルで「反日」と打ちながら矛盾しているが、韓国側の反日を責めようという話ではない。それこそ思想の自由。なくなることはないだろうし。同じく「宗教」や「保守」についてここであれこれいう考えもない。

問題は「自民党側が"反日"の背景を知らず」「関わってきた」こと。保守といわれ、政権に携わった政治家たちが、だ。

「祝電を送りました」

「2万円払いました」

「パーティーに行きました」

こういったここ数年での表面的な話もさることながら、歴史的にどう関わってきたのかという「深度」。この点も重要な論点。

韓国では一連の自民党と統一教会の関連性を「統一教会ゲート」という言葉で報じている。「ゲート」とはアメリカの1970年代の「ウォーターゲート事件」以来の接尾語で「政治事件全般」を言い表すものだ。

いっぽう、直近の韓国で「ゲート」といえば「チェ・スンシルゲート」。朴槿恵大統領が旧友に対し、政治決定を相談していたというスキャンダルだ。「国政壟断」という言葉も使われた。

自民党と統一教会、両者の関係全容解明とは「どれほど深く関わったか」という点を明らかにすることにある。「政策決定に関わるような深い関わりが歴史上あったのか」。そういったことがない、というのなら「ない」と証拠を示していかないと。

何せ統一教会側は言いたい放題なのだ。自民党を「教育している」「選挙協力を頼まれた」「次の総裁を選んでいる」「何人を当選させた」「日本の統一教会会長を自民党が車で迎えに来た」などなどだ。

日本の中心に影響を及ぼすために、日本の自民党幹部をすでにまとめています。教育するんです。毎週土曜日にセミナーを開いています(1980年)

今回も自民党から自分たちを推してほしいという要請が入ってきました。「私達の助けを得ようとするのなら4つの条件を受け入れるようにしろ」と(日本側の)久保木協会長に指示しました(1980年)

選挙後、自民党総裁が車を遣わせて(当時の日本支部代表)久保木修己会長を招待し、幹部全員の前で統一教会を紹介するということが行われた(1974年)

「今後の日本の今後の総理を誰にさせるのかという問題も、私が今議論しています」(1997年)

安倍さんが当時選挙をやった時、会派の議員数が13人しかいなかったんっですよ。それを88人まですべて教育して育ててやったんです(1993年)


旧統一教会関連記事から転載

2022-11-24 19:37:29 | 虚無僧日記

 安倍晋三元首相が、白昼に殺害されて6カ月が経った。容疑者の動機は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への恨みであると見られる。

このとき、「統一教会」の名を久しぶりに耳にしたひとも少なくないはずだ。80年代後半から90年代にかけて、統一教会は大きく注目された宗教団体だった。

当時、連日ワイドショーを中心に頻繁に報道されたのは、高額の印鑑などを購入させる霊感商法と、有名芸能人が参加した合同結婚式についてだ。また、各大学でも統一教会系の極右団体「原理研究会」も問題視されていた。

だが、その存在は長く忘れられてきた。そんななかで、安倍元首相が突然殺害された。

 

統一教会「空白の30年」

 90年代前半、統一教会問題を追う中心にいたひとりがジャーナリストの有田芳生氏(前参議院議員)だ。有田氏は、今回の一件で出演したテレビ番組でしばしば統一教会の「空白の30年」を口にする。

たしかに統一教会への関心は、ある時期から急激に弱まった。1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以降だ。それまで新興宗教のトラブルで主役とも言える存在だった統一教会は、相対的に目立たなくなった。

しかし、実際のところどれほど統一教会は忘れられたのだろうか。それを新聞主要3紙とNHKの報道で確認してみたい。調査対象は、データベースサービス・G Searchのデータが4媒体すべて揃う1987年以降、新聞3紙は東京版に限っている。

 

G Searchの検索をもとに筆者作成。
G Searchの検索をもとに筆者作成。

 

 報道件数が多い時期の内容はざっと以下のようなものだ。

 

  1. 80年代後半:霊感商法問題
  2. 90年代前半:霊感商法+合同結婚式問題
  3. 90年代中期:オウム真理教と新宗教問題
  4. 90年代後半:霊感商法などの裁判結果
  5. 2007年:パラグアイ邦人(統一教会信者)誘拐事件
  6. 2009年:霊感商法・新世事件
  7. 2012年:文鮮明総裁が死去

 

 高額の印鑑などを信者に購入させる「霊感商法」は、常に統一教会問題の中心にあった。多くの裁判にも発展した霊感商法は、2009年に教団の関連会社・新世の社員7人が警視庁公安部に逮捕される事件にまで発展していく。このとき教団組織も家宅捜索され、当時の会長も辞任する(しかし3年後に復帰)。

 

コンプラ宣言以降の霊感商法裁判

 

 現在の旧統一教会・田中富広会長は、記者会見でこの2009年に「コンプライアンス宣言」をおこない「信者に指導を徹底している」と説明した。たしかにそれによって事件や裁判に発展する事例は減り、報道も目立たなくなったのかもしれない。

 実際、2010年以降には統一教会についての報道が激減する。とくにその傾向が強まるのは、2017年以降だ。2018~2020年にいたっては、調査対象の4媒体はいちども報じていないほどだ。

 

 ただしそれは、被害者弁護団が指摘するように問題がゼロになったことを意味するわけではない。元信者が霊感商法被害で旧統一教会を訴えた裁判は、2017年に東京地裁で教団側に1020万円の賠償命令が出ており(読売新聞朝刊2017年2月7日付)、2021年にも東京地裁で1億1600万円の賠償を命じる判決が言い渡されている(読売新聞朝刊2021年3月27日付)。

 

 この2件において原告が被害を受けた期間は、前者が2001から2011年、後者が1998年から2013年と報じられている。つまり、2009年の「コンプライアンス宣言」以降の期間と重複している。他にも、法的に問題化しにくい手法へ転換したとの指摘もある。

 

2015年・名称変更以降の報道激減

もうひとつ気になるのは、2010年代の報道の激減が教団の名称変更以降であることだ。

統一教会が「世界平和統一家庭連合」に名称変更したのを発表したのは、2015年9月だった。ただし、1年間は出版物や公式文書で旧名称を併記する条件が付けられた。つまり、旧統一教会が改名を完成させたのは2016年9月ということになる。

旧統一教会についての報道が激減するのは、まさにこれ以降だ。90年代の統一教会問題の記憶が乏しい世代が記者の中心となり、「世界平和統一家庭連合」という名称によって旧統一教会の問題が見過ごされたのかもしれない。

旧統一教会が多くの関連団体を有していることは、今回の報道で広く知られることになった。2000年にはアメリカの大手通信社・UPIを買収し、ベテラン記者が退社をして当時大きな話題となった。前述したように、「原理研究会(CARP)」は60年代から大学で活動を続けている。つまり、宗教団体だと思われないように報道をし、学生を勧誘しようとする。

本体の姿を隠し、別の顔を前面に出す──統一教会はそうして勢力を拡大させてきた宗教団体だ。

「正体隠し」を見抜けなかった例

実際、統一教会の“仮面”を見抜けずにメディア側が報じてしまった例もある。

 

 たとえば1988年9月、朝日新聞はボランティアの夜間学校「川崎郷土学校」を2度にわたって好意的にとりあげている。激増する中退者の受け入れ先として、「大学生の国際交流を手助けする活動をしている」団体職員が立ち上げたと報じた(東京地方版/神奈川1988年9月29日付)。これが、統一教会の関連団体だった。

 翌月この夜間学校は問題となり、朝日新聞もそれを受けて報じている。川崎の6団体が「『郷土学校』は国際勝共連合=統一教会の別の顔といわれる『世界平和教授アカデミー』が提唱し、(略)勝共連合が県内の青少年に触手をのばし、統一教会の『信者』獲得の窓口にしようというもの」として市教委に申し入れた(東京地方版/神奈川1988年10月23日付)。当時は、統一教会の霊感商法が一般にも問題視され始めた時期と重なる。

このとき、おそらく朝日新聞の記者は当初「川崎郷土学校」の背後に統一教会がいることに気づかなかったのだろう。その要因は、取材を受けた同学校の幹事の所属団体(記事には不記載)が「国際基督教学生協会(ICSA)」だったからかもしれない。まるで国際基督教大学(ICU)を思わせる名称だからだ。

34年前の田中富広会長

もうひとつこの記事で注目すべきは、複数回取材を受けているこの幹事の存在だろう。当時32歳のこの人物は、現在の旧統一教会の会長・田中富広氏である。記事にはこうある。

 「川崎郷土学校」幹事の田中富広さん(32)は「郷土学校は義務教育ではなく申し入れは心外だ。ボランティアの先生も一般公募したので問題はない。郷土学校は、世界平和教授アカデミーの指導を受け、その付設校として活動を始めているが、特定の宗教団体との結びつきはない。生徒や父母にもこのことは伝えてある。学校は今後も続けたい」と話している。

「『川崎郷土学校』の生徒獲得、実態調査を申し入れ」朝日新聞東京地方版/神奈川1988年10月23日付(太字部は引用者による)

 1988年、田中富広氏はボランティアの学校について「特定の宗教団体との結びつきはない」と述べている。しかしこの32年後の2020年に、田中氏は旧統一教会・第14代会長に就任している。状況的に無関係とは言い難い。つまり、田中氏のその後の人生そのものが、「川崎郷土学校」と統一教会の結びつきを証明している(オフィシャルサイトでも、田中氏は1976年に入信していると記されている)。

 

 8月10日、日本外国特派員協会で田中富広会長は記者会見した。そのなかで名称変更について、1997年から海外では名前を変えていたために「正体隠しの手段」ではないと強く主張した。しかし、34年前に田中富広氏自身が「正体隠し」をしていたことは明らかだ。よって、そんなことを簡単に信用できるわけがない。

 

 もちろん、田中氏個人が統一教会の会員(信徒)だったとしても、「川崎郷土学校」自体は統一教会と関係がない、というレトリックなのかもしれない。それは岸田文雄首相が、「(議員個々人は統一教会と関係があっても)自民党と統一教会に組織的な関係はない」と説明するのとも似ているが──。

 

 

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ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士


統一教会の何が問題なのか

2022-11-24 19:28:56 | 虚無僧日記

旧統一教会がメディアを挑発「かつて関わりあった報道機関を調査、公表する」敵対心あらわ

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は8月21日、報道機関向けに注意喚起のリリースを出した。ワイドショーや新聞、週刊誌を中心に報道が相次いでいることに対し「日本国憲法第20条で保障された『信教の自由』を無視した魔女狩り的なバッシング行為」で、著しい名誉棄損と信者や関係者に対する深刻な人権侵害に当たると主張している。

●「一部の民放ワイドショー」と特定の番組を示唆

「異常な過熱報道に対する注意喚起」と題するリリースは21日午後、ホームページに掲載されるとともに、広報部から直接メールで弁護士ドットコムニュース編集部にも届いた。

文書の中では「一部の民放ワイドショーが意図的にたれ流す元信者と称する人物の証言インタビューには、事実確認が行われたとは到底思えない内容が散見されます」などと、特定の番組に対する抗議と取れる記述がある。

こうした報道によって、差別やヘイト感情が生まれていると指摘。団体や信者に対する誹謗中傷が1万件を超えており、脅迫や施設への落書きが増えていると説明している。

●過去の関わり調査 メディアへの宣戦布告か

旧統一教会は7月17日にもホームページでメディアの報道に対して声明を発表しているが、今回は、メディアへの宣戦布告とも取れる内容が記されている。

安倍元首相の事件で問題が浮上する前に協力していた報道機関を調査し、公表する構えを見せている点だ。仮に「反社会的」な団体だったとすれば、報道機関はまったく関わらないように注意を払ってきたはずなのに、そうではなかったと説明する。

「それどころか、当法人および友好団体等が開催するイベントへの取材活動を始め、協賛、後援、寄付、ボランティア派遣等を通じて、実に多くの報道機関が密接に関わって来たことは疑いようのない事実です」

「現在、各報道機関と当法人および友好団体等とのこれまでの関わり等について、過去に遡って詳細な調査を進めております。調査結果がまとまり次第、全面的に公表させていただく予定です」

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危ない宗教とは

2022-11-24 19:26:59 | 虚無僧日記

「危ない団体」と認定される基準についてネットで検索した結果。

1995年にフランスの国民議会で採択された「アラン・ジュスト報告書」では、「危ない宗教団体」の構成要件を次のように定めている。

  1. 精神の不安定
  2. 法外の金銭的要求
  3. 生まれ育った環境との断絶の教唆
  4. 健全な身体の損傷
  5. 子供の囲い込み
  6. 多少を問わず反社会的な教説
  7. 秩序の撹乱
  8. 裁判沙汰の多さ
  9. 従来の経済回路からの逸脱
  10. 公権力への浸透の試み

 
他には、スタンフォード大学の名誉教授フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)による「危ない団体に共通する8つの特徴」。
  1. 宗教団体の中で指導者は自分自身を崇拝させ、特別な使命をもっていると教える。
  2. 指導者は自分と教義に対して絶対的な服従を求める。
  3. 指導者は大きな権力をもち、しばしばカリスマ的である。
  4. 危ない宗教団体は、指導者をひたすら信じる人々によって成り立っている。そして信者を経済的、政治的な分野にも進出させる。
  5. 宗教団体の本当の目的を隠している。
  6. 人の善意を利用する。
  7. 信者たちに自分は特別なのだと感じさせるように仕向ける。
  8. 危ない宗教団体は人間の五つの基本的欲求(生理・安全・社会・尊厳・自己実現)を満たしているように感じさせる
危ない宗教団体ランキング

上記の基準を1つでも満たし、「危ない宗教団体」に指定されたのは下記の団体。

  • 創価学会
  • 幸福の科学
  • 崇教真光
  • 統一教会
  • エホバの証人

だそうだ。


旧統一教会の伝道勧誘が違法とされた判決

2022-11-24 19:25:21 | 虚無僧日記

旧統一教会をめぐる記事から転載です。

旧統一教会の伝道・教化活動そのものが、「国民の思想信条の自由を侵害する違法行為である」とする判決が確定している。

その判決を1987(昭和62)年から14年間かけて勝ち取り、以降も違法伝道を訴える訴訟を三件継続している郷路征記弁護士(全国霊感商法対策弁護士連絡会代表世話人)に聞く。 

●信仰の自由侵害を提起した弁護士

――(旧統一教会の伝道・教化活動は)社会的にみて相当性が認められる範囲を逸脱した方法及び手段を駆使した、原告らの信仰の自由や財産権等を侵害するおそれのある行為であって、違法性があると判断すべきものである――。

これは郷路征記が1987(昭和62)年3月に提訴した「青春を返せ訴訟」(郷路本人が命名)で、2001(平成13)年6月に言い渡された札幌地裁判決の一部である。2003(平成15)年に被告である旧統一教会の控訴は棄却、上告も棄却されて確定した。

この訴訟以降も、郷路は一貫して旧統一教会の伝道・教化活動が、被勧誘者である国民の自主的、主体的な信仰選択を侵害する不法行為であることを立証し、そして、勝訴してきた。

「現在、2世信者、宗教2世の苦悩がクローズアップされていますが、たとえば、その子どもたちが旧統一教会に損害賠償を求めることを考えた場合には、親自身が違法な伝道・教化によって信仰を持たされたというところを出発点にしないと責任の追及はできないんです。

そこを問題にしないと苦しみの根源を問うことはできずに、単なる毒親問題になってしまう。それでは旧統一教会は痛くも痒くもないし、問題の本質に迫ることはできません」

●加害者になった元信者は涙を流して自責の念を語った

郷路が旧統一教会と接点を持ったのは、高額献金の返還交渉だった。時は1980年代になって霊感商法被害が急増した頃である。その後、脱会に伴う人身保護請求に関わり、手探りで資料や証言を収集する過程で、ひとりの元信者と出会う。

「25、6歳だったかな、霊感商法の中核を担わされ、霊能師として因縁トークをして壺を買わせていた女性でした…」

その彼女の証言から、郷路は旧統一教会が如何に周到な段階を踏んで信者を隷属させ、人生を収奪しているのかを知り、「こんなこと絶対に許せないと思った」という。

発火点を得た郷路は、元信者1名を原告に1987(昭和62)年3月、札幌地裁に提訴する。霊感商法は公序良俗違反の不法行為であり、伝道・教化活動を洗脳による人格破壊と構成して100万円の慰謝料を請求した。

この時、多くの弁護士からは「裁判所がそんな請求を認めるわけがない」「珍訴、奇訴の類」といわれた。――自ら信者になっていたのだし、むしろ霊感商法の加害者なのだから慰謝料請求は無謀――ということである。

郷路は「元信者との『マインドコントロール研究会』を始めました。10名くらいで毎週土曜日の2~3時間、18カ月続けたので相当の延べ人数です。海外の文献と自身の教化課程を照らし合わせると、重なる点が次々に見つかり『自分は騙されていたんだ』ということがよく分かる」

 

●控訴委任状を携えて臨んだ判決は全面勝訴

原告は提訴からおよそ4年間で20名になった。そして、2001(平成13)年6月、一審の判決を迎えた。

「そしたら、全面勝訴だった。びっくりしました。ものすごく嬉しかったですね。

だが何故その信仰を植え付けられるのかというメカニズムは、まだ十分に主張できてはいなかった。

裁判所もそこは何も触れないで、伝道・教化の最初の段階で正体を隠していることが信仰の自由を侵害するおそれのある行為だから不法行為だとした。それはそれで当時の裁判所の書き方としては大英断だったと思います」。

●第2弾の判決は「憲法の理念を基に評価、判断している」

郷路は旧統一教会の上告が棄却された翌2004(平成16)年、元信者40名と、その元信者に勧誘されて物品を買わされた近親者を含む23名を原告に、およそ6億5000万円の損害賠償請求を提訴した。今回の郷路の命名は「信仰の自由侵害回復訴訟」だった。

2012(平成24)年3月の札幌地裁の判決のポイントは

ーー信仰による隷属は、あくまで自由な意思決定を経たものでなければならない。信仰を得るかどうかは情緒的な決定であるから、ここでいう自由とは、健全な情緒形成が可能な状態でされる自由な意思決定であるということができる――
――旧統一教会の場合、入信後の宗教活動が極めて収奪的なものであるから、宗教性の秘匿は許容し難いといわざるを得ない――

であり、「青春を返せ訴訟」で指摘された正体を隠した勧誘・伝道はもとより、被勧誘者が「ミス認定」する内心に踏み込んでいる。

裁判官は一神教の信仰を得る過程という視点から、論理ではなく情緒なんだと。だから正体を隠して統一原理を教義としてではなく事実として教えられると、より浸透させられてしまう。

因縁や迷信も繰り返されると、それが事実と思ってしまう人が一定の割合でいるという認定です。それに、直接的な適用はありませんが、憲法の理念を基に評価、判断している判決だと思います」という。

そして、およそ2億7000万円の支払いが命じられた。「実損とされた部分は全部認められました。慰謝料の計算もとても細かい分類をしてきちんと積み上げていて、最高額は750万円くらいです。遅延金を加算すると総額でおよそ4億4千万円になります」と郷路は判決を高く評価した。

「青春を返せ訴訟」と「信仰の自由侵害回復訴訟」の両確定判決で明確になったのは、『旧統一教会の伝道・教化活動は、対象者の思想信条の自由を侵害する違法行為である。伝道・布教や物品販売を行っているのは信徒会などの任意、協力団体等ではなく、旧統一教会そのものである。献金や物品購入だけでなく、献身(隷属)させられて旧統一教会の事業に専従したことは損害であり、慰謝料の加算事由である』であった。

●次なる戦場は東京へ 違法伝道訴訟を広げるために

2017(平成29)年から郷路は、札幌のみならず東京地裁と前橋地裁で同様の「違法伝道訴訟」を提訴した。

「脅すような働きかけがあったことを立証して、個別に返金、賠償を求める勧誘違法型では信者になった後の献金については勝てなくなる。『違法伝道訴訟』を広げなければならない。そのためには注目度が高い東京でと考えたのです」

近年の裁判でも「隠してはいない」との反論があったという。それでも、35年前と比して「正体の秘匿だけでなく、伝道・教化課程の違法性についての分析が、かなりのレベルまでいけたというのが変わったところですね」

●伝道の違法性が広く知られていれば、安倍氏銃撃事件は防げた

安倍元首相銃撃事件について、郷路は「圧倒的に努力が足りなかった」と自戒する。そして、「伝道・教化の違法性が広く知られ、裁判所や社会に正体隠しの伝道は許されないとの規範があり、山上容疑者の母親の入会を防ぐことができていれば、この悲劇はなかったんです」。

「規制から考えるのではなく、信教の自由をどう守っていくかという視点で考えれば良いと思います。国民は宗教集団の勧誘行為に対峙する立場に置かれているわけですから、十全な間違いのない判断ができる環境をどうしたら整えられるかという視点です」

「信仰は自分の責任で持つのだから放置して良いというのは見直さなければならないでしょう。人間はそんなに強くはない。他の影響を受けるものです」

 


芸能人と芸人

2022-11-24 18:52:28 | 虚無僧日記

「芸能人です。芸人ではありません! 芸能人と芸人どこが違うか。

“能”があるかないかだ」とは「きみまろ」のセリフ。

芸能人と芸人の違い

「芸人は、落語、浪曲、漫才、コント、曲芸、手品などの、大衆芸能に携わる人。

 芸能人はテレビ、映画、演劇、週刊誌などで名の知れているタレントや俳優。

私の場合、テレビや映画に出れるようなスターではなし、“芸人”か。

辻芸人、旅芸人の類でござる。そこで、

「芸人です。芸能人ではありません! 芸能人と芸人どこが違うか。

“能”があるかないか。Noと云えない芸人です」。

大スターじゃないから、仕事を選べない。ギャラの安い仕事でも

引き受けねばならぬ。まだまだ下積み中。苦節70年。

でも「キンさん、ギンさん」をみなはれ。99歳まで無名。

それが100歳でフィーバーし、全国民が知るアイドルとなった。

まだ「芸能人」になる夢をあきらめないぞ。

 

 

 


「洛中洛外図」に見る暮露と薦僧と乞食

2022-11-24 18:50:44 | 虚無僧って?

千葉県佐倉市にある「国立歴史博物館」に所蔵されている
『洛中洛外図屏風』に 室町時代頃の「薦僧」が描かれている。


国立歴史博物館にある『洛中洛外図屏風』甲本に
尺八を吹いて門付けしている二人連れの薦僧が描かれている。
腰には「薦(こも)」と、「面桶(めんつう)=弁当箱」を付ける。
天蓋と袈裟は無い。尺八は1尺8寸くらいある。

「薦」と「面桶」を持ってくつろいでいる二人連れの絵も
3組ある。一つは背中に白い布が縫い付けてあり「巡礼」。
他の2組は尺八は描かれていないが「薦僧」かもしれない。

1520年頃の製作といわれているので、薦僧の最も古い絵
となる。僧形には見えないが「薦僧」なのだ。

この図には、ほかに「琵琶法師、高野聖、鉢叩き、鉦叩き、
巡礼、傀儡(くぐつ)師(=人形使い)、猿曳き(猿回し)、按摩が
描かれている。『職人尽し』そのままだ。

そして「乞食」も何人か描かれている。塀の前に座り、施しを
受けている乞食は 上半身裸だ。「暮露」は「紙衣」を着ている。
これによって、「暮露」と「薦僧」は 乞食とは区別される職業
集団だったと考えられる。

洛中洛外図屏風


「和歌山県史」近世史料より

2022-11-24 18:50:00 | 虚無僧って?

『和歌山県史』 近世史料 P.868 

法制 

一 往来之僧俗共に 兼ねて 申し渡しの通り、一夜の宿にても

  委相改め、若し不審に存じ候はば、先々より見送り、届け申すべし事。

一 こつじき、かね叩き、こむ僧で このほうまわし惣別此の類のものの内に

   不審成るものに之有るも 相改め、行く方を相い尋ね、右の通り

   注進申すべき候

正徳元年(1711) 正月八日

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 虚無僧が、かね叩き や 乞食と同列に 看做されています。

  

 


虚無僧の俳諧

2022-11-24 18:47:11 | 虚無僧日記

祖師の名の普化というより尺八の節を継ぐ今の虚無僧               みとく 古今夷曲集 1666 寛文6

かかる時 恋慕流しを吹けせんし 女ともなる雪に見とれて              千潟 職人尽狂歌合 1807文化4

むかひ路の高根の雪に こも僧の おのが軒端に 手を吹いて見る    有文 職人尽狂歌合 1807文化4

尺八の自慢で 乞食もどきなり     伴自 俳諧神子の臍 1710 宝永7

伯母を見舞いに尺八でゆく     帆かけ舟     1713 正徳3

梵論シは さて若衆か 女かな   皐月律佐     1819 文政2

どこやら 女梵論の寝姿      岡村石鯨     1784 天明4 

一月寺 仏に遠き人ばかり     谷素外      1784  天明4

祖師の教え 精出して ふけせんし 板入       1813 文化10