弁財天の池
山丘上でありながら、いつも水をたたえている。
古くから旅人にも愛され、蜀山人※も
「左の方に小さな池あり。杜若(かきつばた)生い茂れり。
池の中に弁財天の宮あり。」と旅日記に書いている。
と説明がしてあった。
※1749~1823年江戸時代の戯作者、歌人(狂歌)。
本名は大田覃(ふかし)
面白い歌があったので
「冥途からもしも迎いが来たならば九十九まで留守と断れ」
「世の中にたえて女のなかりせばをとこの心はのどけからまし」
「世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどうぞ敵にめぐりあいたい」
弁財天の宮
大湫宿に比べたら、本陣(宿)が残っていない。
当時の面影を残す唯一の建物が、
旅館となって利用されている大黒屋。
一度泊まってみたいものだ。
細久手宿も海抜420メートルの山中にある。
藤村が『夜明け前』で「木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、・・・・・・・」
と書いているようなまさにそんな雰囲気だ。
あいにくで、靄が立ち込め、
深山に入った感がいっそう増す。
ふとしたきっかけで、
いろいろな出会いがあり、
いろいろな事を知る機会に恵まれる。
知らぬが仏といって知らないほうがいい場合もあるけど・・・・・
出会いや知識を得る喜びは格別。幸せである。
ところで中山道、中仙道どっち?
食いそびれた大井宿の「しぶろく膳」。
そのおかげで意外な出会いに感動。
大湫宿から細久手宿を通って帰ることにした。
大湫宿は1604年、江戸時代初期に設置された宿場。
海抜510メートルの山中にあり、
政略結婚をさせられた皇女和宮が、徳川家茂に降嫁し、
1861年江戸時代後期、お輿入れの際、逗留した宿でもある。
今でこそ、舗装され車で難なく通れるが、
その当時は、険しい山道だっただろうと思わせるほどの深山。
十三峠は中山道の中でも難所の一つだったそう。
琵琶峠を過ぎたところで、突然、道路の両側に茶畑。
思いも寄らない場所で茶畑に出会い、感動
よく手入れがゆきとどいている。
どこで製茶するんだろうか・・・・
製茶されたお茶は市場にでるのかな・・・・
八十八夜の頃、また来て見たいな。
しかし、禍転じて福となり、結果的に良い時間を過ごせた。
そのおかげで意外な出会いに感動。
大湫宿から細久手宿を通って帰ることにした。
大湫宿は1604年、江戸時代初期に設置された宿場。
海抜510メートルの山中にあり、
政略結婚をさせられた皇女和宮が、徳川家茂に降嫁し、
1861年江戸時代後期、お輿入れの際、逗留した宿でもある。
今でこそ、舗装され車で難なく通れるが、
その当時は、険しい山道だっただろうと思わせるほどの深山。
十三峠は中山道の中でも難所の一つだったそう。
琵琶峠を過ぎたところで、突然、道路の両側に茶畑。
思いも寄らない場所で茶畑に出会い、感動
よく手入れがゆきとどいている。
どこで製茶するんだろうか・・・・
製茶されたお茶は市場にでるのかな・・・・
八十八夜の頃、また来て見たいな。
しかし、禍転じて福となり、結果的に良い時間を過ごせた。