尊敬する人物を挙げよ、といわれたら、ボクはまず田中正造と答える。では二番目はと問われたら、迷うことなく家永三郎と答える。
浜松市図書館が新刊として購入した本は、すぐに誰かに貸し出され、読みたいと思ってもすぐには読めない。先に予約した人が読み終わったあとにまわってくる、だから待たなければならない。
浜松市の図書館にアクセスして新刊を見た。すると『家永三郎生誕100年 憲法・歴史学・教科書裁判』(日本評論社、2014年3月30日発行)が目についた。誰も借りていない。家永三郎先生に関する本を誰も借りないというのは、大いに問題だと思い、ボクが借り出し、今日それを読み始めた。
そこには懐かしい名前が並んでいた。
まず巻頭は鹿野政直先生。ボクは法学部生であったが、文学部の鹿野先生の「日本史研究」という講義に潜り込んでいたことがある。鹿野先生も高齢となられたが、今もお元気で活躍されている。またここに記された文も、鋭い問題意識と現実認識をもとに、広範な知的蓄積を背景にした名文である。
そしてその他、永井憲一先生。ボクは大学の講義はほとんど出席せず、サークル活動その他に邁進していた。4月にすべての講義を聴き、これは聴くべきだと判断した講義だけを聴くようにしていた。その中の一つが、永井先生の教育法の講義である。情熱的な講義で、この講義で先生が紹介された本は、すべて購入して読んだ。まだお元気のようだ。
浪本勝年氏。大学では、裁判問題研究会に参加していた。研究テーマに、家永教科書裁判をとりあげたことがあり、浪本氏に来ていただいたこともある。
なお6月にはその研究会のOBOG会が行われる。今大学にその研究会はないが、「卒業生」は各界で活躍している。
ボクはこの教科書訴訟については、「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」に参加し、裁判の傍聴を行っていた。法廷では、決して丈夫そうでない家永先生、その傍らには、いつも大江志乃夫先生がついていたことを思い出す。
さて家永氏が書かれた本は、たくさん読んだ。それらは今も所持している。一つだけ紹介すると、岩波書店から刊行された『太平洋戦争』、戦時中のみずからのあり方(「傍観者であった」)を深く深く反省し、なぜあのような無謀な戦争を起こしたのか、なぜそれを阻止できなかったのかという鋭い問題意識をもって書かれたものだ。
鹿野先生は、短い文ではありながら、家永先生の学問のありかたをきちんとまとめられているのだが、この『太平洋戦争』の紹介のところまで読み進んできたところで、ボクは活字を追うのをやめざるを得なかった。なぜか。先生が渾身の力を振り絞って書かれたにもかかわらず、今また戦争の足音が聞こえてきているからである。
歴史家としての責任を痛感し、当該期の歴史的課題をみずからの学問に組み込み、その学問的真実のために教科書を書き、検定に抵抗し、時代の闇と闘い続けた家永先生。
鹿野先生は、文の末尾で「家永が没して11年、私たちは、彼の闘いの成果が崩されようとする状況のなかにいる。良心・思想・表現の自由への圧迫が、日増しに強化され、戦争のできる国への転換が、急ピッチで進められている」とし、家永先生の『太平洋戦争』の英訳本の書名が、Japan's Last Warであったことを紹介して、太平洋戦争が「はたしてLast Warとして止まるかどうかが、脅かされている段階にある。それをどう乗り越えるか、家永三郎の眼は、私たちを厳しく見つめているにちがいない。」と結ぶ。
重い言葉である。家永先生の謦咳に接したり、著書を読み薫陶を受けたすべての人は、この鹿野先生の末尾を銘記する必要がある。
浜松市図書館が新刊として購入した本は、すぐに誰かに貸し出され、読みたいと思ってもすぐには読めない。先に予約した人が読み終わったあとにまわってくる、だから待たなければならない。
浜松市の図書館にアクセスして新刊を見た。すると『家永三郎生誕100年 憲法・歴史学・教科書裁判』(日本評論社、2014年3月30日発行)が目についた。誰も借りていない。家永三郎先生に関する本を誰も借りないというのは、大いに問題だと思い、ボクが借り出し、今日それを読み始めた。
そこには懐かしい名前が並んでいた。
まず巻頭は鹿野政直先生。ボクは法学部生であったが、文学部の鹿野先生の「日本史研究」という講義に潜り込んでいたことがある。鹿野先生も高齢となられたが、今もお元気で活躍されている。またここに記された文も、鋭い問題意識と現実認識をもとに、広範な知的蓄積を背景にした名文である。
そしてその他、永井憲一先生。ボクは大学の講義はほとんど出席せず、サークル活動その他に邁進していた。4月にすべての講義を聴き、これは聴くべきだと判断した講義だけを聴くようにしていた。その中の一つが、永井先生の教育法の講義である。情熱的な講義で、この講義で先生が紹介された本は、すべて購入して読んだ。まだお元気のようだ。
浪本勝年氏。大学では、裁判問題研究会に参加していた。研究テーマに、家永教科書裁判をとりあげたことがあり、浪本氏に来ていただいたこともある。
なお6月にはその研究会のOBOG会が行われる。今大学にその研究会はないが、「卒業生」は各界で活躍している。
ボクはこの教科書訴訟については、「教科書検定訴訟を支援する全国連絡会」に参加し、裁判の傍聴を行っていた。法廷では、決して丈夫そうでない家永先生、その傍らには、いつも大江志乃夫先生がついていたことを思い出す。
さて家永氏が書かれた本は、たくさん読んだ。それらは今も所持している。一つだけ紹介すると、岩波書店から刊行された『太平洋戦争』、戦時中のみずからのあり方(「傍観者であった」)を深く深く反省し、なぜあのような無謀な戦争を起こしたのか、なぜそれを阻止できなかったのかという鋭い問題意識をもって書かれたものだ。
鹿野先生は、短い文ではありながら、家永先生の学問のありかたをきちんとまとめられているのだが、この『太平洋戦争』の紹介のところまで読み進んできたところで、ボクは活字を追うのをやめざるを得なかった。なぜか。先生が渾身の力を振り絞って書かれたにもかかわらず、今また戦争の足音が聞こえてきているからである。
歴史家としての責任を痛感し、当該期の歴史的課題をみずからの学問に組み込み、その学問的真実のために教科書を書き、検定に抵抗し、時代の闇と闘い続けた家永先生。
鹿野先生は、文の末尾で「家永が没して11年、私たちは、彼の闘いの成果が崩されようとする状況のなかにいる。良心・思想・表現の自由への圧迫が、日増しに強化され、戦争のできる国への転換が、急ピッチで進められている」とし、家永先生の『太平洋戦争』の英訳本の書名が、Japan's Last Warであったことを紹介して、太平洋戦争が「はたしてLast Warとして止まるかどうかが、脅かされている段階にある。それをどう乗り越えるか、家永三郎の眼は、私たちを厳しく見つめているにちがいない。」と結ぶ。
重い言葉である。家永先生の謦咳に接したり、著書を読み薫陶を受けたすべての人は、この鹿野先生の末尾を銘記する必要がある。