訪問看護をやり始めて、1年9ヶ月になるけど、
時々通る道沿いに
可愛いケーキ屋さんがあるのに気づいた。
名古屋では名の知れている・・・・・・・・たぶん、
レニエは西区の小田井(実際は五才美)だよな~と???
先日、
お世話になっているY病院のH看護師長を訪ねて行った時、
ここで手土産を買って行った。
その時は、まだ、レニエだとはピンとこず、
昨日午後休みで、父のところへ行くのに、
ちょうど通り道なので寄ってお茶菓子を買った。
その時、「西区のレニエと関係があるんですか」と聴いてみた。
西区が本店で、北区楠のここは支店になるらしい。
『本店がパリ風ならデュノールはその名の通り
北のレニエ、パリの郊外といった趣をもつ。』と
ホームページに書いてあった。
http://www.regnie.jp
店内も可愛い!
販売品目は本店とほぼ同じだそう。
本店には200種類以上のプチガトーが販売されているとか。
父のところへ行ったら甥もいて、コーヒーを淹れてくれた。
ココナッツマンゴープリン(左)は美味しかった!
甥のブログ野田大志 にも書いてくれてます。見てちょ。
ヤフーニュースを見ていたら、
稚内地方気象台が22日、
稚内市でエゾヤマザクラの開花宣言。
桜前線の終着までにかかった期間は73日と、
観測史上最長だそう。
今年は高知県で過去最も早い
3月10日の開花だったのだけど、
3~4月の低温の影響で
北上のスピードが落ちたようです。
【日本を縦断した桜前線】写真で見る2010年日本の桜
を見ると、圧巻ですよ。
昨日は暑かったですね。
子どもさんの運動会などで、1人出勤。
今日は、朝から
運動会日和でよかった!よかった!
雨だったら2回もお弁当作らないといけないものね。
午後から、西枇杷島にある施設を健康チェックに訪問。
堤防を走ると、守山から25分ぐらいで行ける。
訪問看護を始めて、名古屋も意外に狭い、
30分で大概の所は行けるなと・・・・
新緑がとてもきれいでした。
介護認定の書類が来たと妹から連絡があった。
仕事帰りに、父の所に寄って、
それを見る予定にしていたのだけど
迎えに来た主人、
父に届けるグロスミンを持ってくるのを忘れ、中止。
要支援1が認定されたようだ・・・・・・よかった!
帰宅して、日が陰るまで、庭で
ワイルドストロベリー
このワイルドストロベリー、“幸せを呼ぶ”という伝説があるらしいですよ。
ランナーですごく増えるので、
我が家は庭の一角がワイルドストロベリー畑になっていますが、
我が家に関しては“幸せを呼ぶ”は???
ところで、ウエッジウッドのこれ
我が家の食器棚の
ワイルドストロベリーだそうです。
あまり意識しなかったけど、そう言われればそうだな~。
レモンの花が咲いた。
他の柑橘類に比べたら、だんとつ花が大きい
『変装』の著者は多くの人たちから手紙をもらうという。
その中で最も感動させられたものが、
ある老人病院の看護師さんから来た
亡くなった老婦人の持ち物を整理していて
出てきた次の詩だと。
チョッと長いけどお付き合い下さい。
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろにさまよわせて
食べ物をぽろぽろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの意志で食べているこの私が誰なのか
私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて
兄弟、姉妹がいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に羽をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。私の心は踊っていました
守ると約束した誓いを胸にきざんで
二十五歳で私は子供を産みました
その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考えて―不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過してきた年月と愛のことを考えました
今私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心をふくらます
私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに早く過ぎてしまったと私は思うの
そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん―目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
17~8年前に看護学校の教員をしていた時、
上司が持っていて、借りて初めて読んだ。
1988年発行で、もう廃版になっていて、
本屋や出版社に当たっても手に入れ難く、
アマゾンで検索し、古本だけど手に入れることができた。
アメリカの老人たちのライフスタイルに非常に興味を持ち、
3年の間、実際、老人に変装して暮らした
この本の著者でもある、当時26歳の工業デザイナーの話です。
この経験から、彼女は
老人問題の多くは周囲の人達が
態度や見方を変えれば解決できる。
年をとった人達の心理や対人関係の難しさは、
多くの場合、周囲の人々の態度から生じると書いている。
「老い」という言葉は
役に立たない、醜い、大切にされず価値のないものといった
悪いイメージを抱かれがち。
このような感覚こそ変えなければならないと、
20数年前に書かれているが、
今でも老人のイメージはあまり変わっていないように思う。
以前、永六輔さんの本で、
「年寄り笑うな行く道だもの」といった内容の
言葉があったように思う。
身を持ってその「行く道」を体験した『変装』の著者は
「老人を価値ある人とみなし、
尊敬してくれる人がそこにいなければ、
人生は、彼らにとってわびしいままであろう」
「一般の人からのもっと思いやりに満ちた態度」と書いている。
そして、すべての年代の人々にとって、
「人間関係が一番大切、
愛すること、思いやること、そして分かち合うことが究極的には重要」
であることに気づいたと。
これって、当たり前のことのようで、難しい!
『変装』
著 者:パット・ムーア
訳 :木村治美
出版社:朝日出版社