“最後の虚無僧”と言われた 谷 狂竹。大正から昭和にかけて、生涯を虚無僧の旅で通した人だ。戦前は、虚無僧は法律で禁止されていた。
谷狂竹は何度か警察に捕まり、留置場に入れられている。その時の弁明は「自分から金品をねだってはいない。自分の尺八を聞いて仏心を起こして喜捨してくれる」というもの。
「尺八に悲しき命つみ重ね つみ重ねつつ 吹き狂う我は」
「吹くことのほかにすべなき 我は日々 歓喜感謝を繰り返し吹く」
「竹吹いて書くべき文も書かずして 義理や恥かく 我は狂竹」
狂竹狂竹(恐縮恐縮)
戦時下に、虚無僧を貫くのはさぞ大変だったろうと思うが、本人は全く意に介してない。尺八以外に一物もなし。夏になれば単衣の着物を、冬になれば「それでは寒かろう」と合わせの着物を誰かが進呈してくれる。宿は心配せずとも夕刻になれば「うちへ泊っていってください」と声をかけられる。「何不自由ない」と語っている。
ホントに私も今はその心境だ。食事は1日一食だが、毎日誰かがご馳走してくれる。着物も椅子や机も、テレビもパソコンも、車まですべていただいたものだ。
『虚無僧行脚の誓語』というのがある。
一・衣食住は天道に任すべし。当季外の衣は捨つべきこと
一・病人、、乞食等に出遭わば、できる限りの介抱、親切を尽くし、慈悲を加うべき事
一・山賊追いはぎに逢はば裸になりて渡すべし。もし殺害に及ばば首を伸べて待つべし
捨身施虎。殺されてもいい覚悟。私も怖いものなし。戸締りなどしたことない。鍵はかけてないから、宅急便もヤクルトもドアをあけてはいってくる。