『歴史評論』という雑誌がある。数年前まで歴史関係の雑誌をいくつか購読していたが、現職を去るにあたって、『歴史評論』をのぞき購読をやめた。学生時代からずっと購読しているので、『歴史評論』だけがやめられなかった。
町田の住人も退職と同時にそういう雑誌の購読をすべてやめたという。わからないでもない。購読にかかる費用がかなり高額だからだ。
さて今月号(6月号)の巻末に「会告」というものがあった。今年3月号に掲載された室町期の朝廷制度に関する論文に「不適切な引用」があったというのだ。ボクは、室町期の朝廷制度について関心がなかったので読んではいないが、もう少し具体的な説明があってもいいのではないかと思う。
著者から「当該論文の撤回」が表明されたことから、編集部は「掲載取り消し」とするのだそうだ。しかしもう3月号には掲載されているのだ。まったくその論文がなかったということにはならないので、どういう引用がなされたのか、きちんと説明があってもいいのではないかと思う。
最近この種の話が多い。他人の研究に依拠しながら新しい研究はでてくるのである。きちんとしたルールに則れば、「不適切な引用」など起こり得ない。他人の論文を引用したり、要約したら、その旨を注記しておけばいいのだ。そうすればまったく問題は起こらない。他人の文を、自分が書いたものだとして公表すれば、当然問題となる。そしてそういう問題が起これば、それはそれで研究者として大きな傷となる。それがわかっていて、なぜそうしたことに及ぶのか、ボクには理解不能である。
勤め人が会社のカネを横領するという事件が起きる。そういうことをしないで暮らしていれば得られる金と比べれば、きわめて少額である。その少額のために犯罪者となり、さらに月々の給与や退職金を失うなんてなんてアホだといつも思う。
それと同じである。
「不適切な引用」をするというとき、その当人はおそらく過剰な仕事を受けているのであろう。みずからの能力とそのためにつかうことが可能な時間を考慮して引き受けるかどうかを決めるべきなのである。何でも引き受けてしまえば、できたものは「不適切な引用」がなくても、論文それ自体がつまらないものになってしまう。
引き受けた仕事は、自分自身がそのときにもっている能力を、最大限に発揮したものにすべきである。ボクのように、自分自身に権威的な肩書きがない場合には、そういう仕方でしか信用は得られない。最善のものを提供すれば、信用されるようになり、仕事もふえてくる。しかしそうであっても、自分自身の能力をはるかにこえるような仕事は絶対に引き受けない。責任が持てないからだ。
町田の住人も退職と同時にそういう雑誌の購読をすべてやめたという。わからないでもない。購読にかかる費用がかなり高額だからだ。
さて今月号(6月号)の巻末に「会告」というものがあった。今年3月号に掲載された室町期の朝廷制度に関する論文に「不適切な引用」があったというのだ。ボクは、室町期の朝廷制度について関心がなかったので読んではいないが、もう少し具体的な説明があってもいいのではないかと思う。
著者から「当該論文の撤回」が表明されたことから、編集部は「掲載取り消し」とするのだそうだ。しかしもう3月号には掲載されているのだ。まったくその論文がなかったということにはならないので、どういう引用がなされたのか、きちんと説明があってもいいのではないかと思う。
最近この種の話が多い。他人の研究に依拠しながら新しい研究はでてくるのである。きちんとしたルールに則れば、「不適切な引用」など起こり得ない。他人の論文を引用したり、要約したら、その旨を注記しておけばいいのだ。そうすればまったく問題は起こらない。他人の文を、自分が書いたものだとして公表すれば、当然問題となる。そしてそういう問題が起これば、それはそれで研究者として大きな傷となる。それがわかっていて、なぜそうしたことに及ぶのか、ボクには理解不能である。
勤め人が会社のカネを横領するという事件が起きる。そういうことをしないで暮らしていれば得られる金と比べれば、きわめて少額である。その少額のために犯罪者となり、さらに月々の給与や退職金を失うなんてなんてアホだといつも思う。
それと同じである。
「不適切な引用」をするというとき、その当人はおそらく過剰な仕事を受けているのであろう。みずからの能力とそのためにつかうことが可能な時間を考慮して引き受けるかどうかを決めるべきなのである。何でも引き受けてしまえば、できたものは「不適切な引用」がなくても、論文それ自体がつまらないものになってしまう。
引き受けた仕事は、自分自身がそのときにもっている能力を、最大限に発揮したものにすべきである。ボクのように、自分自身に権威的な肩書きがない場合には、そういう仕方でしか信用は得られない。最善のものを提供すれば、信用されるようになり、仕事もふえてくる。しかしそうであっても、自分自身の能力をはるかにこえるような仕事は絶対に引き受けない。責任が持てないからだ。