現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「教えて」で「虚無僧」を検索した結果

2018-04-17 17:19:03 | 虚無僧日記

「教えて」のサイトで「虚無僧」で検索してみました。
まずびっくりの 第1位。

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【質問者】

「来年度から高校生になります。
 だいたい将来の夢は決まっていたりするんですが、
 人生のために何かしておきたいです。
 大学卒業後、或いは在学中でも良いので、
 虚無僧になって諸国行脚の修行をしようかと
 真剣に考えてます。

(質問1)虚無僧は現在もいるのでしょうか?(パフォーマンスでは無く本物)
(質問2)今の時代でも虚無僧になれますか?(本物になりたい)


これに対する【回答】1件

 京都の明暗寺のなかに明暗協会があり
 そこで許可証をもらえれば正式な虚無僧に
 なれます。問い合わせてください。

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私も高校の時から虚無僧に憧れていて、大学2年の時に
夏休み1ヶ月、虚無僧の旅をしました。それが人生で
ほんとうに良い経験でした。

それにしても、この「教えて」のサイト。検索すれば すぐ
解るようなことでも、自分で調べようとせずに、なんでも
人に聞こうとする人が多く、私としては“?”です。

中高生ですと、試験問題や夏休みの宿題の回答などを
安直に求めている質問が多く、ちょっとあきれます。

「虚無僧」で検索すれば、私のホームページやブログが
すぐ見つかるはずなのにね。


人間は楽器

2018-04-15 23:33:24 | 虚無僧日記

作家の「いしい しんじ」の「楽器であるひとりの人間」
というので、読んでみました。
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音、声は耳で聞くものと思いがちだが、そうではない。
全身の骨が共鳴し、肉が響き、血流が重なり合った音を
聴覚器官でとらえている。

声を出すとき、喉だけを鳴らして、声が響いているわけ
ではない。声帯は震えている絃の一部にすぎず、楽器で
ある僕たちのボデイは、頭頂からつま先まで、全身なので
ある。

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まさに、私も考えていたことと同じ。

尺八は口先だけで吹いても響かない。“吹いたら鳴らない”。
“マウス・ボックス”さらに“ボディ・ボックス”、
身体全体で響かせる。そうすれば、耳の聞こえない人にも、
響きは伝わる。心で聞いてもらえるのだ。

さらに、筆者は、劇場・ホールについて、こうも言う。
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劇場や お寺、教会は 全体が楽器。役者の声、読経、説法を、
人間を越えたある別のところからの声に変換して、あまねく
届ける。

余計なものは何もない抽象的な(無機質な)ホールは、そこで
演じられるものも なんとなく味気ない気がする。
それより、子供の泣き声、お母さんのあやし声、遅れてきた
客の足音が闇に混じり、おかしければ笑い、悲しい時には
ハンカチの衣擦れが響く、拍手だけでなく、舌打ち、ヤジ、
静かな微笑み、そういうものをひとしなみに含み、流れていく
芝居、音楽が好きだ。

劇場は楽器だし、人間は楽器。つまるところ、一人の人間は
一個の楽器なのだ。

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さすが、作家「いしい しんじ」。私は今、老人ホームで
ボランティアだが、お年寄りのささやき、感動のざわめき、
痴呆の方の突拍子もない 嬌声、そんなもろもろの音と
対話しながら 尺八を吹く。耳の遠い方もベッドや車椅子で
寝たきりの人も、私の尺八に反応してくれる。そんな空気が、
すごく楽しい。尺八には、耳では聞こえる音以上に不思議な
力が秘められている。


桜満開の上野公園で

2018-04-15 00:20:31 | 虚無僧日記

桜満開の上野公園での虚無僧パフォーマンス

 「虚無僧」の画像検索結果

この写真に寄せられたコメント

 

①以前、名古屋の大須で、ナマで見た。あの存在感、ハンパねぇす。

 (これ、私のことか?)

②限られた人が限られた場所でひっそりと文化を継承して、いつかは

 消滅してしまう日を先延ばしにするくらいなら、こうやって

 パフォーマンス的な事をして多少歪んだ形でも広く知ってもらう方が

 良いのかもね。

 (私もそう思っております)

③虚無僧は、俗世間から離れて、世渡りするためのツール。

 うわべだけの人間性を捨て虚無に徹し悟りを得ようとする

 崇高な人のことだよな。

 (はい、そのように努力しています)

④本物の虚無僧は各地を転々としていて、もっと身なりが

 汚れているから、この視線を意識したような綺麗な衣装だと、

 きっと愛好家かコスプレだろうね。

 

 

外国人の質問

⑤これはNinjya(忍者)ですか?

(先日、名古屋城内で虚無僧していたら外国人観光客が「忍者だ、忍者だ」と

喜んでいました。

 


一休の詩偈

2018-04-12 09:30:35 | 一休と虚無僧

◆「賛」
禅僧では、弟子に自分の肖像画(頂相)を描かせ、そこに
画讃をいれて、弟子に与える習慣がある。

室町時代には、賛詩を必須とする詩画軸、上部に賛のある
寒山拾得などの禅画が多数制作された。

江戸時代には浮世絵に 狂歌や俳句の賛を書くことも流行った。


◆「偈(げ)」
「偈」とは、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに
韻文の形式で述べたもの。「偈頌(げじゅ)」ともいう。

禅僧が悟境を韻文の体裁で述べたもの。中国の偈は
押韻しているのが普通であるが、日本人の「詩偈」、
「法語」には、韻を踏まない破格のものも多い。


一休の『狂雲集』は「漢詩集」と紹介されているが、
正確にいうと「頌、偈、号、賛」と「詩」を集めた
ものである。

その区別は 内容で決められる。

「偈」と「頌」は 仏教的なテーマを扱っていて、
「賛」は 人物を 詠う作品。
「号」は 弟子に法号を与える時に作る作品。

根本的な対立は「偈・頌」と「詩」にある。

そもそも、禅僧にとって、仏教と関係のない
「ただの詩」を作るのは、普通な行為とは
決して言えない。一休は、詩に耽(ふけ)り、
尺八を吹いた。それは“禅僧”としては
あるまじき行為、破戒だったのだ。

しかし、それはやがて、詩人や文人達の間でも
禅への関心を呼ぶようになり、詩や文学にも
禅の影響を感じるようになる。

狂言の『楽阿弥』では「じょ=頌」と言っている。
「褒(ほ)める、ほめ讃える」の意で「賛」と
同義か。

「かの宇治のろうあんじゅ(朗庵主か?)の尺八のじょ(頌)
にも、『両とふ(頭)をせつだんしてより、尺八寸中
古今に通ず、吹き起こす無常心の一曲 三千里の外
知音絶す」と。

これは「一休の尺八の友で、宇治に住んでいたという
朗庵(ろうあん)」の絵の上に書かれているので「賛」
なのだが、『体源抄』には「一休の作」として出
てくる「偈」である。


虚無僧と南朝の関わり

2018-04-12 09:29:48 | 虚無僧って?

虚無僧の沿革について『虚鐸伝記国字解』では「楠正勝が“虚無”と
号して、尺八を吹き托鉢をしながら東国に落ち延びたことにより、
楠正勝が虚無僧の元祖となった」としている。正史では「楠正勝」の
存在自体疑わしいとされているので、全くの創作だが、ではなぜ
「楠正勝」を虚無僧の元祖としたのかが興味深い。

虚無僧はどうも南朝との関わりが色濃く、「反政府」的立場に
身を置く存在と見られている節がある。

まず「紀州由良の興国寺」は、実は、法燈国師覚心が開創した時は、
高野山真言宗の末寺で「西方寺」だった。鎌倉時代のことである。
それが、「覚心」の弟子「弧峰覚明」の時、建武の中興となり、
後醍醐天皇、後村上天皇の帰依を受け、南朝の号「興国」から
「興国寺」と改められた。

興国寺が「普化宗」の本山になったのは江戸時代も中頃のこと。
京都の虚無僧寺「明暗寺」は、本来正式な寺ではなかった。
虚無僧の溜り場にすぎなかった。幕府から、寺の宗旨を問われて、
由緒をでっちあげたのが『虚鐸伝記国字解』。そして、その物語を
元に、興国寺に「本山」の引き受けを再三お願いして、強引に
認めさせたものだった。しかし、これには、臨済宗の大本山である
妙心寺から「虚無僧寺を末寺にするとは何ごとか」と詰問を受け、
興国寺側は「史料が焼失して、詳しいことは不明だが・・・」と、
苦しい言い訳をしている。

明暗寺は「末寺」となるために、「看主は興国寺で得度受戒を
受ける。看守は毎年挨拶に伺候する。看守が亡くなったら
興国寺に埋葬してもらう」という条件を約束した。つまり、
それぞれに一定のお金を上納するということ。ところが、その
約束は、最初だけで、その後一度も実行されなかった。

ネットの「興国寺」のガイドで、「虚無僧は、興国寺で認証を
受けなければならない」というようなことが書かれているが、
そのようなことはない。


さて、ではなぜ「興国寺」が、京都明暗寺の本山に選ばれたのか。
それは「南朝方の寺」だったからと私は推察する。しかし、唐突に
選んだのではなく、「興国寺の開山・法燈国師が虚無僧と関係が
あるらしい」という言い伝えは、江戸時代の初期にはできていた。
『糸竹初心集』にそのように書いてある。「但し了見せず」と。

なぜ、「由良の法燈」が「虚無僧」と関係あるらしいとなったのか。
それは「一休」ではないか?。

虚無僧は「一休」を信奉していたのではないかと私は考えている。
「一休」の父は、北朝の後小松帝。母は「南朝の重臣の娘」という。
それで、「一休」は「北朝101代目の天皇となるべき人だったが、
母方が南朝ということから、南朝からも南朝の天皇として担ぎ出される
運命にあった。北と南の板ばさみになった一休が選んだ道は、北でも
南でもない。天皇になることを拒み、一生を托鉢僧として生きること
だった。それが「この橋(端)渡るべからず」の知恵だ。

そのことを一休は、「普化禅師」のゲ「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」を
とりあげて、諭している。そして「由良の開山」の作として、次の歌を
紹介している。

「なにごとも 夢幻と悟りては、現(うつつ)なき世のすまひなりけり。

「由良の開山」とは興国寺の開山「法燈国師覚心」のこと。
『一休和尚法語』は、慶安元年(1648)の刊行。これとて一休自身の作
という保証はない。一休に仮託して、誰かが創作したものだろう。
偽作だ。だが、なぜ「由良の開山」が出てくるのかに私は注目している。

『邦楽ジャーナル』に只今毎月連載しています。


乞食坊主に用はない?

2018-04-10 20:12:25 | 虚無僧日記

『一休咄』

「一休が、さるお大尽の家に法事で呼ばれた時、
はじめ、汚れた雲水の格好で行ったら、「おまえの
ような乞食坊主の来るところではない」と追い返
された。次ぎに、正装して 金襴の袈裟を付けて
行ったら、「これはこれは一休殿、お待ち申して
おりました。さ、どうぞ奥へ」と。
そこで一休「わしは、先ほど墨染めの衣で来たら、
『乞食坊主』と追い返された。今、金襴の袈裟を
つけて来てみれば、『ささ どうぞ』と。しからば
私を呼んだのではなく、この袈裟衣に用があった
のでござろう」と、袈裟衣を脱いで 置いて帰って
しまった。

という話『一休年譜』には無い。似た話は『年譜』
では次ぎのようになっている。

応永29年(1422)、一休29歳。先代の言外和尚の
33回忌の法要が大徳寺で行われた時、各僧侶は
きらびやかな衣に金襴の袈裟を付け着飾る中、
一休ひとり、わざと、墨染めの衣にボロ布を
縫い合わせた袈裟をつけ、草履という格好で
参列した。

師の華叟が「どうしてそんな格好をしている」
と聞くと、一休は「みなさんの引き立て役です」
と答えた。華叟は「わしの跡を継ぐのは、風狂
だが、一休だ」と応えた。

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ニュアンスは違うが、『年譜』のこうした記事から
上記の「一休咄」を創った戯作者に感心する。

ところで「一休咄」は、一休の“いたずら心”で
終わってしまうのだが、この話は、二つの受け止め
方がある。

一つは「人は着ているもの、見た目で判断しては
いけない」ということ。

も一つは「見た目で判断されるのだから、TPOに
応じた服装をすべきではないか」という反目心も
湧き起こる。「正反」含む話だ。これが、一休の
(普化禅)の「明暗双打」の真骨頂ではないか?。


警察に逮捕されても・・・?

2018-04-10 20:03:35 | 虚無僧日記

「ハッピーこむこむ」さんから、こんな質問が寄せられました。

「警察に逮捕されてもいいから、一度ここで尺八を吹きたいと思うほどの、

憧れの場所ってありますか? 」

 

はて、「警察に逮捕されてもいい」ということは、進入禁止の場所ですな?

そして、憧れの場所。ということは・・・・・・。

そうだ! 「皇居」でしょう。忍者のように尺八を使って水中呼吸しながら、

お濠を泳いで渡って、千鳥ヶ淵あたりから侵入。「しばらくの松」に

上って、しばらく尺八を吹く。やがて皇宮警察がやってきて、松の木に

しばられる。

 

私の尺八の師が、授賞式で皇居に招かれ、尺八を吹く手筈になっていたが、

広い建物内、控室で待たされてるうちに、寝てしまって、目が覚めた時には、

式は終わっていたとか。誰も 呼びにきてくれなかったというのも不思議。

皇居内で尺八を吹いた最初で最後の人になれたのにね。


尺八漫談にもライバルが

2018-04-10 20:02:02 | 虚無僧日記

「尺八漫談」で身を立てようと思ったら、大先輩がいた。

『野菜で楽器 吹く笑い』とのタイトルで「はたの のぼる」さん。

「尺八漫談ひと筋 半世紀」。もう90近い歳だそうだ。

きっかけは、40年前。開演前に尺八がヒビ割れた。そこでとっさに

思いついたのが、舞台裏にころがっていた水道管とノコギリ、錐を

借りて、舞台の上で尺八を作りながらトーク。これが大ウケ。

それからしばらくは水道管ネタで、分岐させて蛇口を付けたり、

水を入れて面白い音を出したり。ゴムホースで作ったり。

ここまでは、他にも吹く人がいてライバルが多い。そこで

大根、ニンジンなど野菜で楽器を作って漫談。

「蕗(ふき)は細くて吹きにくい」「蓮根(れんこん)は穴が多いので

狙った穴に息を入れるにはハスに構えないと」などのギャグをとばす。

ちくわ、コンニャクいろいろ試して、夜は毎晩「おでん」。

1981年 ロンドンで開催されたピン芸人の世界大会に出場。

みごと準優勝して、「日本人初の大道芸人の国際ライセンス」を取得した

というから、おそれいった。上には上が居るもの。

「師匠知らず、弟子とらず」そしてライバル無し。

私が目指すのも これだ。真似でなく、何ができるか? あと20年。


尺八漫談 口上

2018-04-10 20:01:02 | 虚無僧日記

尺八漫談の口上です

『風雪流れ旅』で登場。

天蓋をとって

 「流れ流れてやって参りましたここは、愛を知る愛知県、

    和やか名古屋。ご縁いたただきまして、お初にお目にかかります。

   私、この平成の世を虚無僧で生きる一路でございます。

 あのイチローでなくてスイマセン。イチローでしたら

 皆さまの拍手も もっともっと大きく鳴ったことでしょう。

 残念です、悔しいです。

 皆さまのお顔には 戸惑いの色が隠せません。

 虚無僧、知ってました?  こわそう? いえ 虚無僧です。

 虚無僧が来る店は ドットコム。混むそうです。

 笑ってください。おかしくなくとも笑ってやってください。

 一回笑えば、三日命が延びる。一度怒れば 三日命が縮む。

 ここまで申しても、笑う方 五割、笑わない方 五割。

 トランプも 支持者五割、反対派五割。もう終わり。

 私はスランプ。でも頑張ります。

 『おまえに』

 フランク永井は低音の魅力。ブランク長いは無能のしるし。

 でもみなさん、あの金さん銀さんは 下住み生活99年です。

 100歳でようやくブレイクしたのですから。みなさんも

 まだまだ頑張れます。人生どこで花が咲くかわからない。

 『夢は夜 ひらく』

 

 

 


尺八漫談 コロ一丁!

2018-04-10 19:58:44 | 虚無僧日記

古い方はみなさんご存知。尺八というと必ず聞かれます。

「首振り三年でしょ? 三年たたないと音がでないんでしょ。

尺八はむずかしいんですよね」と。

そこで「いいえ」と否定してはいけません。

「そうなんです。よくご存知で。尺八はみなさん難しいと

思っている。だから曲なんか吹けなくても、音が出るだけで

みなさん驚いてくれるんです。三年もたったら、もうプロですよ。

昔の虚無僧は、寺に入って、三日も尺八を習えば、先輩について

虚無僧に出て、銭もらっていたんですからね。こんなたやすい芸は

ないです。

ところで「首振り三年の先ご存知ですか? 首振り三年、コロ八年」て

いうんです。「尺八は文学的表現では ホロホロと鳴くなんて

云われましてね。コロコロ、ホロホロ、ボロボロなんて音が出せるんです。

先日、若い人が ゲ箱に200円いれてくれましてね。『コロお願します』って

いうんですよ。『え? 尺八吹かれるんですか』と聞きましたら、『習って

たんですけど、コロができなくて三年でやめました』って。

それで『では、コロ一丁参ります』と、秘曲の鶴の巣籠りという曲を

吹きました。

鶴の鳴き声を模した秘伝の曲も 8年経てば吹けるようになる。

さて、さらに奥があります。

首振り三年、コロ八年、そしてロの音十年。これで立派な尺八家。

ピアノやバイオリンは 10年やったって プロになれませんよね。

その点、尺八はカンタンなんです。