有漏路より無漏路に帰る一休み 風吹かば吹け、雨降らば降れ
一休と一路の出会い
「万事休す、一休とはこれいかに」
「万方路あり、一路とはこれいかに」
有漏路より無漏路に帰る一休み 風吹かば吹け、雨降らば降れ
一休と一路の出会い
「万事休す、一休とはこれいかに」
「万方路あり、一路とはこれいかに」
〇〇苑の会合で、「交通事故に遭い、内臓破裂で
医師からも『助からない』と診断されたが、奇跡
的に快復した」という話が出され、それをきっかけに、
私も私もと体験談が語られた。
朝起会でも「突然車が飛び出してきて、もうダメ
と思った瞬間、自転車ごとファッと宙に浮いた
ようになって、衝突を避けられた」と。
それぞれ「お力をいただいている」と感謝の心だ。
そういえば私も、もう20年も前になるが、バイクに
乗っていて、交差点で出会い頭に、車とぶつかった。
ぶつかる直前に身体がファーと空中に浮いて、一回転
して地面に落ちた。救急車が来て、病院に運ばれ、
レントゲンを受けたが、「異常ありません」だった。
着ていた服はズタズタ、バイクはへし曲がって修理不能
の事故だったのにである。今思うと、直前に宙に舞い
上がったのは、神仏の加護だったかと思う。これ以外
にも、神仏に守られているということを、私はしば
しば体験している。
日めくりカレンダーら瀬戸内寂聴の言葉。
93歳の時、たんのう癌の手術をして一時は寝たきりになり、
「神も仏もあるものか」とさえ思った。
その入院生活から、またまた奇跡の復活。そして悟ったのは、
「もうこりた」。
「天台宗の教義は何か」と問われて、一言で答えるならば
「もうこりた」です。。「もう懲りた」ではありません。
「忘己利他」と書くんですと。
「己を忘れて、他に利する」。つまり「自分の都合や損得勘定を離れて、
相手の立場に立ってものごとを見、対処していく態度や生き方」。
宮沢賢治は「法華経」を信奉し、「雨ニモマケズ」で言っている。
「アラユルコトヲ 自分ヲ勘定ニ入レズニ ヨク見キキシ、ワカリ」と。
そして「忘己利他」の極みが、法隆寺の「玉虫の厨子」に
描かれている「捨身飼虎」。飢えた虎のために、わが身を
餌として与えるという話。
そう 「あんぱんマン」もそうなのだぁ。
世のため人の為と、わが身、家庭まで犠牲にしては、
「お人よしにも ほどがある!」と女房殿にも逃げられるがオチ。
それでもあなたは「忘己利他」に徹しきれますか? それとも
「もう懲りた」と投げ出しますか。頭で判っても 実践となると
奥が深~い 言葉なのですと。
今朝Yさんの話。「私の夫は、床屋に行っても、買い物をしても お金を払ってこない。私がいつもあとから払いに行っていた」と。
子どもの頃を思い出した。毎年夏休みは 父母の実家の会津で過ごした。
母の実家には毎日魚屋さん、八百屋さんが、リヤカーをひいてやってきた。
魚屋さんは調理場で魚をさばいて帰って行く。床屋さんも来た。祖父は
四畳半ほどの鏡の間で床屋さんに髪を刈ってもらう。祖母は日本髪の
髷を結ってもらっていた。
隣りはヤクルトの販売店。窓から手を出せば、ヤクルトをもらえた。
どれも支払は月末払い。そこで生まれ育った従兄弟は この世に“お金”
というものが存在することを、小学校2、3年まで知らなかったようだ。
向かいの駄菓子屋で欲しいものがあれば「これちょうだい」で、お金を
払わないで 貰ってこれたからだ。
こんな話も。戦争中「牧原」という将校が会津の連帯に赴任してきた。 「牧原」というと、どこでもツケがきくので、料亭でさんざん飲み食い したようだ。その請求書がわが家にきた。覚えのない請求に、 調べてみると、同姓の将校とわかったそうな。