喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

弁財天の池

2008-02-04 | 岐阜県 旅

地図 細久手宿




弁財天の池

山丘上でありながら、いつも水をたたえている。
古くから旅人にも愛され、蜀山人※も
「左の方に小さな池あり。杜若(かきつばた)生い茂れり。
池の中に弁財天の宮あり。」と旅日記に書いている。
と説明がしてあった。
 ※1749~1823年江戸時代の戯作者、歌人(狂歌)。
   本名は大田覃(ふかし)
   面白い歌があったので
   「冥途からもしも迎いが来たならば九十九まで留守と断れ」
   「世の中にたえて女のなかりせばをとこの心はのどけからまし」
   「世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどうぞ敵にめぐりあいたい」


弁財天の宮

大湫宿に比べたら、本陣(宿)が残っていない。
当時の面影を残す唯一の建物が、
旅館となって利用されている大黒屋。
一度泊まってみたいものだ。

細久手宿も海抜420メートルの山中にある。
藤村が『夜明け前』で「木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、・・・・・・・」
と書いているようなまさにそんな雰囲気だ。
あいにくで、靄が立ち込め、
深山に入った感がいっそう増す。

ふとしたきっかけで、
いろいろな出会いがあり、
いろいろな事を知る機会に恵まれる。
知らぬが仏といって知らないほうがいい場合もあるけど・・・・・
出会いや知識を得る喜びは格別。幸せである。

ところで中山道、中仙道どっち?




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福となる

2008-02-04 | お茶関係
食いそびれた大井宿の「しぶろく膳」。
そのおかげで意外な出会いに感動。

大湫宿から細久手宿を通って帰ることにした。
大湫宿は1604年、江戸時代初期に設置された宿場。
海抜510メートルの山中にあり、
政略結婚をさせられた皇女和宮が、徳川家茂に降嫁し、
1861年江戸時代後期、お輿入れの際、逗留した宿でもある。
今でこそ、舗装され車で難なく通れるが、
その当時は、険しい山道だっただろうと思わせるほどの深山。
十三峠は中山道の中でも難所の一つだったそう。

地図 大湫宿

地図 細久手宿

琵琶峠を過ぎたところで、突然、道路の両側に茶畑。
思いも寄らない場所で茶畑に出会い、感動
よく手入れがゆきとどいている。





どこで製茶するんだろうか・・・・
製茶されたお茶は市場にでるのかな・・・・
八十八夜の頃、また来て見たいな。

しかし、禍転じて福となり、結果的に良い時間を過ごせた。






 



 


 
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