ほのかに灯りのついた、小さな花屋がある。
ず~っと気になっていて、
今日、T病院のDrと16時にアポをとっていて、用件を済ませ、
わが家はそこから近いので、直帰して、
その花屋に寄った。
「APPRIVOISERアプリボアゼ」http://www.apprivoiser.jp
という名前の花屋さん。
M氏の病気の回復祝いも兼ねて、
H先生宅で、およばれ
しかし、当の本人は急な事情で出席できなくなる。
それをH先生に知らせるのに、昨晩は大騒動。
というのも、H先生、携帯電話を居酒屋に置き忘れて、
いくら電話してもつながらない。
居酒屋のご主人がたまりかねて、電話に出てくれ、教えてくれたらしい。
M氏からKに、Kから私に・・・
私も昨晩は映画を観に外出していて、
あと数十分で映画が始まろうと言う時にかかってきて、
運悪く、H先生の自宅の電話番号を携帯に登録していなくて、
家ならまだしも調べようがあるんだけど・・・
H先生の教え子で、学校づくりの時、
一緒に働いていたKさんを思い出して、かけてみた。
自宅の電話番号が分かり、
H先生に連絡することができた。
「それなら、早くいらっしゃい」とH先生。
また、時間変更をKに電話し、
K氏にも連絡しておいてと頼み・・・・一件落着。
そして、今日。
K氏はのめないからと、先に乾杯!!
ピーマンが入っているんですが、スープの名前、忘れました。
つなぎはジャガイモのでん粉だけで、
ジャガイモと白身魚を 油で焼いてあります。
H先生、本当にもてなし上手!
おしゃべりに興じて、片付けもせず、ごめんなさい
ご馳走様でした!
また招待して下さい
映画「剱岳・点の記」を観てきた。
こんな、大変な山だったんだと・・・・
20代のまだうら若き乙女?だった頃、
立山黒部アルペンルートをYと旅行して、
剱岳に登ったのを思い出した。
信濃大町から入って、扇沢、黒部ダム、室堂、
そして美女平から反対側の富山へと出た。
室堂で山を見ていたら登りたくなって、
今思うと恐ろしいほどの軽装備で、
いとも平気で剱に登ったように思う。
山の怖さを知らなかったんだと思う。
「カニのよこばい」と言われる、狭いところがあって、
あの当時、降りる人と登る人で
待ち時間があったほどのラッシュだった。
今では記憶も薄らいで、
右上、座っているところが剱岳かと思ったら、
バックが剱岳だと主人。
頂上には祠があったように思う。
左上、主人は剱沢の雪渓と言うけど・・・・・・
右下は室堂。
室堂では偶然にも、
郷里の母の知り合いに遇った。
左下は黒部ダムの放水で虹がかかっている。
仕事に向かう姿勢や、誠実さに感動。
元測量手の古田盛作の
「人がどう評価しようと、何をしたかではなく、
何のためにそれをしたかが大切です。
悔いなくやり遂げることが大切と思います」
という言葉にも。
宇治長次郎が息子からの手紙を読む場面、
最後の山岳会と測量班との手旗でのやりとり、
涙が出た。
20代の時、剱を初め、槍、穂高、八など登山の経験をし、
この映画、より身近に感じた。
昭和53年 第6刷 当時980円
この映画の原作、
主人が若い時に買って、わが家にあった。
読んでみようと思う。