不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】加藤直樹『九月、東京の路上で』(ころから)

2014-05-31 22:38:21 | 読書
 この本も、ぜひ、ぜひ読んで欲しいと思う。素晴らしい本だ。新大久保で生まれ育った著者は、新大久保の路上でおこなわれるヘイトスピーチにノン!を突きつける。

 著者・加藤は、そうした現在の動きを根底から捉えるために、1923年9月を振り返る。そこには、軍や警察、そして一般庶民による朝鮮人虐殺があった。この本に紹介されているそれぞれの事件はおぞましく、活字を追う眼をそこで停止したくなるほどだ。だが、事実は事実として、きちんと視なければならない。

 ボクは、静岡県に於ける在日朝鮮人の歴史を調べ書いたりしているから、そして大杉栄・伊藤野枝・橘宗一虐殺について調べたりしているから、もちろん関東大震災に於ける朝鮮人虐殺は知っているし、山田昭次さんの本も読んでいる。
 
 だが、この本は、過去の歴史的事実を明らかにするという視点だけではない、著者の脳裏には、常に現在のヘイトスピーチの問題がある。現在の問題を理解し、解決しようとして、そのために歴史の襞に分け入っている。まさに歴史研究の大道を行っている。
 
 ボクはこの本を読んで、教えられたことがいくつかある。まず1923年の虐殺の前、メディアが朝鮮人を「不逞鮮人」として、書きたてていたようなのだ。

 1923年9月に至る数年間も、日本の新聞は毎日のように「不逞鮮人の陰謀」を書きたてていた。

 そしてプロレタリア作家の中西伊之助の「朝鮮人のために弁ず」(『婦人公論』1923年11月12月合併号)を引用する。

 爆弾、短銃、襲撃、殺傷、ーあらゆる戦慄すべき文字を羅列して、所謂不逞鮮人ー近頃は不平鮮人と云ふ名称にとりかへられた新聞もありますーの不逞行動を報道しています。それも新聞記者の事あれかしの誇張的筆法をもって。

 そして今も、週刊誌や新聞などが、中国や韓国への敵愾心を煽っている。その書き方に、ボクはやはり中国や韓国への蔑視を感じる。他国を批判すろとき、たとえば欧米のどこかの国を非難する時の書き方とは、絶対に異なる。

 さらに政治家・石原慎太郎の、「三国人」発言。外国人に対する蔑視と威嚇を含んだ、いやそれを前面に出した演説など。

 1995年、阪神淡路大震災が起きた時、ボクは、関東大震災における朝鮮人虐殺を想起した。真剣に心配した。しかしそういう事態は起きなかった。ああそれでも歴史は進歩したんだなあと思い、ホッとした記憶がある。

 だがその頃は、現在のような反韓、嫌韓の思潮はなかった。メディアによる同調もなかった。だが今はある。

 首都直下型地震が想定されるなか、東京は、もう一度あの歴史を繰り返すのだろうか。

 これもこの本で教えられたことであるが、2005年アメリカ南部に上陸したハリケーン・カトリーナが莫大な災害を引き起こした。そのさなか、白人の「自警団」により、黒人に銃撃が加えられたり、非白人が略奪しているという流言飛語が飛び交ったりしという。1923年9月の事態が、アメリカで再現されたのだ。

 加藤は、こう記す。

 週刊誌やネットでは「韓国」「朝鮮」と名がつく人や要素の「間」化の嵐が吹き荒れている。そこでは、植民地支配に由来する差別感情にせっせと薪がくべられている。「中国」についても似たようなものだろう。

 その「間」化に抗するものとして、加藤は「共感」を対置する。彼らは「「共感」というパイプを必死にふさごうとする」、だからこそ、1923年9月、「名前をもつ誰かとしての朝鮮人や中国人や日本人がそこにいた」こと、そこには国籍を超えた「共感」があったこと、それを加藤は示そうとしている。

 本書で紹介されているレベッカ・ソルニット『災害のユートピア』(亜紀書房)は、注文している本だ。これも絶対に読まなければならない。

 あの歴史を、絶対に繰り返してはならぬ。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中日新聞』社説の心配は正しい

2014-05-31 20:05:48 | 政治
 今日の社説であるが、指摘の通りである。だいたいにして、労働者の労働条件に関わることを、労働者代表抜きで決めていくことは、ILOが認めていないことだ。その意味では、違法なのだ。

 ただでさえ労働者の労働条件の根本法である労働基準法が守られていないのだから、こういう残業代ゼロがまかり通るようになったら、累々たる過労死という死が積み上げられるだろう。

 連合などの抵抗は、あるのだろうか?


残業代ゼロ案 アリの一穴が狙いでは

2014年5月31日


 政府が成長戦略への明記を決めた労働時間の規制緩和は、本当に専門職などに限定されるのか。派遣労働がそうであったように、結局はなし崩し的に働く人の多くに広がる懸念を禁じ得ない

 働く人にとって最も大切な労働時間の制度変更を、労働界の代表が入っていない産業競争力会議で決めてしまう。いわば「働かせる側の論理だけ」という乱暴極まりない手法である。成果によって報酬が決まる新たな労働時間制度はあっさり導入が固まった。

 具体的な制度は今後、厚生労働省の労働政策審議会で詰めることになるとはいえ、早くも対象を「高度な専門職」などと限定する案に対し、財界や経済閣僚から「一握りでは効果がない」と異論が出ている。人件費削減のために一般社員などへ、できるだけ対象を広げようとの思惑が透けて見えるようである。

 少子高齢化の進展で生産年齢人口(十五~六十四歳)が減り、一人当たりの生産性向上が課題となるのは否定しない。効率的な働き方、長時間労働の是正が実現するのであれば歓迎する。しかし、この労働時間規制の適用除外とするホワイトカラー・エグゼンプションは、第一次安倍政権の二〇〇七年に世論の猛反対で頓挫したように、残業代ゼロのいわゆるサービス残業を合法化し、長時間労働を常態化させかねないものだ。

 労働時間でなく成果で評価されるようになれば、従業員は成果が出るまで働き続けなければならない。企業は労働時間を気にしなくてよいから従業員が疲弊していようが成果を求め続ける。毎年百件以上の過労死が社会問題化する中、時代に逆行し、そればかりか残業の概念がなくなれば過労死の労災認定そのものが困難になる

 首相は「希望しない人には適用しない」「働き方の選択によって賃金が減らないようにする」と明言したが、従業員の立場が会社に対して極端に弱いことすら理解していないのか。首相の言うことが通用するなら、これほどまでに過労死も過重労働も起きていないに違いない。ブラック企業すら存在しないであろう。

 働く人を守る労働法制が首相や財界の意向で都合よく変更されてよいはずがない。限定論や美辞に惑わされ、なし崩し的に広まりかねない。派遣労働が典型だ。「働き方の多様化」「柔軟な労働形態」などの名目で緩和され、今や働き手の四割近くが非正規雇用だ。同じ轍(てつ)を踏んではならない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本が来た!

2014-05-31 14:26:12 | 読書
 注文していた本が届いた。2冊。1冊は専門書。もう一冊は、『九月、東京の路上で』(ころから、2014年)である。

 これは『毎日新聞』の書評欄で紹介されていたもの。大杉栄・伊藤野枝の墓前祭に関与するボクとしては、読まなければならないと思って注文したのだ。

 東京周辺では、1923年9月1日の関東大震災の時、多くの朝鮮人が虐殺された。その背後には、国家権力の行為が存在していることは確かであるが、実際に朝鮮人を殺害したのは、庶民である。

 この本は、虐殺現場となったところが、今どうなっているかを記したものだ。現状については、小さな写真がついているだけだが、地図もあり、またそこで起こった殺戮事件の詳細が記されている。

 また文学者などが、この朝鮮人虐殺を様々なかたちで記していることも紹介されている。その一つ、詩人の萩原朔太郎のもの。

 朝鮮人あまた殺され
 その血百里の間に連なれり
 われ怒りて視る、何の惨虐ぞ 


 著者は加藤直樹。新大久保で行われているヘイト・デモに抗議するカウンター行動者のひとり。

 抗議活動に参加していくなかで、過去に起きた朝鮮人虐殺事件を調査した。その報告でもある。

 良い本だ。

http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/04/17095322_2.php
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日やけ

2014-05-31 00:56:39 | 日記
 今日(もう昨日になった)図書館に行った。受付の女性から、「○○さん、日に焼けましたね」といわれた。「ええ、晴耕雨読の生活ですから」と、ボクは答えた。「理想的な生活ですね」と、女性は言った。

 毎日、毎日畑に行く。昨日はジャガイモを掘り出した。自分が食べるのではなく、母のところに送るためだ。

 今日は夕方行ったが、昼間行く時は日焼止めクリームを塗っていく。しかし、夕方の場合は塗らない。でも1時間以上作業しているからやはりやけるのだろう。

 仲道郁代のピアノを聴いてから、町田の住人との電話の約1時間をのぞき、ずっとピアノ曲を聴いている。

 ボクはホントはチェロやバイオリンのほうが好きだ。弦楽器には人生を感じるからだが、今日はピアノ曲の気分。

 ピアノは、やはり美しさ、哀しさ、そういった情緒的・感性的なものを感じる。ピアノ曲のなかでは、何と言ってもラフマニノフのピアノ協奏曲第二番、その第二楽章が好きだ。もっとも美しく哀しい曲であると思う。

 ピアノ曲は、ショパンとリストの曲が「きれい」だ。リストの「愛の夢」やショパンの「幻想即興曲」やノクターン。

 ノクターンは、夜、夕顔の花を見ながら聴くのが良い。気温が上がってきたからか、夕顔が次々と芽を出し、葉をつけてきた。今年も夕顔に囲まれる。ノクターンと夕顔には、淡い月の光が似合うのだ。
 
 こういうピアノ曲は、やはり夜聴くのがよい。少し暗くして・・・いろいろな過去を振り返りながら・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする