現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

福沢諭吉の孫、堀井小二朗

2020-10-24 16:22:58 | 筝尺八演奏家

 

私の尺八の師は、福沢諭吉の孫、堀井小二朗。福沢諭吉の次男「捨次郎」の妾腹の子で」すので、母方の姓「堀井」。本名は「捨次郎」の子なので「小次郎」と名付けられましたが、それを嫌って、尺八の芸名は「小二朗」でした。

明治44年京都に生れ、父捨次郎の招きで、慶応に入り 昭和4年に卒業しています。母は京都の芸奴。その影響で、幼少の頃から三味線、琴、尺八の音に聞き馴染み、8歳で地歌「八重衣」を暗唱していたといいます。

  父 福沢捨次郎

大学卒業後、明治生命に入社しましたが、戦後は尺八家として名を成しました。木下恵介監督の『二十四の瞳』の海外版や『宮本武蔵』などで尺八を吹いています。

尺八上田流を開いた上田芳憧氏や福田蘭童とも親交がありました。

福沢諭吉が封建制を批判し、独立自尊の啓蒙を図ったように、堀井小二朗師も、邦楽界の悪しき慣習を打破しようとした一人です。

それまで、尺八家は旦那芸で、お琴のお師匠さんのスポンサーであり、お琴の会に出演しても、祝儀を出すのが習慣でした。
それに対して、堀井小二朗師は「私は演奏家です。これで食べているのですから、ギャラをいただきます」と言って、祝儀は出さなかった。それで「なんてお金に卑しい人」と非難されます。

また、上田流でも「上田芳憧氏の尺八もまだまだ(未熟)」と会報に投稿したことで、上田流の幹部会員が激怒し 除名されています。

そして宮城道雄の養子宮城(小野)衛とも親しかったため、小野衛が 宮城喜代子・宮城数江によって宮城会から追放されたことで堀井小二朗も宮城会から縁を切られるなど、邦楽会では孤立していきます。

ま、堀井小次郎は 福沢諭吉の孫子の中で、顔立ちが最も福沢諭吉に似ており、邦楽界の中で独立自尊を貫いた尺八家でした。

 



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