現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

長崎も予告されていた。

2021-08-10 17:29:05 | 太平洋戦争

長崎の原爆投下は、はじめ小倉の予定だったが、霞と煙にさえぎられ、次候補の長崎に落としたといわれている。

しかし、8月9日は「長崎」と決まっていたという見解もある。しかも事前に予告され、軍の上層部は知っていたという。

広島同様、前日に「第二総軍」の幹部が集められており、軍幹部も県の上層部も 被爆を免れている。

8月7日「こちらはニューディリー、信ずべき情報によれば、米軍は来る8月9日に、広島に続いて長崎に原子爆弾を投下する予定であることを発表しております。繰り返し申しあげます」という放送が流されていたのを、軍は傍受していたともいう。

長崎には何百人かの米兵捕虜がいたが、8月9日は、他へ移され、全員難を避けているとのこと。

原爆を積んだB29が、小倉から長崎へ向かっていることまで、参謀本部の諜報機関は掴んでいながら、迎撃の命令が出なかった。

だが 直前になって、長崎では「全員避難せよ」の放送が流れたとも。何者かが、情報をキャッチして、軍の指示を得ずに流したのか。

「なぜ、長崎に?」
長崎には真珠湾攻撃に使われた魚雷を製造する三菱兵器工場があった。長崎は「真珠湾の報復」だったとか。

すべては、アメリカと天皇とのトップ・シークレット。「密約」があったという。「原爆によって戦争を終結し、日本国家の存続、再建のため」という大義名分。そのために多くの市民が「人柱」となった。

厚労省の「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」が「制度は破綻しているという意見に留意」と中間報告 - Everyone says I love  you !


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。