もう10年ほど前になるか、虚無僧で国東半島を旅し、大分の護国神社に向かった。
大分護国神社の敷地内には、西南戦争で亡くなった軍人と警察隊の墓地がある。
神社に墓地とは珍しい。
上=軍人墓地 下=警察隊墓地
「軍人墓地」は、神社の駐車場わきで、すぐわかったが、「警察官隊墓地」は
斜面の下の、木々が鬱蒼と茂っている中だった。
104基の、高さ90cmほどの石塔が整然と並ぶ。お参りに来る人も無く、
ひっそりと佇む小さな墓碑に、涙がどっとあふれ出た。
正面に横一列、ひときわ大きな墓は「警部」クラス。一番左が、旧会津士「佐川官兵衛」の墓だった。
佐川官兵衛は、会津戦争で活躍、「鬼官兵衛」とあだ名された。
その武勇を買われて、西南戦争で「警察隊の一等大警部」に採用され、旧会津藩士300名を率いて参戦した。
私の母方の曹祖父の兄「山室五郎」の墓は、入り口から三番目のブロックにあった。
墓誌には
「警視局四等巡査 山室五郎 豊後口警視第二号第二番隊 小隊兵
福島県士族 明治十年六月一日戦死 豊後国臼杵町 齢二十年八月」
山室五郎は臼杵町で戦死したことがわかった。
しかも佐川官兵衛が田原坂の攻防で戦死したのは三月十八日。それから3ヵ月後。
墓は、意外にも鹿児島県や山口県の人も多い。むしろ福島県は13名で少ない。鹿児島県も14名いる。
山室五郎は薩摩人と共に、西郷軍と戦っていたのだ。
「“戊辰の復讐”と会津人が300名もこぞって西南戦争に参加した」というのは「作家の史観」だ。
あふれる涙に、息つまらせながら、『手向』を心静かに吹いた。