浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

読むべし、見るべし

2014-05-10 08:59:49 | 社会
 政治権力によってつくられた「情報」(そのなかには偽りのものもある!)が、宣伝され、人びとの意識を左右し、そしてそれによって権力にぶら下がっている者たちが利益を獲得し、「出世」をとげる。マスメディアは、そうしたサイクルの宣伝部門である。

 テレビはおバカ番組に占拠され、新聞も報道することはするが、人びとのこころを捉えないような報道をする。

 以下の海外記事は読むに値する。また国会の中継録画も見るに値する。知らなければならないことが報道されず、くだらない、どうでもよいことが流されているから、こういうところから情報を獲得するしかない。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-6c73.html
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歴史を学ぶ責任

2014-05-10 00:09:33 | 日記
 人生の半分以上を生きてきて、よもやこのような社会になろうとは思ってもいなかった。社会は次第に良くなっていくだろう、たとえ紆余曲折があろうとも、最終的にはよりよい状態へと進歩していくのだろうと思っていた。

 しかしそのような思いは、あまりにも楽観過ぎるような気がしている。ボクはあちこちで講演を頼まれるが、そのときには希望や未来を最後に語らなければならないのだが、それが素直にできなくなっている。

 ボクが現役でいるとき、収入のための仕事以外にも歴史の編纂事業をはじめいろいろなことを担っていた。市民運動に於いても、ボクが動けば必ず何らかの成果を獲得できるという自信をもっていた。

 だが、昨年末の特定秘密保護法成立(その日、ボクは国会脇で廃案を叫んでいた)、「集団的自衛権」行使への強硬的な動きなどに対する抵抗が弱いのだ。

 ボクも、「戦争をさせない1000人委員会・静岡」の結成などに協力をしているが、ひょっとしたら、日本はまた戦争をするのではないかという不安を抱くようになっている。戦争の歴史について、地域の資料をもとにして、その本当の姿を調べ、書いてきた者として、戦争というものがいかなるものであるのか、その認識は持っている。だからこそ、いかなる戦争にも加担すべきではないと思うのだが、今政治の中枢にいる者たち(過去の指導者と同様に、彼らは決して戦場には行かない)は、あたかもCGで戦争をするかのような軽い気持ちで、集団的自衛権を認めて、アメリカなどと一緒になって戦争をしようとしている。

 親の世代に、ボクは「なぜ戦争を阻止しなかったのか」と問うたことがあった。しかし今後、その問いがボクに投げかけられるかもしれない。

 今日、『週刊金曜日』が届いた。今週の「風速計」というコラムは、本多勝一が書いている。その末尾に、こうあった。

 ・・・・自分の住む星を核による自爆で破壊することさえやりかねない生物(人類)。そんな生物が、真にめざめるときは、来るものでしょうか。

 その問いに、ボクはどう応えてよいか、迷う。

 しかしそれでも、目覚めて欲しいという気持ちをもって、語り続けるのだろう。歴史を学ぶ者の責任、というものを感じるからである。


 
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