浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

論文の撤回

2014-05-22 21:15:44 | 日記
 『歴史評論』という雑誌がある。数年前まで歴史関係の雑誌をいくつか購読していたが、現職を去るにあたって、『歴史評論』をのぞき購読をやめた。学生時代からずっと購読しているので、『歴史評論』だけがやめられなかった。

 町田の住人も退職と同時にそういう雑誌の購読をすべてやめたという。わからないでもない。購読にかかる費用がかなり高額だからだ。

 さて今月号(6月号)の巻末に「会告」というものがあった。今年3月号に掲載された室町期の朝廷制度に関する論文に「不適切な引用」があったというのだ。ボクは、室町期の朝廷制度について関心がなかったので読んではいないが、もう少し具体的な説明があってもいいのではないかと思う。

 著者から「当該論文の撤回」が表明されたことから、編集部は「掲載取り消し」とするのだそうだ。しかしもう3月号には掲載されているのだ。まったくその論文がなかったということにはならないので、どういう引用がなされたのか、きちんと説明があってもいいのではないかと思う。

 最近この種の話が多い。他人の研究に依拠しながら新しい研究はでてくるのである。きちんとしたルールに則れば、「不適切な引用」など起こり得ない。他人の論文を引用したり、要約したら、その旨を注記しておけばいいのだ。そうすればまったく問題は起こらない。他人の文を、自分が書いたものだとして公表すれば、当然問題となる。そしてそういう問題が起これば、それはそれで研究者として大きな傷となる。それがわかっていて、なぜそうしたことに及ぶのか、ボクには理解不能である。

 勤め人が会社のカネを横領するという事件が起きる。そういうことをしないで暮らしていれば得られる金と比べれば、きわめて少額である。その少額のために犯罪者となり、さらに月々の給与や退職金を失うなんてなんてアホだといつも思う。

 それと同じである。

 「不適切な引用」をするというとき、その当人はおそらく過剰な仕事を受けているのであろう。みずからの能力とそのためにつかうことが可能な時間を考慮して引き受けるかどうかを決めるべきなのである。何でも引き受けてしまえば、できたものは「不適切な引用」がなくても、論文それ自体がつまらないものになってしまう。

 引き受けた仕事は、自分自身がそのときにもっている能力を、最大限に発揮したものにすべきである。ボクのように、自分自身に権威的な肩書きがない場合には、そういう仕方でしか信用は得られない。最善のものを提供すれば、信用されるようになり、仕事もふえてくる。しかしそうであっても、自分自身の能力をはるかにこえるような仕事は絶対に引き受けない。責任が持てないからだ。
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「もっとも優秀な人材が集まるはずの朝日新聞の政治部の記者」?

2014-05-22 20:05:29 | メディア
 下記に掲げたアドレスは、もとNNNドキュメンタリー・ディレクター(日本テレビ)の水島氏の鋭い指摘。表題にしたのは、水島氏の文の一部だ。しかしボクはその指摘に「?」をつけた。というのも、記者会見に於ける政治部の記者の政治家に対する質問は、「えっ?」、「何でこんなこと質問するの?」、「それ以上追及しないのか!」などという感想をもつことが多いからだ。

 若い新聞記者のほとんどは、問題意識を持たないままに記者になった者が多い。ジャーナリズムの精神を持たない記者に、存在価値はない、とボクは思っている。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140522-00035562/

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耐えられない騒音

2014-05-22 19:57:37 | 政治
 『沖縄タイムス』の社説。

 厚木基地の米軍機による騒音は、とにかく凄まじい。一度体験すれば、こういう訴訟を提起したくなるのがわかる。「属国」の日本人は、我慢を強いられるのだ。

社説[厚木基地騒音訴訟]米軍機こそ差し止めよ
2014年5月22日 05:30

 果たして、基地周辺の住民を苦しめている航空機の騒音被害が、これで解消される判決といえるのであろうか。

 米軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県)の騒音被害をめぐり、周辺住民約7千人が国に夜間・早朝の飛行差し止めなどを求めた第4次厚木基地騒音訴訟で、横浜地裁の佐村浩之裁判長は、自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めを命じる全国で初めての判決を言い渡した。

 一方で米軍機への飛行差し止め請求は退けた。

 損害賠償も基地騒音訴訟では過去最高となる約70億円の支払いを命じた。

 判決は、住民の睡眠妨害などが「健康被害に直接結びつく相当深刻な被害」と認定するとともに、自衛隊が夜間・早朝の飛行を既に自主規制していることから自衛隊機の差し止めで「基地の公共性、公営上の必要性が大きく損なわれることはない」とした。

 原告団は判決に対し「100パーセントではないが一歩踏み出した判決」と喜びの声を上げた。一定の前進ではあろう。

 しかし、騒音の最大の原因である米軍機の飛行差し止めが認められなかったことで、実質的な騒音軽減策は置き去りにされた。

 判決でも触れているように「午後10時から午前6時までの時間帯の騒音は大半が米軍機によると認められる」としているからだ。

 つまり、自衛隊機の差し止めによっても、夜間・早朝の騒音は何ら変わらないということである。

    ■    ■

 厚木基地は、横須賀に配備されている原子力空母ジョージ・ワシントンの艦載機部隊と海上自衛隊の哨戒機などが駐留する。

 米軍機の夜間離着陸訓練(NLP)が実施されるなど、基地がある大和市、綾瀬市などのほか広範囲にわたって騒音被害を及ぼしている。

 自衛隊機に比べ、はるかに住民への負担が大きい米軍機について判決は「支配の及ばない第三者の行為の差し止めを国に求めるもので、棄却を免れない」と、いわゆる「第三者行為論」によって請求を退けた。

 原告団はもとより米軍基地が集中する沖縄にとっても、納得できるものではない。判決によって、あらためて司法が判断を避ける米軍の“不可侵”性が浮かび上がった。

    ■    ■

 県内では夜間・早朝の飛行差し止めなどを求め、嘉手納で第3次、普天間で第2次の訴訟が、周辺住民らが原告となって進められている。

 これまでの判決では過去の被害に対する損害賠償のみを認めている。肝心の米軍機の飛行差し止めなどは、「第三者行為論」によって退けられている。


 だがこれは、最高法規の憲法よりも、日米安保体制を上位に置く思考停止した論理である。人権のとりでである司法の役割を自ら放棄した判決と言わざるを得ない。

 自衛隊機によって健康被害が生じれば飛行を差し止め、米軍機に対しては差し止めないというのであれば、日本は米国の「属国」というほかない。
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吉田調書

2014-05-22 19:49:13 | 社会
 福島第一原発の事故の際、所長であった吉田氏の調書は、吉田氏が体験したこと、考えたことが、何も隠さずに話されていると感じる。

 重大事故が起きた時、責任者として、吉田氏はほんとうによくやってくれたと思う。もし吉田氏でなかったら、もっと大きな事故になっていたのではないか。

 そして今日、「朝日新聞」は、吉田調書の三回目を公表した。その表題は、
「誰も助けに来なかった」である。吉田氏の、重大な責任をひとりに負わせて、東電社員も、政府も、有効な支援をしなかった。吉田氏が「孤立無援」であったことを、痛切に振り返っている。

 http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-3m.html

 「朝日新聞」の、今日のコメント。

最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし現場に来ることが定められていた役人が来なかった
 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。

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戦争とはどういうものか

2014-05-22 09:54:00 | 読書
 戦争をしたいという政治家や官僚どもが騒いでいる。こうして騒ぐ奴は戦争には行かない。戦争で死んだり、傷つく者はいつも庶民だと相場が決まっている。自分が行かないから勝手な物言いができるのだ。

 しかし、そういう政治家どもの言動に影響される者たちもいる。おそらく戦場というものがどういう現場であるのかを想像できないのだろう。

 アメリカがベトナムを侵略して、ベトナムの人々を殺戮したことがあった。世界中のカメラマンや記者が戦場に入り、その現場で見たこと、考えたことを、写真付きで報道していた。そこには戦場の生々しい写真が掲載されていた。そういう写真が、アメリカ国内の反戦運動を高揚させた経験を踏まえ、戦争をしたい奴は、それ以後生々しい写真を撮らせないようにし、かつメディアもそういう写真や映像を見せなくなった。

 かくて、戦争の真の姿は、人々の前から消された。

 だが、ボクたちは、戦場とはどういうところかしっかりと想像することが肝要だ。

 ボクは、地域の歴史を書く時には、いつも元兵士から体験を聞いていた。ほんとうは、戦場での加害行為について聞きたいのだが、それについては話してくれなかった。ただ、皆さんが必ず言うことは、もう戦争はすべきではない、自分の子孫にはああいう場には立たせたくない、ということだった。それを語る元兵士の眼は、過ぎ去った否定すべき過去を思い出すように、遠くを見つめるようであった。

 戦場の壮絶さを思い描く時、ボクがいつも思い出すのは、渡辺清『戦艦武蔵の最期』(朝日新聞社選書)である。もう絶版になっているかもしれないが、戦艦武蔵が断末魔を迎えている時、甲板でどういうことが起きていたのか、それがきわめて具体的に書かれていたことを思い出す。米軍機の爆弾や機銃掃射で傷ついた兵士の姿、とくに砲弾の破片が四方八方に、まさに凶器となって飛散し、それが兵士の体を裂くという描写、あるいは直撃されると兵士の体は肉片となって散らばる・・・・凄絶そのものの戦闘場面が描かれていた。

 その一部は下記で読むことができる。

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/nonfc/pdf/WatanabeKiyosi.pdf

 もちろんボクは、戦場には立ちたくないし、いかなる人にも戦場には行ってもらいたくはない。いかに戦争をしないようにするか、いかに平和を維持していくのかを、とことん追求すること、これこそ政治がすべきことである。

 想像力が欠如し、あたかもCGで戦争ゲームに興じるかのように、戦争にあこがれている奴ら、彼らの趣味につきあわされないように、しっかと眼を見開いて、この危機的な状況に対処していきたいと思う。
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夕顔

2014-05-22 09:14:57 | 社会


 これが夕顔の花である。これが夏から晩秋にかけて咲く。

 夕方から朝にかけて、静かにそっと咲き続ける。だがひと晩咲くと花は落ちてしまう。ひと晩限りのはかない花だ。しかし、闇の中、月の光に映えて、それはそれは美しい。

 『源氏物語』にも「夕顔」の巻がある。

「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」・・げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを、「口惜しの花の契りや。一房折りて参れ」とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。

 心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花

 寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔


 さて寒風が吹くようになると、花のあとに実ができる。その実の中には種がある。
 これがその種だ。


 種は保管しておいて、5月頃に蒔く。その際、殻が厚いので傷をつけることが必要だ。ただしそうしてあげてもすべてから芽が出るとは限らない。

 しばらくすると、こういう苗となる。ダンゴムシがこの葉を食べるので、ダンゴムシ駆除の薬剤を周辺に散布しておくとよい。

 

 あとは、蔓が伸びて花が咲くようになる。

 昼間の喧噪が消えた闇の中、白く浮かび上がる夕顔は素晴らしい。その魅力にとりつかれた者だけが、毎年毎年、こうして花を咲かせる。
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