聖徳太子没後1400年の年で、
聖徳太子に縁のある寺が日本で一番多い近江は
今、太子縁の寺宝が次々に公開されているのだそう。
近江の歴史文化の専門家である大沼芳幸先生の同行で
随時解説もしていただけるということで、
休みも合って、即、参加。
近江八幡駅に10時集合で、
十数名の少人数、私含めて高齢者が多い。
落ち着いた雰囲気で、拝観時間も十分取ってあり、
秘仏とゆったりと対峙できたツアーだった。
まず最初に、聖徳太子が仮宮を設けて
膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)と
新婚生活を過ごしたと伝えられる、
奥石(おいそ)神社へ。
拝殿
中山道沿いの老蘇の森内にあり、
拝殿の後ろにある本殿は
近くの安土城の天守とほぼ同時期に
織田信長が家臣柴田家久に命じて建てさせたのだそう。
華麗な装飾が施してあり、
当代随一の本殿建築だったようだ。
名前の由来は「奥の石」。
向かいの山にある観音正寺(西国三十三所第32番札所)の
奥の院の盤座(神が宿る石あるいは岩)を指し
信仰の対象で、人々は山上に出向き
その盤座に祈りを捧げていた。
その後、麓の村に山上の神が迎えられ、
神の住まいとして奥石神社が建てられたということらしい。
難産だった妃が
奥石神社に祈願したところ、無事に生まれたことから、
また、伝説では、日本武尊を危機から救うために、
妃の弟橘姫命が身代わりになって荒海に身を投げたが、
そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に
自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると
言い残したといわれ、
この神社は安産の神様として、
広く信仰されているのだそう。
華やかな着物や羽織袴姿の、姉弟で七五三という子どもたちや
お宮参りの参拝もあって、
温かい雰囲気が漂って、微笑ましかった。
もとは鎌宮と称され
大正13年に奥石神社と改称されたのだそう。
神社仏閣、古からの名称があるだろうに、
どういう経緯で名前が変わったんだろう・・・・・・。