浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

地方新聞の社説

2014-05-01 20:03:07 | メディア
Firefoxの「ブックマーク」には、地方紙の社説が読めるように多くの地方新聞社のアドレスを登録してある。

 全国紙よりも、地方紙のほうが良い社説が多いように思う。地方紙は、中央政界におもねることをしなくてよいからか、原則的な主張が多い。

 もちろん静岡新聞社は別である。ボクは○○○○という筆名で、静岡新聞のあり方を何度も批判してきたが、静岡新聞、昔は社説はなく、そのかわりに「論壇」というものがあり、そこには元軍人や右派のお歴々が珍説を書いていた。ボクは静岡新聞を購読していないのでわからないが、「論壇」は今はどうなっているのだろうか。今静岡新聞には社説があるが、しかしネットから読めるようにはなっていない。おそらくたいした内容ではないので、多くの人に読んでもらいたくはないのだろう。少しは恥の意識があるのだろう。

 静岡新聞を批判していても仕方がない。今日は、『神戸新聞』の社説を紹介する。今日はメーデーである。いちおう労働者の集会やデモが報道されるが、しかし参加者は少ない。労働運動の力は、ものすごく落ちている。だからこそ、こういう主張を読んでもらいたい。

 メーデー/考えたい労働運動の役割
 
世界の労働者が共に行動し、団結と連帯の意思を示す。メーデーには、そうした意味がある。

 1890年5月1日、8時間労働制の実現を掲げて、欧米の労働者ら数十万人がデモなどをしたのが始まりとされる。日本では1920年に始まった。

 一人一人の存在や影響力は、小さいかもしれない。しかし、小さな力がつながれば、国や企業を動かすことができる。「格差社会」がますます深刻になっている今ほど、労働運動の役割が問われる時代はない。

 労働者をめぐる状況は、厳しさを増している。パートや契約社員などの非正規労働者は増え続け、いまや3人に1人を超える。完全失業率が低水準にあるのは、収入の少ない非正規労働者が増えているためだ。大企業での賃上げの流れも、中小にまで十分に広がっていない。

 気掛かりなのは、労働時間の見直しを進めるなど、安倍政権が労働規制の「緩和」に積極的なことだ。

 最終的に導入は見送られたが、昨年には国家戦略特区での解雇規制の緩和が議論された。外資系企業やベンチャー企業を対象に、労働契約法が定める規制を緩め、成長戦略の目玉に位置付けようとの狙いだった。

 解雇は、働く人と家族の生活手段を奪うことになる。解雇には「合理的な理由」が求められ、業績が悪くても簡単に首にできない。

 厳しい解雇制限や8時間労働制、最低賃金の規定は、労働者が人間らしく働き、暮らす権利を守るためにある。長い労働運動を通じて、勝ち取ってきた権利でもある。規制が設けられた経緯を忘れてはならない。

 安倍晋三首相は、そうした制度を成長にとっての妨げとしか見ていないのか。労働者派遣の期限撤廃や労働時間規制の見直しで景気の好循環をつくれば、雇用や所得の拡大につながる。そうした企業優先の考え方が根底にあるようだ。

 しかし、規制緩和で労働者が健康を損なったり、暮らしが不安定化したりするようでは、企業経営や経済にとってもプラスにならない。

 労働規制は、働く人のよりどころだ。首相は「世界で企業が一番活躍しやすい国」を公言するが、「労働者が働きやすい国」をおろそかにしては国全体が疲弊する。規制の見直しが進む今こそ、労働運動の大切さについて考えたい。
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今は、こういう時代

2014-05-01 09:21:49 | 社会
 驚くべきことが起こり始めた。表現の自由が、奪われる、そういう時代になってしまった。国家権力が、強引に、何らの法的根拠も示さずに、表現の自由を奪う。こういう時代になってしまった。

 『朝日新聞』社説である。安倍政権となってから、全体主義的な動きが活発化している。ボクは朝日をはじめ、メディアが「決められない政治」を非難し、「ねじれ解消」を訴えたことが、こういう事態を生み出していることをきちんと認識すべきであると思う。1945年、マスコミ各社は、戦争に協力したことを反省する文を公にした。その反省は生かされているのだろうか。

 メディアがダメなためか、最近の天皇/皇后の発言に、戦争の反省と憲法擁護の思想が込められてるように思う。

(社説)護憲後援拒否 霞を払い議論をひらけ

2014年5月1日05時00分

 「給料の上がりし春は八重桜」。自身主催の「桜を見る会」で面妖な俳句を披露した安倍首相が出席した、メーデー中央大会。こんなことがあった。

 「消費税お前が払え」というプラカードを持った男性4人に警察官が張り付き、「掲げるな」に始まり、高く掲げ過ぎだなどと圧力をかけ続ける。

 そして首相がマイクの前に立ち、男性らが「『残業代ゼロ』絶対反対!」と声をあげた途端、警察官が一斉に彼らを取り囲み、会場の外に押し出した。

 なぜプラカードを掲げてはいけないのか。なぜ警察に会場から出されなければならないのか。何の法的根拠に基づいているのか。男性らは何度も問うたが、確たる返答はなかった。

 安倍政権下、異論や議論が霞(かすみ)の奥に追いやられていないか。

 昨年から、自治体が「護憲」にまつわる行事の後援を拒否するケースが相次いでいる。

 千葉市は1月に開かれた集会の後援申請を断った。「自民党の改憲案で何が変わるか」という講演が予定され「国民的な議論がある問題で、主観的な考えを述べる講演会と判断した」。

 神戸市は、憲法記念日に開かれる護憲集会の後援を断った。実行委員会によると「政治的中立性を損なう可能性がある」が理由だったが、過去2回は後援を受けていたという。

 憲法99条はこう規定している。「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」

 憲法擁護義務を負う公務員が、憲法を守ろうという趣旨の集会の後援を拒否する。なんとも不可解な現象である。

 政治的中立とは何か。主観的考えを述べない講演があり得るのか。およそ真剣に考え抜いて出した結論とは思えない。うかがえるのは、改憲を掲げる安倍政権と、それを支持する人たちの意向を過剰に忖度(そんたく)し、護憲集会を後援することにクレームがつくことを恐れ、事なかれ主義に走る情けない姿である。

 後援基準を見直す動きも出ている。千葉県白井市はこれまで「政治的・宗教的目的を有する行事」は後援しないとしていたが、4月に「目的」を「色彩」に変えた。要は、できれば後援したくない、面倒には関わりたくないということなのだろう。

 だが、異論が出て、議論が交わされることで社会は強く、豊かになるのである。自治体はむしろ面倒を引き受けるべきだ。

 議論を開き、拓(ひら)いていく。その役割を自治体が担ってこそ、社会の霞は払われるのだ。
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今日の『中日新聞』社説:憲法

2014-05-01 09:17:19 | 社会

ベアテさんの思い、心に 憲法を考える 

2014年5月1日

 日本国憲法は施行から六十七年を迎えます。その草案づくりに関わった米国人女性を忘れるわけにはいきません。ベアテ・シロタ・ゴードンさんです。

 ベアテさんにお会いしたのは、二〇〇四年四月、ニューヨーク・マンハッタンにあるベアテさんのアパートメントです。夫のジョセフ・ゴードンさんとともに、温かく迎えてもらいました。

 そのときすでに、一九四七年五月の新憲法施行から六十年近く。連合国軍総司令部(GHQ)で憲法草案起草に関わった人の多くはこの世を去り、当時を知る数少ない「証人」の一人でした。

日本女性の状況、肌で

 ウィーン生まれのベアテさんは五歳になる二九年、世界的ピアニストの父レオ・シロタさんが東京音楽学校(現東京芸大)の教授に招かれたのを機に一家で来日しました。米サンフランシスコ近郊の大学に留学する三九年までの十年間、東京・乃木坂で暮らします。

 日本の文化に触れ、社会に溶け込むのが、母オーギュスティーヌさんの教育方針でした。ベアテさんはすぐ、日本の子どもたちと遊びはじめ、三カ月で日本語を話せるようになったといいます。

 ときには、炭屋の店先にあった「たどん」を道にぶちまけるいたずらも。でも、多感な少女時代、肌で感じたのは、権利もなく、社会的立場も弱い、日本の女性たちが置かれた厳しい状況でした。

 日本を離れた二年後、太平洋戦争が勃発、両親は強制疎開先の軽井沢で、憲兵の厳しい監視下に置かれます。両親と娘は太平洋の両岸に引き裂かれ、お互い安否すら分からない音信不通です。

 大学卒業後、米タイム誌のリサーチャー(調査員)をしていたベアテさんは戦争が終わると、GHQの民間人要員に応募、採用されました。両親に会うためです。

男女平等を書き込む

 親子がようやく再会を果たしたのは終戦の年の十二月末。その約一カ月後、ベアテさんは新たな任務を与えられました。日本の新しい憲法の草案をつくることです。

 人権に関する条項の担当を割り振られたベアテさん。「女性にもいろいろな権利を与えたいという気持ちで始めました」と、当時の心境を語ってくれました。

 かつて日本で見聞きした、女性の立場を何とか改善したい、という強い思いがあったのです。

 焼け残っていた都内の図書館で集めた世界各国の憲法条文を参考に、草案づくりを始めました。婚外子差別の禁止なども含め、幅広く書き込みたかったそうですが、憲法にそぐわないとして草案段階で削除されたそうです。

 しかし、女性にも権利を、とのベアテさんの思いは、日本国憲法第二四条に結実します。男女平等条項といわれるものです。

 <婚姻は、両性の合意のみに基(もとづ)いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 二 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。>

 ベアテさんは憲法施行の四七年五月、米国に戻りました。起草に関わったことは長い間伏せ、文化交流の仕事に没頭します。二十二歳の若い女性が憲法に関わったことが分かれば、改正論を勢いづかせかねないと危惧したのです。

 憲法は、他国に与えられるものではなく、自分たちで決めるものです。時代の変化や必要性に応じて改正することまで、否定されるべきではありません。

 しかし、ベアテさんは日本国民が自分たちの意思で長い間、改正しなかったことの重要性を指摘します。憲法施行六十年に当たる〇七年、本紙に寄せたメッセージでは「日本によく合う憲法でなければ、ずっと前に改正されていたはずです」と語っています。

 特に、経済発展の基礎を築いた戦争放棄の九条は、世界の「モデル」であり、「ほかの国々がこの憲法のまねをして、自分の国の憲法を変えて、世界に平和をもたらすことを期待しています」と。

9条は世界のモデル

 新憲法への関わりが知られるようになった晩年は頻繁に来日し、憲法制定の歴史を語り、女性の権利や人権、平和の条項を守る大切さを訴えました。一二年十二月、八十九歳の生涯を閉じます。

 その功績をたたえる声は、今もやみません。ベアテさんの思いは、憲法と、わたしたちの心の中に生き続けています。

 ベアテさんも見守った戦後日本の歩み。憲法改正や解釈改憲が声高に叫ばれる今こそ、平和憲法下で復興、経済発展を遂げた先人の労苦を思い起こしたいのです。
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矢野久美子『ハンナ・アーレント』(中公新書)

2014-05-01 08:58:08 | 読書
 ハンナ・アーレントの本は、ボクの書棚に並んでいる。「過去と未来の間」という、今ではほとんど書いていないブログの名は、アーレントの『過去と未来の間』という本から借りたものだ。

 彼女については、先頃映画化されたから、知っている人も多いだろう。彼女はきわめて知的であると同時に刺激的な主張をしてきた。とくに『エルサレムのアイヒマン』は有名である。先日も記したが、ボクはこの本を買ってもいなかったので、あの映画を見たあと購入して、机の上に置いてある。

 『・・・アイヒマン』よりも先に、ボクはこの本を買って読んだ。アーレントの思想を俯瞰できる内容で、とてもよかった。ボクは本を読むときは赤線を引き、塗り(最近は赤の色鉛筆を多用している)、付箋を貼るが、この本、付箋だらけになってしまった。

 政治哲学者というのか、とにかくアーレントの思想のエッセンスが書かれた本だ。アーレントの本は段組で、これは読めるかなと怖じ気づくような長い長いものが多い。アーレントの本を読むのはどうも、と思う人は、この中公新書を読むのがよい。アーレントの著作の翻訳者であるから、内容は確かだ。

 ハンナ・アーレントは、すこしでも教養のある人で知らない人はいないと思う。でも読んでいる人は少ない。

 アウシュヴィッツを体験した人類は、みずからの思想のなかに、この事実を包含しなければならないが、それに真摯に立ち向かったのがアーレントである。アーレントはユダヤ人であったからでもあるが、しかしユダヤ人であることに囚われずに、みずからの政治哲学を打ち立てた。

 内容の紹介は、あとで。



 



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