現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

『古事類苑』の尺八の項の「序」の誤り

2021-04-27 10:34:06 | 尺八・一節切

「尺八」の名称は「その長さが1尺8寸であることから」とする出所の一つが、どうやら『古事類苑』のようです。


『古事類苑』は、明治政府が 1896年(明治29年)から1914年(大正3年)にかけて、膨大な書物を収録編纂したもの。


その『古事類苑』の「樂舞部 三十三 尺八の項」の「序」で、誤った解説が書かれてしまったのだ。
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尺八ハ、シャクハチ、又サクハチノフエトモ稱ス、
蓋シ李唐ノ初メ、呂才ノ造ル所、其長サ唐ノ小尺
一尺八寸、今尺一尺四寸、因テ名ヲ得タリト云フ。

初メ呂才ノ之ヲ製スル器タル、凡十二枚、長短同ジカラズ、
蓋シ古律の黄鐘ハ九寸ニシテ、其音清高ニシテ、人聲ト
近カラズ、故ニ九寸ヲ倍シテ、一尺八寸ト爲シ、上生下生シテ、
以テ十二枚ヲ作リシナリ、

後世ノ尺八ハ、管ノ長サ今尺ノ一尺八寸ナルニ由リ、
亦此名アリ、節三ニシテ、孔ハ古ノ尺八ニ同ジ、

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つまり、最初に作った尺八は唐の「小尺」の「1尺8寸」だったので「尺八」と名付けた。しかしその長さは、今の「1尺4寸」(42cm)であるという。法隆寺に伝存した尺八が約 42cm であることから、これが基準と考えたのかもしれない。

しかし、正倉院の8本の尺八は、34cm、38、43cmと不揃いであり、説明がつかない。「長短同じからず」なのだ。                                                         

「黄鐘(日本の壱越=Dの音)は九寸だが、これは甲高く人の聲に近くないので、その倍の1尺8寸を基準にして長短12本作った」と補足している。

メチャクチャな話だ。その前に「古代中国の小尺は、今の1尺4寸」と言っているだから、「小尺の9寸は、8掛けで                                                    27cm×0.8=21.6cm。これは壱越=Dではない。F#。
F#が基準とはとても考えられない。話が矛盾するのだ。

そもそも、この「序文」には出典が書かれていない。『古事類苑』の編者の勝手な推測なのだ。“へんじゃ”。
これが「定説」になってしまったとは“大変じゃ”。



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